錆びた町の朝
アイゼンベルクの廃鉱町に、錆びついた真鍮色の朝の光が差し込んでいた。
凍てつく寒気と、山脈から吹き下ろす魔障毒の冷たい霧。そのなかで、町を支える古いエーテル揚水機や空気濾過装置は、「コト、コト……」と最低限の圧力を維持しながら、力強く息を吹き返していた。
ゼノが命がけで組んだ第三バイパス配管は、正常に機能している。町の人々は救われたのだ。
だが、ゼノとエリアナは、その町を見下ろす古いボタ山の影に身を潜めていた。
「……戻れないわね。」
エリアナが、朝霧の向こうを見つめながら静かに呟いた。
その視線の先、町の入口には、帝国軍の「鋼灰色」の装甲馬車が立ち並び、急造された検問所に魔導歩兵たちが銃剣を構えて張り付いていた。
ゼノが暮らしていた「グレイ機巧修理店」の錆びたトタン屋根の周りにも、帝国兵たちの影が絶えず徘徊している。工房の窓ガラスは乱暴に割られ、内側は徹底的に捜索された後だった。
「帝国の監視は、昨日の十倍は厳しくなっている。あそこへ戻れば、一瞬でギデオンの部隊に包囲されるわ」
ゼノは無言で、朝霧に霞む自分の工房を見つめ続けた。
あの油と赤錆の匂いが満ちた小さな作業台。毎日、近所の住民が持ち込んできた壊れた鍋や、錆びた揚水弁を直していた、平穏で小さな日々。
そのすべてが、もう手の届かない彼方へと去ってしまったことを、彼は冷酷な現実として理解していた。
「ヘイマーは……」
ゼノは、かすれた声で尋ねた。
エリアナは悲痛な面持ちで首を振った。
「情報屋のレムを使って探らせたけれど、あの襲撃の夜以降、ヘイマーの消息は完全に途絶えているわ。帝国に連行された記録も無い。……生き延びてどこかに隠れているのか、それとも……」
エリアナは言葉を濁した。
消息不明。生死すら分からないという、割り切れない重い沈黙が二人の間に流れる。
ゼノはきつく拳を握りしめ、それから、ゆっくりと力を抜いた。
ヘイマーが最後に遺した「レノーラの布袋」と、自分が背負っている「グレイ工房の古い工具箱」。その二つの重みだけが、老技師が確かにこの世界に存在し、自分にすべてを託した証だった。
ゼノは懐から、古い真鍮製の工房の鍵を取り出した。
もう二度と、あの扉を開けることはない。
彼はその鍵を、足元の赤土の泥水の中へと、静かに落とした。チャポン、と小さな音がして、鍵は濁った泥の底へと沈み、見えなくなった。
「……行こう。」
ゼノは前を向いた。
「どこへ行くの?」
エリアナが、その琥珀色の瞳でゼノを真っ直ぐに見つめた。
「世界の故障を直しに行くんだ。アトラスの各地にある他のリアクターが壊れかけているなら、俺が全部直してみせる。あんたたちの『折れたる獅子』も、帝国から逃げ延びるために、技師の旅についてくるだろ?」
エリアナの唇に、確固たる笑みが宿った。
彼女は左手首の「折れた木剣の柄」を強く握りしめ、ゼノの隣に並び立つ。
「ええ。どこまでもついていくわ、私たちの技師さん」
二人は朝霧のなか、故郷の町に背を向け、アトラスの東の空へと歩み始めた。




