第10話『最後の一手を引き継いで』
迫りくる蔓をロイドが斬り払っている後ろで、
「エリス。さっきのポーション、出しなさい」
「……ああ。ポケットに入れてたはず……」
エリスのポケットへ手を突っ込み、小瓶を取り出した。
栓を抜き、エリスに渡す。
「飲んで」
「でも、それ、あの魔女ちゃんに——」
「あんたに使うのよ。もともと、そう言って渡されたんだから」
エリスは瓶と私の顔を見比べた。
小さく頷き、一息に中身を飲み干す。
私は空になった瓶を受け取った。
左腕が軋む音を立てて元の形へ戻っていく。
脇腹の傷も、端から少しずつ塞がり始めた。
「……おお。治った」
「立てる?」
「もちのろん」
私の肩を借り、エリスは立ち上がった。
わずかによろめいたものの、今度は倒れずに踏みとどまった。
「でも、まだ貧血っぽーい……がんばれ、僕の造血幹細胞!」
「はいはい。無理に元気アピールしなくても——」
「っと、ごめん。ちょっと跳ぶよ!」
腰を抱えられ、身体が横に浮いた。
先ほどまで立っていた地面に、太い蔓が叩きつけられる。
着地したエリスの足が滑り、近くの幹へ手をついた。
私はもう一度肩を貸し、身体を支えた。
「無事ですか?!」
ロイドが駆け寄ってきた。
左腕には、木の根元に下ろしていたメリンを抱えている。
刀を持つ右腕は袖が裂け、その下に亀裂が走っていた。
「ロイド、その腕……」
「動作に支障はありません。それよりも、あちらを」
指し示された先で、車の窓が砕け散った。
蔓が収縮するたび、車体と幹の間で、金属が押しつぶされていく。
「……まだ、中にいるのよね」
「はい。今も、生体反応があります」
「あの子が作った魔物なのに、あの子まで襲うの?」
「生成と制御は、別の技術です」
ロイドは足元へ這ってきた蔓を踏み砕き、刀の先を上げた。
「幹の上をご覧ください。あそこに、核があります」
太い枝の付け根で、緑色の光が脈打っていた。
樹皮の裂け目から見える、丸い光。
車の屋根より、さらに人二人分ほど高い位置にある。
「今の僕には、ちょっときつい場所だなぁ。ロイド、あそこまで届く?」
「はい。ですが、近くまで行けるかどうか……」
「それなら、任せて!」
エリスが私の肩から手を離した。
頭上から迫る蔓を殴りつけ、怯んだ拍子に蹴り飛ばす。
千切れた蔓が、土の上を跳ねた。
「ほら、ね?」
平然と二本指を立てて見せる。
ロイドはその手を見て、口元を少しだけ緩めた。
「……流石、頼れる護衛係ですね」
「そりゃもちろん。じゃ、今度こそ片付けようか」
エリスが巨木へと向き直る。
「ねえ、ライラ。牧場に来る途中さ、依頼達成したらケーキを買ってくれるって言ったよね?」
「ええ」
「あの魔女ちゃんも誘おう!」
「いいわよ。でも、それなら全員無事に帰らないとね」
エリスが笑った。
「もちろんっ!」
空の瓶を鞄へ入れ、ロイドの前でしゃがむ。
「メリンは私が運ぶ。ロイドは、あの魔物を倒すことに集中してちょうだい」
「ありがとうございます。ですが、ライラ様は……」
「エリスのそばにいるわ。置いていかれないように、ついていく」
ロイドは一度、エリスを見た。
迫りくる蔓を、千切っては投げている。
「承知しました」
背中に、メリンを預けられた。
肩越しに回された帯を胸の前で押さえると、ロイドが留め具を締めてくれた。
「きつくはありませんか」
「大丈夫。行きましょう」
「よし、それじゃ二人とも——行くよ!」
合図とともに、エリスが地を蹴った。
先頭のエリスが蔓を蹴散らし、その隙間から伸びてくる枝を、ロイドが斬り払う。
私は二人の間で、車へ向かって走っていた。
盛り上がった土を踏み越える。
ぬかるみに靴を取られかけ、そのたびに肩の帯を握り直した。
背中でメリンが揺れる。
黄色の髪が、頬へ張りついた。
「ライラ、こっち!」
車を支える根の前で、エリスが手を差し出していた。
その手をつかみ、腰ほどの高さまで盛り上がった根へ足をかける。
引き上げられるように乗り越え、向こう側へ足を下ろした途端、
「しゃがんで!」
頭を押し下げられた。
鋭い風切り音が、頭上を通り過ぎる。
エリスが伸び切った蔓をつかみ、根へと叩きつけた。
私は片膝をついたまま、息を吸った。
「……はぁ、はぁ……っ、でも……」
すぐ目の前に、車のタイヤがあった。
