第17話『努力、友情』
「では、早速魔術について学んでいくわ」
白衣姿のコッホが、教壇へ両手をついた。
センターを出た私たちは、虹彩騎士団の本部だという六階建てのビルを訪れた。
外壁には雨の跡が染みつき、入口の看板も色褪せていたが、中はきれいなオフィスだった。
白い机に、背もたれの高さを変えられる椅子。
壁際の棚には同じ大きさのファイルが並んでいる。
そこそこ大きな建物だったが、人の気配はほとんどなかった。
そんなビルの二階にある一室で、私とテュフォンは、長机に並んで座っていた。
ロイドは『紫色』の虹彩騎士を手伝うため、席を外している。
エリスは廊下でばったり出会ったメリンと、模擬試合をすると言って、ビルの裏手にある屋外訓練場へ向かっていった。
というわけで、生徒は二人だけだ。
本来は、テュフォンにだけ教えるつもりだったようだが、何かあったとき力になりたいと私が参加を申し出ると、コッホは二つ返事で了承してくれた。
「さて、まずはあんたたちがどうやって魔力を操作するか、教えてもらおうかしら」
コッホが片手を持ち上げた。
「魔力操作の感覚は、人によって違う。私は、こうして手足を動かすのと同じ感じね。いちいち何かを想像しなくても、動かそうと思えば動く」
開いた指の間に小さな光が灯り、指先を行き来した。
「たぶん、テュフォンも同じじゃないかしら」
「うん。出そうって思ったら、出るから……どうやってって言われると、分かんない」
「今は、それでいいわ。ライラは?」
「私は……粘土をこねる感じかしら。手のひらにあるものを、伸ばしたり、まとめたりしてるの」
机の上で手を動かしながら答えると、コッホが少し目を見開いた。
「ふーん、触覚で操作するタイプか。珍しいわね」
思わず、少しだけ背筋を伸ばす。
「ま。珍しいってだけで、特別に優れてるわけじゃないからね」
「……何も言ってないけど」
「じゃあ、実際に見せてもらいましょうか。二人とも、こっちへ来て」
コッホは教壇を離れ、机のない窓際へ移った。
私たちが正面に立つと、片手を差し出す。
「ここを狙って、電気を撃ってみて。まずはライラから」
「大したものは出ないわよ」
「いいから」
手のひらへ意識を集め、魔力を練る。
電気へ変えていくと、指の周りを青白い光が走った。
指先を差し出された掌へ向けると、パチッ、と小さな火花が弾けた。
「こんな感じ」
「ま、一般人ならそんなものね。むしろ、ちゃんと掌を狙えてるのは器用な方よ」
コッホは受けた手を一度閉じ、また開いた。
「次、テュフォン」
テュフォンが半歩前へ出た。
私の真似をして手を上げかけ、コッホの後ろにある窓へ目を向ける。
「でも……また、壊しちゃったら」
「私が止めるわ。あんたは、ここだけ見てなさい」
差し出した掌を、軽く振ってみせた。
見上げてきたテュフォンに、頷き返す。
テュフォンは前へ向き直り、しっかりと腕を伸ばした。
「いくよ」
「どうぞ」
指先が白く光り、太い雷がコッホへ向かって走った。
視界が真っ白に染まり、私は反射的に顔を逸らす。
空気を引き裂く破裂音が響き、室内に風が吹いた。
チカチカする視界の中、顔をあげると、雷はコッホの掌の手前で細く絞られていた。
横へ枝分かれした光まで、一本にまとまってその手へ吸い込まれていく。
コッホがゆっくりと指を閉じた。
白い光が途切れ、最後に小さな火花が一つ、指の間で消えた。
「うん。さすがね」
何事もなかったように、手首を回す。
「今ので、一か月くらい充電しなくて済みそうだわ。ご協力どうも」
「……平気、なの?」
「見ての通りよ」
コッホは両手を広げてみせた。
テュフォンは伸ばしていた腕を下ろし、コッホの周りを覗き込んだ。
窓も、壁も、白衣の袖も、焦げたところは一つもない。
「それじゃあ、次のステップに進みましょ」
ぱんっ、と手を叩き、コッホは教壇へ戻った。
私とテュフォンの目の前に、小さな人形が置かれた。
丸い頭に、色の塗られていない木の胴体。
肩や肘には、銀色の球がはめ込まれている。
「私が作った、魔力操作の練習用人形よ」
コッホが、人形の入っていたジュラルミンケースを閉じた。
「魔力を入れて操るの。多すぎても少なすぎても、動かないようになってるから、まずは腕をあげられるか試してみて」
台座の縁に手を添え、少しずつ魔力を流す。
小さなランプが点いたところで量を保ってみるが、人形の腕は下がったままだ。
「入れるだけじゃ駄目。その腕を、自分の手で持って上げてやる感じ」
コッホが人形の手首をつまみ、肩の高さまで持ち上げてみせた。
その手が離れると、木の腕は元の位置へ戻った。
私はもう一度、台座へ意識を向ける。
魔力を細く伸ばし、人形の腕を包み込むようにしてみた。
「あ、できた!」
横で、テュフォンが嬉しそうに声をあげた。
人形が肘を曲げ、こちらへ手を振っている。
「そう。じゃあ、そのまま下ろして。次は反対」
右腕が下がり、左腕が上がった。
テュフォン本人の手は、台座に添えられたままだ。
「流石、成功ね」
「……早くない?」
自分の人形へ目を戻す。
腕を持ち上げようとすると、なぜか腰が曲がった。
もう少し強く魔力を込めると、今度は上半身がぐらりと傾き、額が台座へぶつかった。
「あ」
「動かそうとする範囲が広すぎるのよ。腕だけ。身体ごと動かそうとしない」
