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鉄錆の王国  作者: VEPLE
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壊れた地図

旧水門水路へ続く通路は、湿った赤錆の粉が壁一面を覆っていた。


かつて水流の圧力を制御していた巨大な青銅製の逆止弁が、通路の真ん中で半ば泥に埋もれて傾いている。その錆びたバルブの陰に、ゼノとエリアナは身を潜めていた。上方の排気シャフトからは、遠くで帝国軍が坑道口を塞ぐコンクリートミキサーの、重く規則的なピストン音がくぐもって聞こえてくる。


「一時的に追っ手は巻けたようね。」


エリアナは短剣を鞘に収め、荒い呼吸を整えながら壁に寄りかかった。

「でも、旧水門のメインゲートを越えるまでに、帝国の哨戒線がもう一つあるはず。のんびりしている時間は無いわ。」


「焦るな。壊れた配管を無理に叩けば、破裂する。」


ゼノは冷淡にそう言うと、手元に工具箱を置き、迷いのない手つきで底板のスライド金具を引いた。

カチャリ、と小気味よい音がして二重底が開き、あの真鍮の円盤が姿を現す。さらにその横から、ヘイマーから託された、レノーラの古い革の布袋を取り出した。


「それは……?」

エリアナが怪訝そうに覗き込む。


ゼノは答えず、布袋の結び紐を解いて、中身を錆びた逆止弁の平らな金属面の上に並べた。


──黒ずんだ銀の刻印がある、手のひらサイズの歪んだ金属片。

──煤と油が染み込み、王国の幾何学的な魔導回路が極細の線で描かれた、古い極薄の紙片。

──先端が僅かに曲がった、見慣れない形状の極細のピンレンチ。


「母さんが、俺のために遺した備えだ。」

ゼノはピンレンチを指先で弄びながら、紙片に描かれた図面と真鍮の円盤の側面を交互に見つめた。

「ただの形見じゃない。これは、この円盤を『直す』ための交換部品と、その専用工具だ。」


「直す? その円盤が何だというの?」


「見れば分かる。」


ゼノは円盤を手に取り、その外周に刻まれた不規則な歯車の抜けギヤギャップを指先でなぞった。

そして、歪んだ銀の金属片を取り上げると、その曲がり具合を凝視する。金属片は、何らかの衝撃で僅かに湾曲していた。このままでは噛み合わない。


ゼノは工具箱から小さな平ペンチを取り出し、金属片の端を挟んだ。

ゆっくりと、金属の限界値を見極めるように力を加える。

グ、 と指先に伝わるトルクを感じながら、彼はその歪みを精密に矯正していった。冷たい鉄のしなりが、ある一瞬で正しい直線へと戻る。


「……よし。」


ゼノはペンチを置き、極細のピンレンチを金属片の極小のネジ穴にねじ込んだ。

それを真鍮の円盤の、抜け歯になっている側面の溝へと慎重に滑り込ませる。


カチリ。


驚くほど澄んだ金属音が、錆びた逆止弁の周囲に響き渡った。


その瞬間、円盤の表面に刻まれていた古い王国文字の溝が、微かな青い光を帯びて発光し始めた。

同時に、あの独特の「焼けた埃のような、どこか甘いオゾンの混じった独特の金属臭」が、オゾンの匂いとなって周囲の湿った空気を満たしていく。


「光った……!」

エリアナが息を呑み、思わず一歩踏み込んだ。

「それは、王国の位置情報ナビゲーション地図なの? 第一リアクターへの道を示しているの?」


「違う。」


ゼノは青く光る円盤の文字盤を凝視し、眉をひそめた。


「地図じゃない。この文字の配列は、位置情報というより……機構の『制御システム』だ。それも、装置を動かすためのものじゃない。逆だ。」


「逆……?」


「ああ。この魔導幾何学の配列が意味しているのは、エネルギーの循環を『遮断』し、リアクターを『強制停止』させるためのバイパス回路だ。まるで、暴走する巨大な心臓を、無理やり外側から眠らせるための安全弁セーフティバルブの設計図のように見える。」


エリアナは息を呑んだ。

「強制停止……? でも、王国を支えていたエーテルリアクターは、世界を救うための心臓よ? それを、なぜ眠らせる必要があるの?」


「さあな。だが、母さんはこの円盤と停止用の部品を、俺に遺した。」

ゼノは円盤を工具箱に慎重に戻し、蓋を閉めた。

「アトラスがただの救いの装置なのか、それとも、最初から眠らせておくべきだった怪物なのか。それは行ってみなきゃ分からない。」


エリアナは黙ってゼノを見つめた。

かつて無邪気だった王子が、いまや世界の根幹に潜む『バグ』を見据えるような、冷徹な技師の目をしている。その変化に戸惑いながらも、彼女は実務者としての判断を下した。


「……分かったわ。どちらにせよ、私たちの目的地は同じよ。吸気山脈の地下深くに眠る、第一エーテルリアクター跡。そこに、すべての答えがある。」


「ああ。」

ゼノは立ち上がり、工具箱をしっかりと右腕に抱えた。

「そこに行って、仕組みがどう壊れているか、この目で直接確かめる。直すにしても、止めるにしても、俺が自分の指先で決める。」


「行きましょう。旧水門のゲートを越えれば、山麓への隠しルートが開くわ。」


エリアナが魔光灯を再び細く開き、前方の暗闇を照らした。

二人の間には、王国の復興と機巧世界の真実を巡る、相容れない温度差が横たわったままだ。それでも、二人は暗い錆色の水路の奥へと、並んで歩みを進めていった。


背後で、帝国軍の削岩機の音が、徐々に遠ざかっていく。

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