折れた獅子
ゴゴゴゴゴゴ──。
ドックの底から、地鳴りのような重低音が響き渡った。
ゼノが引き下ろした漆黒のレバー。それが、何十年もの間アトラスの大気を濾過し続けてきた第一リアクターの心臓を、物理的に完全に遮断したのだ。
激しく回転していた真鍮のギアが、軋む金属音を立ててその速度を落としていく。
同時に、ドック全体を支えていた気圧が急激に変化し、岩盤がきしみ始めた。天井から、赤錆びたボルトや大小の岩片が、激しい雨のようにバラバラと落下して床の水溜まりを跳ね上げる。
「莫迦な……! 本当にアトラスの心臓を止めおったか!」
ギデオンが初めてその冷徹な仮面を剥ぎ取り、驚愕の声を上げた。
彼の頭上に巨大な岩塊が落下するが、スレートグレーの甲冑から展開された魔導シールドがそれを弾き飛ばす。
「全員後退! ドック全体の支柱が崩壊するぞ! 脱出経路を確保しろ!」
ギデオンは即座に合理的な判断を下し、部隊に後退を命じた。崩落する瓦礫の壁が、ギデオンの部隊と、ゼノたちがいるコンソールの間を物理的に遮断していく。
「エリアナ! 今よ!」
ミラが崩落の煙の中で叫んだ。
「ゼノを連れて退きなさい! この混乱に乗じて彼を我々の管理下に置けば、たとえ第一リアクターが止まろうとも、別の拠点にある遺物で王国再興の旗は──」
「違うわ、ミラ!」
エリアナは激しく首を振った。
彼女の視線の先では、崩落する岩片を避けて逃げ惑う若い抵抗組織の兵士たちが、次々と瓦礫に足を挟まれて倒れ込んでいた。悲鳴と怒号が、暗いドックの中に反響する。
左手首に結びつけられた「折れた木剣の柄」が、彼女の皮膚をきつく締め付け、血を滲ませるような痛みを伝えてくる。
父ダリウスの背中。あの滅亡の日、王国のために死んでいった無数の騎士たちの冷たい死顔が、脳裏をかすめる。
(私は、また同じ過ちを繰り返すの?)
(王国という、すでに滅びた夢の旗を守るために、いま目の前で生きている彼らを犠牲にするの?)
「エリアナ! 早くしなさい!」
ミラの鋭い催促。
だが、エリアナの琥珀色の瞳から、迷いは完全に消え去っていた。
「……折れたる獅子! 全員、戦闘を中止して撤退しなさい!」
エリアナは喉が裂けるほどの声で叫んだ。
「怪我人を担いで、今すぐこの旧水門から脱出するのよ! 生きてここを出なさい!」
「エリアナ!」
ミラが信じられないという表情で叫ぶ。
「王国再興の悲願を、ここで捨てるというの!?」
「旗は何度だって立て直せるわ!」
エリアナは鎖鞭剣を鞘に納め、真っ直ぐにミラを見つめた。
「だけど、死んだ人間は二度と直らない! 壊れた機械とは違うのよ! 私はこれ以上、同胞の命を夢の生贄にはしない!」
それは、かつて通信機を修理した夜にゼノが漏らした、静かな痛みの言葉への、彼女なりの答えだった。
王国再興の冷酷な指導者ではなく、目の前の命を救うための、真の「指揮官」としての決断。
エリアナの命令に従い、古参兵たちが怪我人を抱え上げ、崩落するドックから次々と退却し始めた。ミラは悔しげに歯を食いしばったが、エリアナの揺るぎない眼光に圧され、最後に短く吐き捨てて退避の指揮へと戻った。
「ゼノ!」
エリアナは瓦礫の雨の中を駆け抜け、コンソールにしがみついているゼノの手を強く掴んだ。
「行くわよ! ここももう持たないわ!」
「ああ……。第一リアクターは完全に眠った。中枢の底へ抜ける安全なハッチがこっちにあるはずだ!」
ゼノはレンチを工具袋にねじ込み、エリアナの手をしっかりと握り返した。
二人は崩れ落ちるドックの背後を振り返ることなく、暗い中枢の奥へと走り出した。




