第17話 タボ村へ
馬車がこちらへ向かってやってきている。
それはこの場ににわかに緊張をもたらすものだった。
「馬車だ‼」
思わず多田は叫んでいた。
それを聞いて沢口はメモを取るのをやめ、馬車の方へ目を向ける。彼は眼鏡を触って険しい表情になった。
多田は悪い予感に支配されていく。まさかあいつらが……いやそんなまさか。でもあいつらかもしれない。でも普通に考えればあいつらは俺達の行先すら知らないはず。でもあいつらなら本当に追ってきてしまうかもしれない……
そんな中プレアウズだけは嬉しそうに手を振り始めた。
「馬車です。また彼らに会えるかもしれませんね!」
「少し黙っててもらえます?」
我慢できなくなって多田はプレアウズにピシャリと言った。こういう時まで能天気なのは困る。空気読め。ビジネスマンの世界では重要なんだぞ、空気読むの。
馬車がだんだん近付いてくる。多田は祈るような気持ちになってきた。あのコンビじゃありませんように、あのコンビじゃありませんように、あのコンビじゃありませんように……
馬車は多田達の前で止まった。
場の緊張が最高潮になる。
馬車の幌から一人の乗客が顔を出してきた。
「おお、皆さんではないですか!」
それは中国語が先に聴こえてきて、日本語に変換された声が遅れて聴こえてきたものだった。幌から顔を出してきたのは丸眼鏡で小太りの男性、ハオラン・ウーであった。ウーに並んでもう一人の中国人、リーも顔を出す。
「皆さん奇遇ですね、元気ですか? 私は元気です!」
「ちょ、ちょちょっと、ちょっと! あんた達いったい……」
悪い予感が当たってしまった。多田が引き攣った顔で問いただす。どうしてこの中国人コンビがこんなところまで来ることができたのか? 頭が追い付かない。来てしまうのではないかと思ってはいたものの、そんなことは起こらないでほしい、起こってはならないと思っていた。
「私達の情報網は完璧です!」
リーが快活な調子で言う。この女性からは悪意が感じられないが悪いことをしている自覚が無いのかもしれない。無邪気に悪事を働いてしまうタイプのようだ。それに対してウーの方はいやらしさたっぷりに煽ってくる。
「親愛なる日本の友人よ、私達はタボ村へ行くのに忙しい身です。いや、サルスベリ村でしたか?」
どうやら全て知られているようだった。多田は二の句が継げぬ状態になってしまう。代わりに沢口が話を続けた。
「実は我々の乗った馬車が壊れてしまったのです。そこでお願いなのですが、我々も馬車に乗せてもらうことできませんか? 親愛なる友人として」
これは本当に乗せてもらおうというよりは時間稼ぎのようであった。とにかく会話を続けて時間稼ぎをする、その間にこちらの馬車の修理が終わってくれればという望みに賭けているような。
するとウーは悲しさたっぷりの臭い芝居をした。
「おお何てことでしょうか‼ 私達を見捨てたあなた方が! 私達を! 見捨てた! あなた方が‼」
そして次の瞬間には普通に戻ってウーは御者に「出して下さい」と指示を出した。馬車が無情にも動き出す。
「あちょっ……! もうちょっと考えてくれても良いじゃないですか!」
沢口が縋りつくように声を掛けるが馬車は止まらない。ウーとリーは大きく手を振って別れを告げている。多田は終始固まったままで、プレアウズだけが陽気に手を振り返している。
「ああもう、時間稼ぎもさせてもらえないとは」
嘆息して沢口がうなだれる。
しばし静寂。
多田はようやく硬直が解けて頭を抱えた。
「何だよあれ……一体どうやって知ったんだ?」
タボ村の名前は教えていないはずだ。あの中国人コンビがタボ村を知る機会も無かった。では何故? 分からない。皆目見当がつかない。
絶望だった。
先着占有。
なのに、追い抜かれてしまった。
手に入るはずだった爆益。
それが彼方へ消えていく。
だがそんな絶望に落ちていくところで、それを打ち破ることが起こった。
「よし、できた! 修理完了です‼」
御者の男性が金槌を振り上げ勝鬨のように声を上げた。
悪い流れが続いてきた今日だったが。
ここへ来て流れが変わり始めた。
望みはまだ潰えていなかった。
「追いましょう‼」
沢口がそう言ったので多田も応える。
「やりましょう‼」
まだ諦めるのは早い。泥棒なんかに負けるわけにはいかない。ここだ、ここから大逆転してやる……!