「そのつもりでやってるんだけどね……」
それから何度も魔力を込めてみるが、人形は前屈みになったまま動かない。
隣では、テュフォンが人形に両手を振らせていた。
「ライラお姉ちゃん、見て。両方できた」
「見てるわよ。こっちは腰を壊したおじいちゃん状態だけど」
苦い顔で返すと、テュフォンが笑う。
その拍子に、台座のランプが強く光り、上がっていた人形の腕が、ぴたりと止まった。
「あれ?」
「魔力量が増えたみたいね。動かす方につられて、力を入れすぎないで」
テュフォンは口を閉じ、台座を見つめた。
光が弱まると、人形の手が再び動き始める。
コッホが、二つの台座を交互に見た。
「量を一定に保つのはライラの方が上手ね。人形は動かせてないけど、ポーズは崩れていない」
「あんまり嬉しくない評価ね」
「で、出力と物を動かす操作は、テュフォンの方が上。まあ、魔力操作の感覚が違うから、仕方ないところではあるわね」
テュフォンは人形の腕を下ろし、その身体をこちらへ向けた。
私の人形は、相変わらず深々と頭を下げている。
「……ちょっと悔しい、けど」
笑いながら、倒れかけた人形を指で起こした。
「もうちょっと、やってみるわね」
「失礼します。お手伝いが終わりましたので、戻りました」
扉が開き、ロイドが顔を出した。
コッホは壁の時計を見上げ、手元の人形をケースへ戻した。
「ちょうどいいわ。ロイド、次のレッスンに付き合ってちょうだい」
「承知しました」
練習している間に、机へ差し込む日が少し傾いていた。
テュフォンは、ランプの明るさを保ったまま、人形に何度も手を振らせている。
私の方は、どうにか腕を上げられたものの、腰も一緒に曲がってしまい、今度は腕を下げることができなくなっていた。
「じゃあ、二人とも。今度は魔力量をもっと細かく調整する練習よ」
ロイドが椅子を引き寄せ、教壇の横へ座った。
後頭部へ手を回し、先端にガラス管のついたケーブルを取り出す。
灰色の髪の下から伸びたそれを、コッホが受け取った。
「流す量は、一定に。途中で増やしすぎると、熱を持って充電を受け付けなくなるわ」
管の端にある赤い線を、指先で示す。
「まずはライラ、見本を見せてあげて」
「これなら、慣れてるわ」
ガラス管を受け取り、両手で包んだ。
魔力を少しずつ流し、光の先端を確かめながら、一定の量を保つ。
テュフォンが隣から覗き込んだ。
「……あんまり光らないんだね」
「たくさん入れるわけじゃないからね。ロイド、どう?」
「はい。安定しています」
ロイドは肩の力を抜き、椅子の背へ軽く身体を預けた。
膝に揃えた指が少し開き、緑色の目がとろんと細くなる。
私はその顔を確かめ、管へ目を戻し——、
「はい、そこまで!」
コッホの手が、私とロイドの間へ割り込んだ。
驚いて顔を上げたが、管の中の光は赤い線まで届いていない。
「……何か間違ってた?」
ひとまず、言われるまま魔力を止める。
コッホは私を見上げ、じろりと睨んだ。
「ロイドに、そんな気持ちよさそうな顔させるなんて。許せないわ」
「ええ……」
ロイドは背もたれから身体を起こし、膝へ目を落とした。
軍服の袖口を、指で直している。
横でテュフォンが、口元を押さえて笑った。
「こほん。じゃあ、次はテュフォン」
コッホが咳払いをして、私の手から管を受け取った。
中の光が消えているのを確かめ、テュフォンへ差し出す。
「……ええと。テュフォン様。よろしくお願いします」
「うん。痛かったら、言ってね」
テュフォンはロイドの隣へ座り、両手で管を受け取った。
視線を落とすと、ガラスの内側に淡い光が生まれる。
光は一度大きく膨らみ、すぐに細く縮んだ。
「供給量に、少し変動があります」
「……多い?」
「平均では、適正な範囲です。ですが——」
「ロイド。今は、どんな感じか伝えてあげて」
コッホに言われ、ロイドの口が止まった。
膝に置いた手を見て、少し考える。
「……細かく、押されたり離されたりする感じがします。先ほどのライラ様のときは、それがなかったので」
テュフォンが、管を持つ指の位置を直した。
光が伸び、赤い線へ近づきかける。
「今、押す方が少し強くなりました」
「……このくらい?」
光の先端が戻った。
今度は先ほどほど細くならず、管の中ほどで留まる。
「はい。そのままお願いします」
テュフォンの指先は、管を包んだまま動かない。
少し持ち上がっていた肩が、やがてゆっくりと下がった。
コッホも口を挟まず、机の端へ手をついて見守っている。
「……今は、どう?」
「先ほどより、ずっと落ち着きました。ちょうどいいです」
ロイドが小さく微笑んだ。
テュフォンの口元も緩みかけたが、すぐに管へ目を戻す。
もうしばらく続けたところで、コッホが机から手を離した。
「はい、そこまで。ゆっくり止めて」
光が少しずつ細くなっていく。
最後の一筋が消えるまで、テュフォンは管から手を離さなかった。
「合格。ちゃんと最後まで保てたわね」
テュフォンが顔を上げ、管を差し出した。
ロイドはそれを受け取り、ケーブルをしまった。
「無事、充電できました。ありがとうございます、テュフォン様」
テュフォンは、空になった両手を膝へ揃えた。
それから背筋を伸ばし、微笑むロイドへ大きく頷いた。
「……うん、どういたしまして!」




