町を救うか、世界を見るか
「アイゼンベルクの供給が、止まった……」
ゼノの声は、かすれて消えそうだった。
コンソールに張り付いたまま、彼はその小さなメーターの指針を見つめ続けた。ゼロを指して二度と動かない黒い針。それは、廃鉱町からすべての光と熱、そして空気の濾過装置が停止したことを意味していた。
「ゼノ。」
背後から、エリアナが静かに歩み寄った。
その足音は、水浸しの床を踏んで重く響いた。彼女の琥珀色の瞳には、動揺ではなく、冷徹な「覚悟」が宿っていた。
「……それが、技師としてのあなたの限界よ。そして、ここからは『王』としての選択をしなければならない」
「なんだって?」
ゼノは振り返り、エリアナを睨みつけた。
「アトラスの高度低下を防ぐために、この第一リアクターを自壊させるわけにはいかないわ。下層の町一つが暗闇に沈むとしても、施設全体を守ることが最優先される。私の父、サー・ダリウスなら、迷わずそのように命じたはずよ」
エリアナの声は、かつてないほどに低く、引き締まっていた。
それは幼馴染としての彼女のものではない。泥と血にまみれて抵抗組織を率いてきた、冷徹な指揮官としての言葉だった。
「議論の余地などないわね」
ミラが短剣を鞘に納め、冷たく言い放った。
「たかが下層民の鉱山町よ。エーテルが数日止れば、魔障毒と寒冷気流で全員が凍りつくでしょう。けれど、アトラス全体が墜落すれば、大陸の数百万の民が死ぬ。天秤にかけるまでもありません」
ギデオンもまた、無言でゼノを見つめていた。
帝国の実務官として、彼はエリアナたちの冷酷な計算を「妥当」だと判断していた。旧王国の遺物を守るためなら、多少の辺境民の犠牲など、帝国にとっても些末な必要経費にすぎない。
「天秤だと?」
ゼノは立ち上がり、汚れた袖で額の脂汗を乱暴に拭った。
「天秤にかけて、軽い方を切り捨てる。そうやって犠牲の数を比べて、仕方がないって笑うんだろ? だから親父も、あの古い王国も、全部滅びたんだ!」
「ゼノ!」
エリアナの声に、悲痛な響きが混じる。
「俺は王になんてならない。そんな王冠、最初から欲しくもねえ!」
ゼノはコンソールを振り返り、その真鍮の操作盤を両手で強く掴んだ。
「王様なら、軽い方を切り捨てて満足するのかもしれない。だけどな、俺は技師だ。技師の仕事は、どっちを切り捨てるか選ぶことじゃない。壊れたものを、両方とも直すことだ!」
その瞬間、ゼノの脳髄を凄まじい頭痛が突き抜けた。
王の血脈が、彼の視界を白く染め上げる。頭蓋の裏で、第一リアクターの地下に張り巡らされた無数のパイプラインが、血管のように赤く青く点滅して拡張した。
(濾過機能を完全に殺さず、かつアイゼンベルクへのバイパスを維持する──)
血脈の濁流が、ゼノの脳裏に古い設計図の「影」を投射した。
それは、通常のメンテナンスハッチの奥、何十年も前に錆びついて放置されたままの「放棄された並列配管」だった。
「……ある。ここだ!」
ゼノはコンソールの側面、赤錆びた鉄板の隙間に指をねじ込んだ。
爪が剥がれ、血が滲むのも構わず、彼はそのカバーを力任せに引きちぎった。
バキバキと凄まじい金属の引き裂き音が響き、中から泥と古い機械油に塗れた、太い真鍮製の並列バルブが姿を現した。
「これを繋ぎ直せば、濾過系統を半分生かしたまま、アイゼンベルクへの最低限のエーテル圧を維持できる!」
「馬鹿な、その配管は初期設計で閉鎖されたはずだ」
ギデオンが初めて動揺した声を上げた。
「数十年の赤錆と王国の刻印ロックで固着している。生身の手で回せるはずがない」
ギデオンの言う通りだった。
真鍮のバルブノブには、古い王国製の「二重刻印」が施され、まるで頑強な牙のように固く噛み合っている。びくともしないバルブの前で、ゼノは両手をかけ、歯を食いしばった。
「ヘイマーなら……こういう時、どうやって回す……!」
ゼノの脳裏に、かつて工房の片隅で、錆びついた揚水弁を無言で叩き開けていた老技師の「手の動き」が、鮮烈に蘇ろうとしていた。




