第16話『フェールセーフ』
「……まったく。こっちはずっと忙しいっていうのに、どうして一般家庭で家庭教師なんてやらなきゃいけないのかしら。部隊長どもは、どいつもこいつも下の都合を考えないんだから……」
ソファへ腰を下ろすなり、コッホはぶつぶつと文句を言い始めた。
ロイドが出した紅茶を一口飲み、また何か呟く。
「やっぱり、無理に都合をつけて来てくれたのね」
「当たり前でしょ。私はこの都市の、エネルギー産業の最高責任者なのよ?」
カップが音を立てて皿へ戻った。
「都市における発電設備の開発から運用まで、コッホが統括しています。魔力を扱う技術について、彼女以上の人材はおそらくいないでしょう」
横からロイドが補足してくれた。
魔術の専門家どころか、それ以上の大物を紹介されたらしい。
「で、私の教え子は誰? まさか、あんたじゃないでしょうね」
「私じゃなくて、そっちの……」
コッホの視線が、ソファの端へ移った。
テュフォンと目が合った途端、緑色の瞳が大きく開く。
「うそ! あんた、何その魔力量!」
立ち上がり、テーブルを回り込んだ。
テュフォンは抱えていたクッションを持ち上げ、背もたれへ身体を押しつける。
「原石も原石、とんでもない才能じゃない!」
「——はいはい、そこまでねー。怖がってるでしょうが」
エリスが二人の間へ腕を差し入れた。
「あら、不和の吸血鬼じゃない。あんたに用はないわ。どっか行きなさい。しっし」
「扱いひどくない?」
その腕の脇から、コッホはテュフォンを覗き込んだ。
「あんた、魔術は使える? 何でもいいから、見せてちょうだい」
「嫌」
「……どうして?」
テュフォンはクッションの縁を握ったまま、片手でキッチンを指した。
コッホが顔を上げ、壁に残った煤と、その下に転がる、溶けたオーブンに目を向ける。
そちらへ歩いていき、膝をついて歪んだ扉を持ち上げた。
「……へえ」
剥がれかけた側板の隙間を覗き、床に落ちていたつまみを拾う。
それを裏返し、今度は割れたコンロへ目を向ける。
ロイドが隣へしゃがみ、爆発したときのことを説明した。
「規定値を大幅に超えている……使い方は正しいけれど、止め方が分からなかったのかしら……」
コッホは何度か頷き、焦げた部品を元の場所へ置いた。
立ち上がって手を払うと、テュフォンへ向き直る。
「使いたくないなら、使わなくていいわ。さっきは無理を言ってごめんね」
テュフォンはクッションの上から、顔を半分だけ出した。
「それと、あんた。ライラ……だっけ? このキッチン、私が直してあげる」
「え? それは助かるけど……」
「その代わり、明日ここへ来なさい。その子も一緒に」
革ジャンから取り出したカードを、私へ押しつけた。
『未来魔術センター』という施設名と、その下に小さな地図。
「じゃ、私は戻るわ。ロイド、また会いましょうね」
「はい。お気をつけてお帰りください」
ジュラルミンケースを拾い上げ、コッホはさっさと玄関へ向かった。
扉の閉まる音がして、私は手元のカードへ目を落とす。
「……何だったのかしら」
「家庭教師として、現状確認に来たのでしょうね」
「そういうことじゃ……まあいいわ。ロイド。明日は仕事だから、休みの明後日に行くって伝えておいて」
「遅い!」
翌々日。
未来魔術センターの入り口で、早速怒られた。
コッホは白いジャージの上に、白衣を羽織っていた。
袖口は黒ずみ、裾には茶色い染みがいくつもついている。
「『明日来なさい』って言ったでしょうが。丸一日、無駄にしたじゃない」
「ライラ様もご多忙なのです。ご容赦ください」
黒い軍服姿のロイドが、私の前へ一歩出た。
私は薄手のブラウスにスカート。
隣のテュフォンは、フリルのついた白いワンピースを着ている。
エリスはいつものよれたパーカー姿で、ガラス張りの建物を見上げていた。
「こっちも多忙だって言ってるのにいいい……はぁ。まあいいわ。案内するから、ついてきなさい」
コッホは白衣の裾を翻し、自動ドアの向こうへ進んだ。
その後を追って館内へ入ると、高い天井の下に、大きな羽根車が吊られていた。
受付にはパンフレットを持った観光客が並び、案内板の前では、引率らしい大人が黄色い帽子の子供たちを数えている。
獣人の親子が、その列の脇を通り抜けていった。
コッホは会釈してきた係員へ片手を上げ、そのまま展示室へ進んでいく。
続けて室内へ入ると、壁に沿って古い家具や機械が、年代順に並んでいた。
