第5話 グリウェンテ王国
穏当な空気。心地良い揺れ。幌の口から覗く田園風景。
腹の探り合いのようなタフな交渉が一段落し、馬車の中に平穏が訪れる。
息苦しさから解放されたように襟元を緩めた沢口がビジネスバッグからタブレット端末を取り出し、何やら操作してスケジュール表を画面に表示させた。それをエウリナが覗き込んで確認する。
「王都に到着後、宿屋グランゼラで定期打ち合わせ。次に冒険者スギヤマさんと打ち合わせ。その後、転送魔導士によりスランジャルバ王国の衛星都市・メルデアへ移動ですね…………昼食は訪問先で食べますか?」
彼女はもう電子機器に慣れているので飛び上がって驚いたりはしない。そんな彼女も初見の時はたいそう目を丸くし、何の魔法ですかこれはと言っていたものだった。スマートフォンやタブレットの画面を初めて見た異世界人の模範的な反応である。それが今では多田や沢口と普通に画面を見ながら喋るのだから順応とは恐ろしきものである。
「はい」
「メルデアからタボ村へ馬車で移動。タボ村でツアーの企画と営業。帰りは行きのルートを逆戻りするだけ。グリウェンテ王国に戻ってくるのは夕方4時を予定…………はい、分かりました。危険性のあるルートは無いのでこちらからの随行員は付けません。帰りの案内人は4時頃転送所に向かわせます。行きは私が転送所まで同行します。スランジャルバ王国向けの証明書は転送所でお渡しします。グリウェンテ王国内での一時滞在許可証と身分証はこの場でお渡しします」
そう言ってエウリナは布袋からバッジとカードを取り出し、沢口と多田に渡した。バッジは拳大より一回り小さく、金属の台座に赤白マーブル模様の宝石が嵌め込まれている。カードは金属製で紋章らしき彫刻が施されていた。沢口も多田もバッジをワイシャツに取り付け、カードはポケットにしまう。
「そういえば紙の技術提供の話、進んでますか?」
多田が話を振るとエウリナは頷いた。
「あれほど早く話が進んだ事例は他にありません。日本国から献上頂いたトイレットペーパーを好奇心のお強いランセル王子が使ってみたところ、その場で侍女をお呼びになったそうです。そしてランセル王子は侍女カタリナに言いました……『感動した‼』」
「…………あー、それは……トイレから出るまで待てないほどだったと?」
「はい、用を足したそのままのお姿で仰ったそうです。カタリナは最初、侍従長にはあれは薬物か何かの症状ではないかと報告したとか。それからというものランセル王子はトイレットペーパーに憑りつかれたように内装を替えました。トイレのトイレットペーパー用の台、予備用の台、そしてご自分の部屋にトイレットペーパーを飾るためのオブジェ、トイレットペーパーを画家に描かせた絵画など、多くの調度品を交換したり追加したりしました」
それを聞いて多田は苦笑いした。それは王子の奇行よりも昔の記憶がよぎったからだった。
『私が来たからには、私色にしたいじゃない?』
そのような事を言って家の内装を全て一新してしまったのは、父の再婚相手だった。それまでベージュだった壁紙は赤系に替えられ、トイレ内はオレンジ色、鍋やケトルはステンレスだったのが赤いホーローへ。冷蔵庫は白だったのが黒へ。殆どありとあらゆる物が替えられてしまった。まるで親の仇の様に、それまでの色を一掃してしまったのだ。一番印象に残っているのはトイレットペーパーの見せる収納というやつ。それはトイレの室内に設置され、新しい母にとってはオシャレだったんだろうが俺にとってはそれがダサいと感じていて、トイレに入る度に目に付くので嫌だった。
『まるで別の世界だ』
一新された内装を見て父はそんな愚痴を零していた。今思い返せば父も別の世界という言葉を口にしていたんだな。これも俺を異世界の業種へ向かわせることになった一因だろうか?
