ギデオンの取引
「無駄な血を流す必要は無い、少年」
ギデオンの平坦な声が、静まり返ったドックに染み渡った。
スレートグレーの魔導甲冑のバイザーの奥で、彼の琥珀色の光が冷たくゼノを射抜いている。
「取引をしよう。お前が素直に我々の回収に応じ、帝国の魔導局へ同行するならば──あの廃鉱町アイゼンベルクの全住民の安全、そしてお前を匿っていた『折れたる獅子』の残党たちの命を、帝国の名において保証する。指揮官であるそこの女も含めてな」
「ゼノ、耳を貸しちゃ駄目よ!」
エリアナが鋭く叫び、鎖鞭剣の刃をギデオンに向けた。
「帝国が約束を守るはずがない! 奴らはあなたを檻に閉じ込め、死ぬまでアトラスの鍵として消費する気よ!」
「嘘は言っていないさ」
ギデオンはエリアナの言葉を平然と受け流し、一歩も動かずにゼノを見つめ続けた。
「我々は暴虐を楽しんでいるわけではない。生き延びようとしているのだ。少年、お前はアトラスの大地が、毎年42メートルずつ高度を下げている事実を知っているか?」
ゼノの身体が、微かに強張った。
「大陸沈下……?」
「そうだ。旧王国のリアクター群が沈黙し、濾過システムが目詰まりを起こしているからだ。このままアトラスが地底の砂の海へ墜落すれば、大陸の全人類が滅びる。帝国が王家の血脈と技術を躍起になって追うのは、世界の延命にアトラスの『完全な再起動』が必要だからだ。お前の血と知識が、そのための唯一の鍵なのだ」
ギデオンの言葉には、冷酷なまでの合理性と、重い「真実」が宿っていた。
帝国もまた、単なる邪悪な支配者ではない。彼らは彼らなりのやり方で、世界の崩壊を食い止めようと必死に戦っている「もう一つの正義」だったのだ。
ゼノは、泥水に濡れた己の指先を見つめた。
帝国の言うことは、理屈としては正しいのかもしれない。自分が大人しく帝国へ行けば、エリアナも、町のみんなも、命だけは助かるのかもしれない。
だが──。
「……やっぱり、あんたたちのやり方は間違っているよ」
ゼノは静かに顔を上げた。その瞳には、迷いは消えていた。
「アトラスを救うためなら、誰かの家族を人質にして、脅して、無理やり機械を回し続けさせる。そんな歪んだやり方で無理に延命したって、結局のところ、その機械はまたすぐに暴走して壊れるだけだ。あんたたちが言っているのは、修理じゃない。ただの『寿命の引き延ばし』だ」
ゼノは、目の前で心地よいハミングを立てている第一リアクターを振り返った。
その中枢回路の深部で、金線が静かに、しかし限界を告げるように細かく明滅しているのが見えた。王家の血脈が、ゼノの脳裏に静かな「終わり」を告げていた。
「この第一リアクターは、もう寿命なんだ。バイパスで一時的に誤魔化したって、あと数ヶ月もすれば、今度は内側から完全に崩壊する」
「ならばどうする?」
ギデオンの声に、初めて苛立ちの混じった魔導の圧力が加わった。
スレートグレーの甲冑の表面を、青白いオゾンの火花がパチパチと走り始める。
「我々に同行するのを拒むというなら、力ずくで捕縛するだけだ。手足の数本を失っても、認証のコードとしては機能する」
「逃げも隠れもしないさ」
ゼノはメインコンソールの中央、二重にロックされた真鍮の緊急保安カバーを物理的に引きちぎった。
その奥に眠っていたのは、アトラスの循環系からこのリアクターを安全に切り離し、眠りにつかせるための、漆黒の「完全停止レバー」だった。
「俺は技師だ。寿命が尽きた機械を、無理に回し続けることはしない。俺は──この第一リアクターを、今ここで完全に停止させる!」
「狂ったか!」
ギデオンが初めて怒号を上げ、魔導甲冑の推進器を起動して突進した。
「アトラスの心臓を永久に一つ失うつもりか!」
ゼノはギデオンの突進を恐れず、両手で黒いレバーをしっかりと握りしめた。




