第14話『天火薄命』
「ロイド! これお代わり!」
エリスが、空になった皿を持ち上げた。
ガラステーブルの上には、焼いた食パンとコンソメスープ、それからオムレツが並んでいる。
「相変わらず、早いわね」
「もち! 美味すぎるのが悪いのだよ」
右から左へ聞き流し、オムレツへ箸を入れる。
柔らかな卵を切り分けると、内側からチーズがとろりと溶け出した。
一口、二口と食べ進めている間に、ロイドがエリスの皿を受け取った。
「追加の分はもうすぐできますので、少々お待ちください」
そう言って、キッチンへ戻っていく。
虹彩騎士団の制服の一つだという白いジャージの上に、うちにあった古いエプロンを着けていた。
コンロのつまみを回して火を弱め、フライパンを持ち上げる。
手首を軽く返すと、卵がくるりと折りたたまれ、きれいな形にまとまっていった。
すぐ横で短い電子音が鳴り、オーブンが焼き上がりを知らせた。
「手際いいわねー……」
フライパンを置いたロイドは、ミトンをはめてオーブンの扉を開けた。
私がうまく扱えず、押し入れにしまい込んでいた古い魔術道具だ。
それを、以前から使っていたかのように、慣れた手つきで動かしている。
心なしか、オーブンが誇らしげに輝いて見えた。
「お待たせしました」
新しいオムレツが、エリスの前へ置かれた。
焼き立てのパンも、その横へ添えられる。
「ライラ……楽園はここにあったんだね……僕ダメになっちゃいそう」
「諦めなさい。既に手遅れよ」
なんて言いつつ、ロイドが家事を引き受けてくれるようになってから、私もだらけることが増えてしまった。
「ねえ、ライラ。ミルクも飲みたいなー。あったかくて甘いやつ」
……まあ、こういうお願いは、相変わらず私のところへ飛んでくるのだが。
「はぁ。待ってなさい」
「よろしくー」
ソファから立ち上がり、冷蔵庫から牛乳を取り出す。
コップに注いで、両手をその側面へ添える。
ゆっくりと魔力を熱に変えていき、うっすらと湯気が立ち始めたところで止める。
角砂糖を一つ落とし、スプーンを添えてエリスの前に置いた。
「混ぜてー」
「嫌」
自分の席へ戻ると、隣から視線を感じた。
テュフォンが、私の手をじっと見つめている。
「どうかした?」
「ううん。魔術って、そういうこともできるんだなって」
私の手から、エリスのコップへ。
それから、キッチンに立つロイドへ、琥珀色の瞳が動いた。
「お父さんとお母さんも使ってたけど、ぴかぴか光るだけで、何してるのかよくわかんなかったから」
テュフォンは片手を持ち上げ、指を開いたり閉じたりした。
「良ければ、今度やり方教える? 最近なら、電気マッサージの魔術がお勧めよ」
「マッサージはいらない。でも料理の魔術、やってみたい」
「……そう。じゃあ、今日は良さそうな本を探してくるわね」
答えながら、スープを一口飲んだ。
もう少しゆっくり食べていたかったのだが、
「っと、もうこんな時間か」
壁の時計が、それを許してくれそうになかった。
残ったパンの切れ端を口へ運び、立ち上がった。
皿を重ねようとしたところで、ロイドが手を差し出した。
「片付けは私が行います。ライラ様は、ご準備ください」
「ありがと、助かる」
仕事用の鞄をつかみ、玄関へ向かう。
靴を履いていると、リビングからロイドの声がした。
「夕食も用意しておきます。お気をつけて、いってらっしゃいませ」
「ありがとう! それじゃあ、行ってきます」
「いってらー」
「いってらっしゃい」
三人の声を聴きながら、私は家を飛び出した。
* * *
窓のない、広々とした部屋だった。
壁際だけでなく、部屋の中にも何列もの本棚が並んでいる。
その中央に空いた一角で、私は机を挟み、小さな少女と向かい合っていた。
「急にお休みを延ばしていただいて、ありがとうございました。グウィン館長」
頭を下げると、向かいから穏やかな声が返ってきた。
「いいえー。おかえりだよ、ライラちゃん」
顔を上げると、私が勤める図書館の館長、グウィンが、椅子に座って微笑んでいた。
光沢のない白い髪に、同じく白い半そでのシャツ。
白いエプロンには、万年筆が一本差してあり、首からは小型のカメラを提げている。
そのカメラのレンズによく似た緑色の瞳が、私を映していた。
「身体はもう大丈夫そ?」
「はい。何なら、仕事から離れたおかげで体力も回復してますね」
「あはぁ、それは何よりだ」
館長は頷き、机の上の書類を一枚めくった。
「さて。休暇申請に、扶養家族の申請……ほかにも結構あるね?」
「お忙しいところ、すみません。不備はないはずです」
「ほないいか……と言いたいところだけど。巻き取ってあげる代わりに、一つお願いをしようかな」
館長が私を見上げ、口元を少しだけ緩めた。
「できる範囲でお願いします」
「大丈夫、大丈夫! 質問に答えてくれるだけでいいから」
書類から手を離し、机の上で指を組む。
「休暇中に起きたことも、今の暮らしも。あなたにとって、良いものだったかな?」
「……」
すぐには答えず、今朝の食卓を思い返した。
それから、一つ息を吐く。
「ええ。とても」
館長は私の顔を見て、満足そうに頷いた。
「よしっ、よかろう。それじゃあ後のことは私がやっておくよ。何か確認したいことがあれば、その時に聞くね」
エプロンのポケットから万年筆を抜き、書類へ文字を書き込んでいく。
「ありがとうございます。では、失礼します」
一度頭を下げ、机のそばを離れた。
本棚の間を抜け、扉を開ける。
廊下へ足を踏み出しかけたところで、背後から声が聞こえた。
「やっぱり、主人公は選んでこそ、だねぇ」
振り返ると、館長は楽しそうに、さらさらと紙へ筆を走らせていた。
「……また、蔵書が増えそうね」
小さくため息をつき、今度こそ部屋を出た。
* * *
仕事を終え、家へ向かって歩いていた。
鞄には、朝の約束どおり、家庭用魔術を使った料理の本を一冊入れている。
あとは晩ご飯の食材を買ってから……、
「あ。ロイドがやってくれるんだったっけ」
いつもの癖で寄りかけたスーパーを、そのまま通り過ぎた。
別に家事が嫌いなわけではないけれど、代わりにやってくれる人がいるのはありがたい。
いつもより足取り軽く、見慣れた曲がり角を曲がる。
家が見えてきて、空いた時間に何をして過ごそうか考え——、
ドンッ!