そんな昔の記憶がよぎったことをおくびにも出さず多田は話を続ける。
「いやーそれはハマリ過ぎですね。薬物の症状を疑うわけですよ」
「ランセル王子が強く推すので他の王族の方々や侍従達、近衛隊で使ってみたところ……素晴らしいとの意見が殺到し、とんとん拍子で話が進むことになりました。私もこっそり使わせてもらいましたが、あれは素晴らしい技術だと確信しました。皆さんの世界ではあれは常備されているのですか?」
「あのー、はい。えー……ただ、日本のトイレットペーパーは他の国にはあまり無いタイプの……あのー平たく言えばちょっと特別仕様なんです」
多田は説明に困った。トイレに流せるタイプのものは日本以外に一切無いのかリサーチしたわけでもないので言い切るのも憚られる。それから、アメイズはトイレが水洗ではなく、ブツは農業に使用するらしいので、日本が献上したトイレットペーパーはそれを考慮した特別仕様にしたらしい。だから日本のトイレットペーパーは水に流せると言ったとしてもアメイズの人には意味が通じないのだ。こうした事情があると説明が非常に難しい。
「今は日本国の技術者が来て、こちらの世界にある物でどうやってトイレットペーパーを作っていくか研究していただいています。王国としてはトイレットペーパーを作る機械をいただいてもそれを修理したり作り直したりすることができませんので、こちらの世界に合わせていただけるのは助かります」
「私もそれが良いと思います」
多田が考えているのは環境を守ろうといった良心ではなく、機械がこちらの世界で動いていると観光価値が減ってしまうのでこちらの世界を壊さないやり方が良いという、あくまでビジネスの思考だった。異世界ツアーに参加する人達は非日常を求めている。
「紙は紙でも書類作成に使う紙の方はどうですか?」
そう聞く沢口にエウリナは淡々と返す。
「そちらの方はちょっと王国側としては辞退させていただこうかという方向になっています。確かに献上いただいた紙の質は王国の物より高いのですが、現状でも王国にあるのでそこまで必要性は無いだろうというのが王家の考えです」
この辺りの受け答えは彼女にしては珍しく硬質なものであり、彼女が王室広報官であることを認識させられる。あざとさや硬質さがパッと切り替わるのは、彼女が場面によって顔を使い分けているからだ。果たして幾つの顔を持っているのか……
「そうなんですか。とはいえ我々の方もツアー販売向けのパンフレット以外はあまり紙を使わないようになってきていますからね……これとかで済ませてしまいます」
そう言って沢口はタブレット端末を顔の高さまで掲げて見せた。
「それは便利ですよね。何回でも書いて消せるんですよね。あと、視たものをそのまま書き写してくれる写真というのも面白いです。翻訳する機能も素晴らしいと思います。こちらの世界では言語の違う相手の言っていることを理解できるのは高位の魔導士だけです」
「うーん、言わばこの翻訳アプリは……魔法とも言えるかもしれません」
沢口の言葉を聞いて多田がああそれは、と思い付いたことを言ってみる。
「高度な技術は魔法と区別が付かないとかいうやつですよね?」
「そうそうそれ、誰が言ったんでしたっけ。えー……クラー……ク?」
「クラークは少年よ大志を抱けじゃなかったですか?」
「あれ? …………じゃあ誰だろう?」
「コナン・ドイル?」
「いやーコナン・ドイルではなかったと思います。何かこう、偉い人」
「水戸黄門」
「水戸黄門は関係無いと思いますよ」
「じゃあ助さん」
「手当たり次第になっていきそうなので止めましょう。とにかく誰か偉い人が言ったってことで」
「そうです、何か言った人は偉い人です」
多田はもはや誰の事を話していたのかもどうでも良くなっていた。何か良い事言った人は偉い人だ、多分。それで良いし誰だか分からなくて良い、これがおっさんの会話である。もう少しすればあれあれあの人誰だっけ、何かあの人って感じであれとかそればかりの会話になっていくはずだ。