大急ぎで出発準備をする。多田や沢口も工具をしまうのを手伝い、係留していた馬を連れ戻してきて、馬車は再出発を果たした。
「前の馬車に何とか追い付いて下さい、お礼は弾みます!」
そう言う沢口に御者の男性もやる気満々で応える。
「任せて下さい! こちらの馬は充分に休憩したのでスタミナがあります、少しずつペースを上げていって必ず追い抜いてみせますよ!」
御者がハイヤーと声を上げて手綱を振るう。馬の方も掛け声に応えてペースを上げ始めた。馬車の修理はうまくいったようで、何ら違和感無く走行できている。
ウーリーコンビの馬車はまだ視界に捉えている。
まだそんなに離されていない、これならいけそうだ。
馬車内は活気付いた。
「流れが変わり始めた気がしますよ!」
沢口がそう言ったので多田もまさにそうだと思った。
「来てますよ流れが。ここからが反撃です、見せてやろうじゃないですか……俺達の力を!」
やる気に満ちた二人を見てプレアウズが素晴らしいと言い始めた。
「お二人のやる気がとても力強いです、見ている私まで力をもらえます。お二人は戦いに赴こうとする戦士のようです!」
「我々は戦士なのです。ね、沢口さん?」
自信を持って多田が言うと沢口は眼鏡をクイッと弄り、不敵な笑みを見せた。
「ええそうです。プレアウズさん、実は私達は戦士だったのです」
「おおそうだったのですか! 頼もしいです。お二人の自信に満ちた表情、さぞ厳しい訓練を積んできたのでしょう」
プレアウズがうんうんと納得している。
「そりゃあもう……上司に気を遣ったり得意先に頭を下げたり、無茶振りに耐えたり、ねえ?」
沢口がそう言ったので多田が深く頷いた。
「ええ、ええ、忍耐に忍耐を重ねて我々は戦士になるのです……企業戦士にね」
「企業戦士? 初めて聞きましたがきっと戦士の上位職業、聖戦士みたいなものですね!」
プレアウズは明後日の方向に解釈したようだったがそれはそれで良いじゃないか、と多田は満足した。まさか企業戦士と聖戦士が並べて語られる日が来ようとは夢にも思わなかった。まあ戦士の系統は前衛に出て敵の攻撃を一身に受け止めろ、という役割を求められるので同じようなものかもしれないが……企業戦士は打たれ強さなら引けを取らない。
「皆さんそんな凄い人達だったとは驚きました。私は剣士になったばかりで実績も無いです」
はにかみながら冴えないオーラの護衛人がそんなことを言った。もはやこの護衛人は空気になりかけているので多田は存在を忘れそうになっていた。あれ、いたの? ってマジで思ってしまった、ごめんよ。郊外の馬車だから雇うのは仕方ないにしても……もう少し頼りになる人はいなかったのだろうか。
馬車は地味に速く進んでいく。地味なのは仕方が無い、全力で馬が走ればもっと速く行けるがすぐバテてしまう。持久戦なので地味なスピードアップしかできない。気持ち的には爽快感ある疾走なのだが。
ウーリーコンビの馬車はまだ遠い。なかなか差が縮まらないように見える。
しかし10分、15分と経過するとだんだん両者の差が縮まってきているのが実感できた。地味に、確実に、多田達の乗る馬車がウーリーコンビのそれを追っていく。
背の高い草の草原や林、それから畑や家屋が点々と存在する景色を馬車が進んでいく。
御者の男性が空を指差して多田達に伝える。
「あれが目印です、タボ村が近くなってきました!」
空にあるのは浮島で、御者の男性はそれを指差しているようだった。
その浮島は奇妙な形をしていた。浮島の地面が地上の方を向いている、逆立ちした浮島だったのだ。
遂に目的地が近付いてきた。
「そろそろ仕掛けます、しっかり掴まっていて下さい!」
御者の男性が手綱を一振りする。それを合図に馬が駆け足になった。
馬車の中はけっこうな揺れになった。多田は前方を行く馬車を見据えて決意を口にする。
「横取りは絶対許さない……絶対勝つ!」
ぐんぐんウーリーコンビの馬車に迫っていく中で沢口も声を上げた。