爆音とともに、キッチンの窓から黒い煙が噴き出した。
私は鞄を抱え直し、玄関へと駆けた。
「エリス! ロイド! テュフォン!」
扉を開けると、プラスチックが焦げたような、妙に甘い匂いが押し寄せてきた。
ハンカチを口に当て、キッチンへ駆け込む。
最初に目に入ったのは、真っ黒になったエリスだった。
白いパーカーは煤にまみれ、プラチナブロンドの髪もところどころ焦げている。
「あ、おかえりー」
「おかえりって……ロイドとテュフォンは?!」
「……こちらに」
エリスの後ろから、同じく煤けたロイドが顔を出した。
隣のテュフォンは、髪にも服にも煤一つついていない。
ケガもない様子を見て、ひとまず息を吐いた。
それから、改めてキッチンを見渡す。
コンロは真っ二つに割れ、フライパンが床に転がっている。
朝はあんなに誇らしげだったオーブンも、今は見るも無残な姿に溶け崩れていた。
「……何が、あったの?」
私の声に、テュフォンの肩が小さく跳ねた。
ゆっくりと顔をあげ、ためらいがちに口を開く。
「料理、しようと思ったの。ごめんなさい」
煙を逃がすために窓を開け、ひとまず全員でリビングに移った。
ソファに座ると、ロイドが頭を下げた。
「申し訳ありません。私の監督不足です」
「ううん、ロイドちゃんは悪くないよ。私がわがまま言ったせい」
ソファに座ったテュフォンは、膝の上で両手を握りしめていた。
「ロイドちゃんに教えてもらって、オーブンを使ってみようと思ったの。でも……」
言葉が途切れたところで、隣のロイドが口を開いた。
「お伝えした手順通りに操作していただいたのですが、投入された魔力量が規定値を大幅に超過してしまったようです」
「爆発した時、ロイドちゃんと、エリスお姉ちゃんが咄嗟に庇ってくれて……」
エリスへ目を向けると、濡れたタオルで頬を拭いていた。
拭いたところだけ白くなり、代わりにタオルが黒く染まる。
「いやぁ、びっくりだったね。僕は毛先がちょっと焦げちゃったけど、みんな無事だから安心してよ」
テュフォンへ目を戻す。
握り合わせた小さな手にも、火傷らしい跡はなかった。
「……まあ、誰もケガしてないなら、それが何よりよ」
ソファの横に置いていた鞄を引き寄せた。
「この流れで出すのもなんだけど。約束の本、借りてきたの」
料理の本を取り出し、テーブルへ置く。
表紙には、湯気の立つカップの絵が描かれていた。
「明日から、これを見ながら一緒にやってみましょ。私も——」
「もういいの」
テュフォンは、表紙を見ただけで首を横に振った。
ページを開こうとした手が、止まる。
「私、お部屋に戻るね」
「……そっか。分かった」
ソファから下りたテュフォンを、そのまま見送る。
小さな足音が廊下の奥へ遠ざかると、ロイドが立ち上がった。
「遠慮されているのでしょうか。やり方でしたら、私がお教えできますし……もう一度、お話を」
「ローイド」
エリスが、通り過ぎかけた白い袖を軽くつまんだ。
「やりたくないって言ってるなら、無理にやらせなくてもいいんじゃない?」
「ですが」
「今は、ね」
ロイドの足が止まった。
しばらく廊下を見てから、こちらへ向き直る。
エリスも袖から手を離し、私へ目を向けた。
「……そうね」
閉じたままの本へ手を置いた。
「貸出期間は、再来週まであるもの」
そう答えてから、もう一度、リビングの入り口を見返した。