木の箱に金属の取っ手がついたものから、丸みを帯びた白い箱、見慣れた両開きのものまで。
「これ、全部冷蔵庫なの?」
テュフォンが、木箱の前で足を止めた。
「そうよ。最初のは上の段に氷を入れて、下に置いた食べ物を冷やしてたの」
コッホが隣の展示へ指を移す。
「こっちは、自分で冷やせるようになったもの。その冷却装置を作ったのが私」
外装の半分が取り払われ、細い管が何度も折れ曲がっているのが見えた。
その横には、洗濯槽が一つだけの洗濯機が置かれている。
上部についた二本のローラーの間から、ぺらぺらの布が垂れ下がっていた。
「昔は、このハンドルを回して洗濯物を絞ってたの。こっちの型から、自動で脱水するようになったのよ。これも作者は私」
「乾燥とかも、やってくれるの?」
「それは、もう少し後。当時は研究中に火事が起きて、大変だったわ……」
展示の先では、丸い窓のついた洗濯機がゆっくり回っていた。
中のタオルが持ち上がり、ぱたりと落ちる。
テュフォンはしばらくそれを眺めてから、コッホの後を追った。
隣の展示には、扇風機が何台も並んでいた。
むき出しに近かった羽根が、年代を追うごとに細かな網で覆われていく。
炊飯器のつまみも、一つから幾つも増え、いちばん新しいものは平らな画面になっていた。
分厚い木枠にはまったテレビでは、白黒の料理番組が流れている。
どの台にも図面と説明板が添えてあり、少し歩くたびにコッホが足を止めた。
「この制御部分は私が担当したやつ。あっちの自動調理機構もね。この設計図を描いたのも私」
「さっきから、あなたの名前ばかり見るわね」
「当然でしょ。現代魔術の基礎は私が作り上げたものなんだから」
白衣のポケットへ両手を入れ、誇らしげに顎を上げる。
その少し後ろで、テュフォンが立ち止まった。
腰ほどの高さの展示台に、四角いオーブンが載っていた。
横に並ぶつまみも、厚いガラスの扉も、見覚えがある。
「……これ、うちにあったやつ」
「ああ、最初期の型ね」
コッホが、台の縁へ手をついた。
「これも私が作成したの。失敗作だけどね」
テュフォンが顔を上げた。
台の下に置かれた当時の広告には、『魔力で手軽に本格料理』と書かれていた。
隅にびっしりと並んだ注意書きを、コッホが指で示す。
「起動に必要な魔力量の調整が難しくてね。少なければ動かないし、多ければすぐに過熱する。そのくせ、入ってくる量を制限する仕組みもない」
つまみの横には、『魔力入力部』と書かれた小さな金属板がはめ込まれていた。
「つまり、使う側が全部調整しなきゃいけなかったってこと。ミスしたら……ボカンッ。爆発しちゃうのよね」
コッホは隣に並んだ新しいオーブンを指した。
「今の型なら、必要な量に達したところで受け入れを止めるわ……ていうか、あんたたち、よくあんな古いの持ってたわね。作った台数も少ないのに」
「ふふん。当時の最新機器は、僕が全部買い込んでいたからね!」
エリスが真っ平らな胸を張った。
「あれも発売日に買ったんだよ。先見の明ってやつ?」
「その割に、全然使わず押し入れに入れてたわよね。こないだ買ってきた変な機械も、そのまま倉庫に——」
「さー! 次に進もう! 次はどんな面白い機械があるのかなー! 楽しみだー!」
テュフォンの口元が、少しだけ緩んだ。
その横で、コッホが展示台から手を離した。
「次は、体験できるものを見に行きましょうか」
暗い展示室に、青や紫の光が揺れていた。
黒い台の上に並んだガラスの球の内側を、枝分かれした細い光が走っている。
球へ手を当てた子供が指を滑らせると、光もその後を追いかけた。
コッホは歩みを緩め、空いている台の前で止まった。
「ライラ、そこの管に魔力を入れてみて?」
台から伸びる短いガラス管を指す。
両手で包んでゆっくりと魔力を流すと、目盛りの間に淡い光が生まれ、台の上の球にも紫色の筋が走った。
「プラズマボールっていうの。魔力を電気に変えて、球の中へ流してる。手を近づけてみて」
テュフォンが、球の少し手前で指を止めると、細い光が一本そちらへ曲がった。
「触ってもいい?」
「もちろん」
指先が触れると、何本もの光がそこへ集まった。
そのまま横へ動かすと、曲がりくねった光の束が、球の内側を滑っていく。
「ロイドちゃん、見て。ついてくる」
隣に立つロイドへ見えるように、立ち位置を変える。
今度は手のひら全体を球へ当てると、指と指の間に紫色の光が散った。
試しに流し込む魔力量を少し減らすと、光の筋が細くなった。