「良し、差せ! 差し切れ!」
「沢口さん、これ競馬じゃない……」
「いえいえ、これは馬が競ってるんですから競馬ですよ」
「あれ? …………ああ、確かに、ええ、馬が競ってるから競馬……なのか?」
「そうです、だから良いんです!」
「……そうですね! よーし、差せ、捲れ!」
多田も乗り気になって叫んだ。
こちらの馬車がいよいよ前の馬車の真後ろに迫る。前を行く馬車からはウーリーコンビが顔を出し、追い付かれたことにたいそう驚いた様子だった。多田達の馬車は車線変更して追い抜き態勢に入る。多田は幌から顔を出し、推移を見守る。
ウーリーコンビの馬車は慌ただしくなりウーが御者を揺さぶっている。
「もっと速く走って下さい、追い抜かれてしまいます!」
しかし御者の方もいきなり言われて困惑しているようだ。
「そんなことを言われても困ります!」
そんな悶着を起こしている内に多田達の馬車がウーリーコンビの馬車に並んだ。多田が挑発的にウーリーコンビに話しかける。
「また会いましたね! さきほどは置き去りにしていただいてどうもありがとうございましたあー!」
片手を口に添えて大声で言ってやった。大変爽快である。
「あなた達が先に置き去りにしたのに!」
ウーが困りながらそう訴えるので多田は更に気分が良くなった。
「忙しそうですが何かあったんですかあ? 危ないですからちゃんと席に座っていた方が良いですよ!」
多田がウシシと笑顔を見せるとウーは歯を噛み締めて悔しそうにする。だんだん多田達の馬車が追い抜いていこうとする。ウーは焦った末にリーに何かを指示した。するとリーが自分の馬車の御者を羽交い絞めにして後ろの座席の方へ連れていってしまった。ウーが代わりに御者になり、掛け声と共に鞭を振った。叩かれた馬が加速し、ウーリーコンビの馬車が再び多田達の馬車に並びかける。
「そんな無茶苦茶な!」
多田は唖然としてしまった。まさかここまでやるとは思わなかった。一気に抜き去って終わりだと思っていたのに。
しかしそこで沢口が重要なことを告げる。
「大丈夫、向こうの馬は走り詰めです。加速してもすぐバテます」
実際その通りになった。
しばらくは両方の馬車が併走して抜きつ抜かれつしていたが、やがてウーリーコンビの馬車が限界になる。馬が顔を上げて苦しそうにし始めた。
「ね? やっぱりこうなる」
沢口が得意気に言い、多田がそれを聞いて安心した。
「今度こそ終わりですね!」
御者を排除する暴挙に出たウーリーコンビだったが流石に馬のスタミナまではどうにもならない。そして馬のスタミナが尽きてしまえばもはや打つ手は無いはずだ。
ウーは焦燥であたふたする。馬に気合を入れても駄目だ。だんだん焦りが酷くなってきて頭を掻きむしってアイデアを捻り出そうとするが、無駄な足掻きだ。あれだけ人をイラつかせる嫌な笑顔をしていたウーが、次第に万策尽きた状況を理解したようで最終的には項垂れてしまった。
勝負あった。
だが。
次の瞬間、ウーはハッと顔を上げた。その表情は何か覚悟を決めたようなものだった。
その覚悟はすぐに実行に移された。ウーが手綱を片側だけに引っ張る。
ウーリーコンビの馬車が斜行し、多田達の馬車に迫ってきた。
「おいおいちょっと危ない危ないっておいまさかこれ本当に――」
多田はウーの決意が分かって声を上げたが、その途中で馬車同士が衝突した。
最初にガクンと大きな揺れがあり、その後大きく座席が振られる。更にすぐ逆向きに座席が振られる。ジェットコースターだ、というより命の危険を感じた。アトラクションのようには楽しめない。多田は鳥肌が立つ思いでそこらに必死に掴まっていた。御者の男性の悲鳴が聴こえた。多田達の馬車の御者のものだ。多田が御者のいるべき位置に目を遣るとバンダナを巻いた彼の姿がそこに無い。いったいどこへ消えたのか。
「助けて下さい‼」
