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鉄錆の王国  作者: VEPLE
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王にはならない

坑道の天井から滴る水滴が、錆びついた鉄製の救急箱に当たって、不規則な金属音を立てていた。


そこは、かつて炭鉱労働者たちが使っていた古い退避所だった。湿った壁には剥がれかけた緊急避難図が張り付き、床には腐食して半ば泥と同化した木製の長椅子が転がっている。


エリアナは壁に背を預け、携帯用の魔光灯を低い出力で床に向けていた。かすかな薄明かりの中で、彼女の濃紺の外套についた泥が、黒い乾いたかさぶたのように浮かび上がっている。


「ダリウス様は、半年前の冬に亡くなったわ。」


エリアナの声は、湿った空気の中を這うように低かった。

「喉に帝国の魔障毒を受けてね。最後まで、あなたの生存を信じていた。王家の最後の残り火が、どこかで消えずに燻っているはずだと。」


ゼノは工具箱の上に腰掛け、膝の間で両手を組んでいた。

「……あの頑固な騎士長が、毒で死んだのか。」


「ええ。でも、ダリウス様だけじゃない。王都が落ちたあの日から、何百人もの同胞が泥をすすり、帝国の追跡を逃れながら、ただ一つの希望のために命を繋いできた。それがあなたよ、ゼノ。アトラスの心臓たる第一リアクターにアクセスし、王国の機巧技術を蘇らせることができるのは、アトラスの王血を継ぐ者だけだから。」


エリアナの琥珀色の瞳が、魔光灯の淡い光を反射して、熱を帯びたように鋭く燃えていた。

その視線には、かつて王都で共に過ごした幼馴染としての親しみは微塵もなかった。あるのは、数多の屍を越えてきたゲリラ指揮官としての、狂信に近い渇望だ。


ゼノは深く息を吸い込んだ。

肺の奥に入り込むのは、湿ったカビの匂いと、先ほどまで彼を突き動かしていた、あの真鍮の円盤が放つ「焼けた埃のような、どこか甘いオゾンの混じった独特の金属臭」の名残り。


「俺は王にはならない、エリアナ。」


ゼノは静かに、しかし澱みのない声で言った。


エリアナの眉が、かすかに震えた。

「……怯えているの? 十二年前の、あの炎の夜に。あるいは、王家という重荷に?」


「違う。」


ゼノは顔を上げ、エリアナの琥珀色の目を真っ直ぐに見つめ返した。

「怯えて逃げるんじゃない。俺は、王という仕組みがどれほど脆く、壊れやすいかをこの十二年で知っただけだ。どんなに立派な王冠を頭に載せていても、アトラスの調速機ガバナーが狂えば、国はたった一晩で灰になる。現に、あの日の王都はそうなっただろ?」


エリアナは唇を噛み締め、何も言わなかった。


「俺がこの十二年で学んだのは、壊れたものを直す手順だ。」

ゼノは自分の無骨な、タコだらけの指先を見つめた。

「揚水機が止まれば、部品の噛み合わせを調べ、狂った歯車を削り直す。錆びた配管があれば、圧の逃げ道を作って破裂を防ぐ。そうやって、目の前にある具体的な『壊れたもの』に向き合うことだけが、俺の責任だ。王国の復興なんていう、中身のすっからかんな旗を掲げて人を死なせるのが、俺の仕事じゃない。」


「それが王としての、血脈としての責任だと言うのよ!」

エリアナが一歩踏み出し、激しい感情を絞り出した。

「あなたが工具を握って、揚水機を一つ直す間に、帝国は百の村を焼き、千の機巧部品を押収して人々を奴隷にしている! 王の血がアトラスを起動させなければ、この世界全体が、動きながら朽ち果てていくのをただ見守るだけになるのよ!」


「なら、そのアトラスというシステム自体が、最初から壊れていたんじゃないのか?」


ゼノの鋭い返しに、退避所の空気が凍りついた。


「王の血がなければ動かない機械。そのたった一つの歯車が欠けただけで、国ごと自滅する仕組み。それは、設計の段階から致命的なバグを抱えている。そんな欠陥機を、もう一度無理やり起動させて何になる? 直すべきなのは王国の体制じゃない。この狂った機巧世界そのものの構造だ。」


エリアナは息を呑み、絶句した。

彼女の頭の中にある「王国の再興」という絶対の真理が、ゼノの「技師としての視点」によって、根底から揺さぶられたのが分かった。

彼女は怒るよりも先に、ゼノの瞳の奥にある、決して揺らぐことのない確固たる「芯」に気圧されていた。


「……変わったのね、ゼノ。」

エリアナは弱々しく、しかし拒絶するように首を振った。

「あなたはもう、私の知っている優しい王子様じゃない。ただの、冷酷な修理屋よ。」


「ああ、俺は修理屋だ。」

ゼノはひねくれた薄い笑みを浮かべた。

「だから、王冠なんていう何の役にも立たない真鍮の飾り物には、一ミリの価値も感じない。俺の工具箱に入るものだけが、俺の真実だ。」


その時だった。


──ズズズズズ……。


坑道全体の岩盤を震わせるような、地響きじみた重低音が、彼らの背後から響いてきた。


エリアナは即座に魔光灯を消し、懐から短剣を引き抜いて身を潜めた。ゼノもまた、工具箱を抱えて身を屈める。


音は、北坑道の入り口の方角からだった。

帝国軍の大型削岩機が岩を削る金属音と、それに続く、ドロドロとした液状セメントを充填する機巧のくぐもった駆動音。彼らは、点検口から逃げ込んだゼノたちを完全に封じ込めるため、坑道そのものをセメントで生き埋めにする作業を始めたのだ。


「封鎖作業が始まったわ。」

エリアナが暗闇の中で、鋭く囁いた。

「ヘイマー様が稼いでくれた時間は、もう残り少ない。このままここで言い争っていても、二人まとめてコンクリートの壁の奥で窒息するだけよ。」


ゼノは暗闇の中で、深く息を吐き出した。

師匠がその身を呈して作ってくれた隙間を、こんなところで無駄にするわけにはいかない。


「……旧水門水路は、どっちだ?」


ゼノの言葉に、エリアナは一瞬だけ躊躇うような気配を見せたが、すぐに外套の擦れる音を立てて立ち上がった。


「私についてきて。ただし、忘れないで、ゼノ。」

エリアナの琥珀色の瞳が、暗闇の中で微かに光った。

「あなたがどれほど拒絶しても、世界はお前をただの修理屋ではいさせてくれない。安全な場所へ出たら、必ず王国復興への協力を求めてみせるわ。」


「勝手に言ってろ。案内を頼むよ、ゲリラ指揮官殿。」


ゼノは工具箱の取っ手を強く握り直し、エリアナの背中を追って、湿った暗闇の奥へと足を踏み出した。

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