テュフォンは球へ手を置いたまま、私の持つ管を見た。
琥珀色の瞳が、目盛りの間で小さくなる光を追っていた。
「これが、発電所で使っている装置の模型よ」
コッホの指した先に、大きな円筒形の機械が横たわっていた。
透明なカバーの下にいくつもの管が並び、奥には小さな羽根車が収まっている。
模型の脇には、街並みを縮めたような家やビルが並んでいた。
線路が高架橋を渡り、小さな駅のホームには、人形まで置かれている。
「魔力から直接電気を作り出すの。そのときに出る熱も、捨てずに再利用するのよ」
コッホがボタンを押すと、円筒の中が明るくなり、足元の街にぽつぽつと明かりがついた。
同時に、別の管を赤い光が走っていく。
「熱でお湯を沸かして、その蒸気でタービンを回す。こっちでも、もう一度発電するわけ」
透明なカバーの奥で、羽根車が回り始めた。
家々の間を縫う街灯にも光が灯り、小さな通りが照らし出される。
「たしか、あんたたちが解決した牧場の異変でも、似たような仕組みが使われていたわね。魔力から雷を作る、あの光の柱。熱風や冷風も、変換時に発生した熱エネルギーの影響でしょうね」
なんとなく理解した気分になりつつ、コッホの説明に相槌を打っていると、横からエリスが飛びついてきた。
「ライラ、ライラ。あれ見て、面白そうなのある」
エリスが向いた先には、二台の小さな発電装置が並んでいた。
片方には魔力を入れる管、もう片方には大きなハンドルがついている。
「ああ、それね。魔力発電がどれだけ効率的か、手動発電と比較できる装置よ」
「ふむふむ……ねえ、ライラ。僕とどっちが発電できるか勝負しようよ」
「なんでよ」
「いいからいいから。ほら、ライラはこっち」
空いている台へ連れていかれ、管を渡された。
向こうではエリスが袖をまくり、ハンドルを握っている。
「準備はいい? よーい、どん!」
返事をするより早く、ハンドルが回り始めた。
「ちょっと、ズルじゃないの?」
文句を言いつつ、私も管へ魔力を流す。
正面の目盛りが少しずつ伸び、二台の前に並ぶ電球が、端から順に点灯していった。
手回しの方が、二つほど先をいく。
「ふふん。僕の方が速いね!」
「はいはい。よかったわね」
管の中の光を見ながら、流し込む量を少し増やす。
こちらの電球も、一つ、二つと続けて点いていった。
エリスはそれを横目で見て、ハンドルを握り直す。
「はっや! ぐぬぬ……最近負け続けだから、さすがに勝ちたい——!」
高速で回転するハンドルから、だんだん白い煙が立ち始める。
「ちょっ、エリス! ストップストップ!」
「あと一個で全部——」
ばきん。
エリスの手に、ハンドルだけが残った。
機械の中で何かが跳ね、電球が一斉に消える。
隣の展示を見ていた子供が、親の手を引いてこちらを向いた。
「……あれ?」
「何やってんのよ……」
コッホが、呆れた声を漏らした。
慌てて魔力を止めると、私の側の電球も消えていった。
「ご、ごめん。全部点けられそうだったから……」
「あんたみたいな脳筋向けの機械じゃないのよ。まったく」
エリスは折れたハンドルを両手で持ち、肩を縮めた。
ロイドが近くの係員へ声をかけている間に、コッホが装置へ近づいた。
電源を切り、ハンドルがついていた場所を触る。
落ちていた金属の欠片を一つ拾い、テュフォンへ顔を向けた。
「魔術に限らず、こういうことよ」
テュフォンは、暗くなった電球を見ていた。
「大きな力は、制御する仕組みがないと、周囲を壊しかねない」
金属の欠片を台へ置く。
「不和の吸血鬼だって、あんたたちを守ることもあれば、こうやって壊しちゃうこともあるわけ」
「……私の力も?」
「ええ。でも、失敗したところを直して、制御する仕組みを重ねていけば……ほら」
コッホが、大きな発電装置の模型を指した。
街の模型には、まだ明かりがついていた。
家の窓から漏れる光のそばを、小さな電車が通り過ぎる。
「あんたの魔力は膨大。制御するには、それなりに努力が必要になるわ。でもね——」
コッホは、私、ロイド、それからエリスへ順に目を向け、最後にテュフォンへ向き直った。
テュフォンは両手を持ち上げ、開いた指を眺めてから、ゆっくりと握り直した。
「ライラお姉ちゃん……私に、できるかな」
その顔が、私を向いた。
「ええ、絶対にね」
かがんで答えると、横でコッホが腰へ手を当てた。
「……さて、テュフォン。心は決まった?」
テュフォンは私を見て、それからコッホへ向き直った。
「うん。私、やってみたい」