そうしてお喋りしている内に馬車が減速を始めた。王都に到着したのだ。
エウリナは馬車がだんだん止まろうとしているところで意味ありげに話し始めた。
「これはちょっとした情報ですが……」
馬車が止まった。
「……皆さんの行先を、調べている人達がいます」
馬車内の狭い空間に緊張が走る。
彼女は多田達を案ずるような表情をしている。その言葉の意味するところは何なのか。多田は思い付いたものを口にしてみた。
「……横取り業者、ですか?」
すると沢口が真剣な目つきになり、顎に手を当てて考え込んだ。その時に丁度光が眼鏡に当たってキラリと光る。
これは何かあるのではないか……多田とエウリナは次の言葉を待った。
皆制止したまま4秒が過ぎる。
そして徐に沢口が口を開いた。
「……今回の案件は……『先着占有』なんです」
それはとても重い口調だった。
「先着占有……」
多田は目を見開いた。先着占有とは『最初に交渉が成立した1社のみがツアーを企画化できる』という意味だ。多田は衝撃を受け、思わず確認のために分かりきった質問をしてしまう。
「……って、あの先着占有ですか?」
これがバトル漫画であれば劣勢になった時に『実は隠し技があるんだが代償が大き過ぎて使うのを躊躇っていた』とか『実は使ってはいけない禁忌の力を封印していた』とか言うシーンのはずだ。それがビジネスマンの場合は『実は大きい利益を生む話があった』というものになる。バトル漫画と比べると地味だがこれらは同列の衝撃である。
沢口は深く頷いた。
「村長は最初に辿り着いた者にのみ伝承を教え、交渉すると言っているのです」
どうやら間違いのない事実のようだった。
「…………金の卵どころか、白金までいきますねこれ」
多田は思わず胸が高鳴る感覚になった。
独占。
ビジネスにおいてそれは禁断の響きである。独占禁止法なんてものもあるくらい独占というのは特別なものなのだ。
一つの場所を独占できた場合の利益は莫大だ。それは自分の成績に顕著に反映されるので、ボーナスや昇進にも影響してくるのである。今から楽しみでしょうがない。
沢口がエウリナに質問する。
「我々のことを嗅ぎ回っているのは日本人ですか? それとも日本と違う国の人?」
「日本国の人ではありません。見た目は日本の人に似ていますが発音が違っていた、と聞いています。この情報は……スランジャルバ王国の案内人から入手したものです」
沢口とエウリナはしばし視線を合わせた。互いに何かを感じ取るように。それから沢口もエウリナも示し合わせたように口の端を歪めた。
「…………なるほど。情報提供ありがとうございます」
そう言って沢口はアメイズの通貨を取り出し、エウリナに渡した。エウリナは貰ったお金の枚数を確認すると色っぽい視線を沢口に送った。
「サワグチさんはもっとハンサムですよね?」
笑顔を凍り付かせる沢口。
迷った末に沢口は降参し、追加の硬貨をエウリナに差し出した。
「……あのー、…………あーしょうがないか、エウリナさんには敵いませんね。だんだん要求上がってきてません?」
エウリナはそれを聞かなかったことにしてパッと咲くような笑顔になった。
「私は情報の価値が分かる人が大好きです! サワグチさんはハンサムです!」
彼女はまったくもってやり手のビジネスマンだ、と多田は感心した。気を抜くと全財産持っていかれそうである。ここまで来ると呆れというより感心してしまう。しかし良い情報を貰った。日本人に似ていて日本語じゃない言葉を話すといったら、多分……
異世界観光業界はライバルが多い。日本国内にもライバル社はいるし、外国の企業も続々と参入してきている。利益を伸ばしたい企業にとって他社の企画を模倣したりあわよくば横取りしたりしようと目論むのは自然な流れだ。多田達が所属するMTCJ社は最初に参入した企業であり、これまで生み出したツアーは全てオリジナル。常に他社から企画を狙われる側だ。