その上のドアは、何本もの蔓に塞がれている。
「お疲れさまー。ここなら、少しは守りやすいかな」
エリスが私の前へ立った。
根の隙間から伸びてくる蔓を引きちぎり、向こうへ放り投げる。
その指先が、小さく震えていた。
「そんじゃ、ロイド。頼んだよ」
「はい」
ロイドが、私の肩から垂れた黄色い髪に目を向けた。
それから、私を見上げる。
「ライラ様」
刀を白い鞘へと納め、小指を立ててみせた。
「約束、楽しみにしていますね」
「……ええ。待ってるわ」
ロイドが小さく微笑んで。
次の瞬間には、巨木へ向かって駆け出していた。
* * *
ロイドは車の側面を駆け抜け、隆起した根を足場に跳躍した。
垂直に近い幹を蹴り、張り出した太い枝へ足をつく。
そのまま姿勢を低くし、枝の付け根へ走った。
何重にも巻きついた蔓の奥で、緑色の核が明滅していた。
「機構を使用します。パターン、黄色」
白い鞘から、刀が引き抜かれる。
今度の刀身は、黄色く輝いていた。
細い雷が、刃に沿って走る。
「参式の制限を解除」
ロイドが枝を蹴り、幹へ踏み込んだ。
「刀型参式『模倣・黄色の一閃』!」
閃光が、樹皮を横一文字に裂いた。
核まであと少し——というところで、刃が止まった。
裂け目の下に潜んでいた蔓が、刀身を強く打ち上げていた。
幹へ食い込んだ刃がしなる。
乾いた音を立てて、刀が半ばから折れた。
「……っ」
折れた刃が、黄色い光を失いながら落ちていく。
蔓が、そのままロイドの顔へ迫った。
手元に残った柄を放し、首をひねって避ける。
頬をかすめた棘が、灰色の髪を数本散らした。
「ロイド!」
下から、ライラの声が届いた。
枝の上へ片膝をついたロイドは、腰へ左手を伸ばす。
そこにあるのは、幅広の片手剣。
留め具を外し、柄を握る。
「——機構の使用を申請……許可」
枝の下を潜り抜けた蔓が、右の足首へ巻きついた。
「最大出力。剣型参式の制限を解除」
黄色い光が、刀身を覆い尽くした。
バチッ、と音を立て、ロイドの周囲へ電気が走る。
蔓が足首を締め上げた。
それを意に介さず、左足を幹のすぐ手前へ踏み出す。
「……メリン。あなたの力、お借りします」
先ほどよりも、一歩深く。
足を払われるよりも、速く。
「剣型参式『黄色の一閃』」
左手の剣が、樹皮の裂け目に叩き込まれた。
黄色い閃光が幹を貫き、その向こう側へ抜けていく。
緑色の核に亀裂が走り、無数の破片となって弾け散った。
足首をつかんでいた蔓から、力が抜ける。
ロイドの瞳に宿っていた光が、瞬いた。
手から滑り落ちた剣が、車の脇の根へ突き刺さった。
ロイドの身体も、その後を追うように、枝の縁から落ちていった。
* * *
灰色の髪が、空中へ広がった。
「——エリス!」
呼び終える前に、白いパーカーが視界から消えた。
根を蹴って跳んだエリスが、両腕を伸ばす。
落ちてきた小さな身体を、胸元へ抱き留めた。
着地と同時に、地面を削る。
数歩よろめいて私のそばまで戻ると、エリスはそのまま、後ろへ倒れ込んだ。
「……せー、ふ」
ロイドを抱いたまま、仰向けに寝転がる。
「ちょっとだけ、休憩させて……」
頭上で、木が軋んだ。
見上げると、亀裂の入った幹が、車とは反対側へ傾いていた。
周囲の木々をなぎ倒し、地響きとともに崩れ落ちる。
私たちを取り囲んでいた蔓も、根の上へだらりと垂れ下がった。
「……核の、破壊を、確認」
エリスの腕の中から、掠れた声がした。
「活動は……停止しました」
「……そう、みたいね。お疲れ様、ロイド」
もう、動く蔓はなかった。
風に揺れる葉の音が、少しずつ聞こえてくる。
すぐ横で、ぎ、と金属が擦れた。
車体を締めつけていた蔓が、自分の重さでずり落ちていく。
その下から、無残にひしゃげたドアが覗いた。
「……あの魔女ちゃん」
エリスが地面へ手をついた。
起き上がろうとして、すぐに力を抜く。
ロイドも、抱えられたまま、指先を少し動かすだけだった。
私は二人の隣へ屈み、胸の留め具を外した。
背中からメリンを下ろし、根のそばに横たえる。
黄色い髪に引っかかった枯れ葉を、一枚つまんで払った。
「ライラ」
呼びかけられて、エリスの方を向く。
「……あとは、任せた」
「ええ」
鞄の奥から、作業用の手袋を引っ張り出す。
片方ずつ、指を通した。
「ちょっと、行ってくるわ」




