開かない扉
「さあ、殿下! その扉に手を! あなたの血があれば、扉は開くはずです!」
古参兵の一人が、切迫した声で叫んだ。
背後の巨大な水門ゲートからは、帝国軍の魔導榴弾が着弾するたびに、ズズン、と重い地響きと振動が伝わってくる。ゲートの鋼鉄板が熱で微かに歪み始めている。残された時間は、もう数分も無い。
ゼノは、目の前に立ち塞がる巨大な鋼鉄扉を見上げた。
長年の赤錆と湿った苔に覆われたその表面には、王国の「監視者の整備刻印」が、複雑な幾何学模様となって刻まれている。
「何度も言わせるな。」
ゼノは冷たく言い放った。
「王家の血は、触れば何でも開く万能の呪文じゃない。これはただの、極めて厳重な『セキュリティ・システム』だ。」
「でも、ゼノ……!」
エリアナが焦燥を帯びた琥珀色の瞳でゼノを見つめた。
「開けなければ、私たちはここで袋のネズミよ!」
ゼノは小さく舌打ちすると、意を決して工具箱を置き、扉の中央に施された銀の刻印へと両手を這わせた。
その瞬間。
「ッ……!」
ゼノの喉から、短い悲鳴が零れ落ちた。
両手のひらから、まるで沸騰した鉛を流し込まれたような激痛が走り、脳髄を直撃したのだ。
脳内に、アトラスの中枢ネットワークの設計思想が、膨大な情報の濁流となって一気に流れ込んでくる。三次元の歯車配列、マナの伝達回路、歴代の監視者たちの使命感に似た「王の残響」が、幻聴のように耳の奥で激しく鳴り響く。
激しい頭痛と眩暈、あるいは内臓を掴まれるような吐き気がゼノを襲った。
膝の力が抜け、床の泥水へ崩れ落ちそうになったその身体を、エリアナが横から必死に支えた。
「ゼノ! 大丈夫!?」
「触るな……頭が割れる……」
ゼノは額に青筋を浮かせ、脂汗を流しながら、必死に目の前の扉の構造を凝視した。
血脈の共鳴によって、扉の「内部の故障」が直感的に脳裏へ浮かび上がる。
(……やはりそうだ。血による認証ラインは生きている。だが、物理的なアナログギアの噛み合わせが、十数年の経年劣化で固着して死んでいる。血の魔法だけじゃ、この扉は一ミリも動かない!)
「工具だ……」
ゼノはエリアナの体を押し返し、震える手で工具箱を開けた。
彼は精密ドライバーと太いバールを取り出し、刻印の右下にある、小さな真鍮製の非常アクセスポートのネジ穴に先端を噛み合わせた。
手順だ。力ではない。
ボルトの錆を力でねじ切り、カバーをこじ開ける。カチャリと音がしてカバーが外れ、内部のアナログな安全ピンが露出した。
ゼノはレノーラの布袋から「極細のピンレンチ」を抜き出し、迷いなくそのポートの奥深くへと滑り込ませた。
暗がりのなか、指先の感覚だけを頼りに、固着したピンの逃げ道を探す。
「そこだ……!」
ピンレンチを「臨界の強さ」で一気に押し込む。
カチリ、と小気味よい音がした瞬間、ゼノの指先から、ほんの一滴の血が認証用の感応石へと滴り落ちた。
システムが、最後の「監視者」を認識する。
ギギギギギギ……ガガガッ……!
重厚な、そして錆びついた巨大な歯車が噛み合う轟音が、通路の壁に反響した。
巨大な鋼鉄扉が、長い眠りから覚めるように激しく振動し、ゆっくりと、人一人がようやく滑り込める程度の「僅かな隙間」を開けたところで、悲鳴のような金属音を立てて停止した。物理的なシリンダーが限界を迎えて固着したのだ。
その瞬間。
ぶわり、と扉の隙間から、強烈な突風が吹き出してきた。
それは、通路の湿った匂いとは全く質の違う、**「焼けた埃のような、どこか甘いオゾンの混じった独特の金属臭」**の塊だった。
あまりに濃厚な古いエーテルの匂いに、ゼノは激しく咳き込んだ。
「開いたわ!」
エリアナが喜びの声を上げたが、ゼノの表情は凍りついたままだった。
扉の奥から漏れ出てくるエーテルの脈動は、あまりに不規則で、まるで怒り狂う心臓の鼓動のように激しく波打っていた。第一エーテルリアクター。その古代の心臓は、彼らを救うために眠っているのではない。
暴走し、世界を壊しかねないバグを抱えたまま、暗闇のなかで彼らの到来を待っているのだ。
「急ぎましょう! 帝国兵がすぐそこまで来ているわ!」
エリアナが短剣を握り直し、開いた隙間へと滑り込んでいく。
ゼノは頭痛をこらえながら工具箱を抱え直し、不穏な風の噴き出す暗闇の奥へと、自らの足で一歩を踏み出した。