エウリナを先頭に馬車を降りる。馬車の停車場には続々と馬車が入ってきている。場内の隅に平屋の建物があり、降車した人々はそこへ向かっていく。多田達も建物へ向かった。
建物内は長い机に何人もの受付係の者が立っており、そこで入国審査を受けた。審査が終わると建物を出て、街へ足を踏み入れる。まさに中世ヨーロッパという感じの王道ファンタジーの景色が広がっていた。王都へ到着だ。
「さあ行きましょうか。両替は大丈夫ですか?」
エウリナがそう確認すると多田は沢口に視線を向ける。日本から持ってきた現地通貨が足りるかどうかは営業が判断することだ。沢口は頷いた。
「大丈夫です。では行きましょう」
日本円やアメリカドル等がアメイズで現地通貨と両替できるようになったのは最近のことだ。それまでは現地通貨を手に入れるためには物々交換よろしく食料を始めとした物品を王国に売却する必要があった。多田は去年までは物品満載の荷車を引いて現地通貨を手に入れる作業を手伝っていた記憶がある。
街には賑わいがあり、子連れの者、農具を持っている者、集まってお喋りしている集団、見回りをする兵士など様々だ。多田や沢口は現地民と服装が異なるためすぐ余所者だと分かってしまう。だが現地の人々も別世界からの訪問者を見慣れているのか、多田達を一瞬気に留める者はいても凝視してくる者はいない。
しばらく歩いていくと冒険者達が通りを横切っていくのが見えた。背中に剣を背負っている精悍な顔の剣士やローブを纏った老人、最後尾にはモンスターらしき生物もいる。この世界では条件が揃えばモンスターを仲間にできるそうで、冒険者と一緒にいるモンスターは街中で暴れることは無い。グリウェンテ王国の周辺に危険な場所は無いため、この冒険者一行は休みに来ているか、どこか別の国へ行く途中に立ち寄った感じだろう。多田はモンスターの姿を見てエウリナに尋ねる。
「あのモンスターは何ていう名前ですか?」
「ミナンケーです。戦闘ではあまり活躍できませんが、舌が伸びて蠅や蚊を捕ってくれるので生活では役立ちます」
モンスターの見た目は二足歩行のカエルといったところであるが、両腕が自身の膝に届くほど長い。可愛いとは言えないが眠そうな顔つきでどことなく愛嬌がある。
「それは……地味に役に立ちますね」
多田はポケットからスマートフォンを取り出しつつこのモンスターがパンフレットに載った場合にウケるかどうかを想像してみる。うーんどうなるか何とも言えないというか。一見して可愛くなくともキモカワ路線で意外なものが人気が出たりすることもあるしなあ。
「蚊を捕ってくれるのって結構凄いと思いますよ」
そう評した沢口には好印象だったようで、多田とは温度差があるようだった。
「え、そうですか?」
「何せ夏場は蚊の地獄じゃないですか! 蚊のせいで眠れない時、ありません?」
「あー、あの寝ようとしたところでプゥ~~~ンとか来るやつですか?」
「そうそれです。あれはもう頑張って寝ようとしても無理じゃないですか。最終的には眠い目をこすって電気つけて、バチッとやるしかないでしょう? それが無くなるんですよ、物凄いことですよ」
「んー…………まあ、確かに考えてみると凄いかもですね、地味に。あ、写真撮り逃した」
スマートフォンを取り出したまでは良かったものの、話している間に冒険者一行は見えなくなってしまった。
「また見かけた時に写真すれば良いと思います」
エウリナが慰めの言葉をかける。彼女はまだ写真のことをきちんと理解していないのか、写真を撮るという風には言わない。この言葉が後押しとなり、多田は走って冒険者一行を追いかけることまではしなくて良いかと思い至った。
「ま、そうですね」
多田は肩を竦めてスマートフォンをポケットにしまった。