声は聴こえる。沢口がいち早く御者のいるべき位置まで行き、周囲を確認して御者の男性を見付けた。多田も沢口の傍まで行き、一緒に御者の男性を引き上げた。御者の男性は衝突で落ちて手綱を掴んだまま引きずられていたのだ。
御者の男性は酷い怪我を負っていた。もう馬を操る仕事を続行できないことは明白だった。
馬車は減速して止まってしまった。ウーリーコンビの馬車も止まった。
馬達の荒い息が辺りに響く。
ウーがまたいやらしい笑顔になって話し掛けてきた。
「すいません、制御が利かなくなってしまいました。馬が疲れて予期せぬ方向へ進んでしまいました」
つくづくこの男は人をイラつかせずにはいられない性分のようだ。多田は流石に怒気交じりに抗議した。
「これちょっとシャレになってないですよ、こんなに大怪我させて。故意にやったのであれば過失ですよね?」
「ハハハ、ここをどこだと思っているのですか? 元の世界の法律で捕まえようというのですか?」
「……いや、それだって、ここの国だってこんな怪我させたらきっと罪になるでしょう?」
「どこへ訴えても取り合ってもらえないと思います。不幸な事故です」
「だからそれをあんたが故意にやったんでしょう」
するとウーがわざとらしく溜息をついた。
「やれやれ、あなたはそれでもビジネスマンですか?」
「何だって……?」
「我々は企画を勝ち取るためなら何でもやります。あなたにはその気概が無いのですか? 何かを望むなら他人を蹴落としてでも掴み取るべきです。それができないなら争いの無い仕事に変えれば良いです」
ウーは冷たい表情で言い放った。多田は殴られたような気がした。言葉で殴られたのだ。確かにこの仕事は争いだ。企画課の中では成績で争っている。次の課長が誰になるかで争っている。沢口の所属する第二営業課でも営業成績で争っている。そこでも役職の争いがある。そして他社とも売り上げで争っている。みんな、争いだ……
争いが嫌なら争いの無い仕事に行け、か……それはそうかもしれない。
だが、と多田は思う。
決定的だ、と多田は悟った。
ウーの主張は決定的に相容れない主張だ。
俺の言う争いは、奴の言う争いとは違う。
「俺も企画のためなら何でもする。だがな……それはあんたとは違う! どれだけ他の人より良い企画を練るかで争うし、どれだけお客を楽しませるかで争う! それが俺の争い……要は競争だ、切磋琢磨するとか、そういうやつだ! あんたみたいなやり方は絶対認めない……この企画を勝ち取るのは俺らだ‼」
多田はウーの事を指差して宣戦布告するように言った。俺も大した人間じゃあないが、他人の企画を盗むほど落ちぶれちゃいない。そして俺の企画を盗もうって奴が出てきたならどんな事をしてでも阻止する。
会心の返しだ、と多田は思ったがウーは表情を変えなかった。何を言っても奴には響かないのかもしれない。だがそれでも良い。俺は言いたい事を言った。言ってやったんだ。
しばらく睨み合いが続いた。
そして、ウーは口の端を持ち上げた。
「馬の疲れが少し取れました」
言い終わるとすぐにウーは手綱を動かした。馬が仕方なさそうに歩き始めて馬車が動き出す。
ここへ来て多田はウーがお喋りした真の目的を悟ってしまった。
「時間稼ぎしたかっただけかよ‼」
大真面目に仕事の矜持を語ってしまった自分が恥ずかしい。こんな事酒の席だって言わないのに。
「いやー多田さんがこんな熱い男だったとは。痺れました」
沢口が感心したように多田を賞賛したが、恐らくウーに遊ばれてしまった事を理解した上で言っている。これはフォローなのかからかいなのか。どちらにしろ恥ずかしいので多田は話を替える事にした。
「とにかく、早く追いましょう! まずはこの御者さんを休ませないと」
これは深刻な問題だった。放置して良い問題ではない。ウーの挑発に乗るべきではなかったのだ。
「すいません、腕の筋が伸びてしまってもう手綱が握れません……」
御者の男性は弱々しく言った。身体中が擦り傷で覆われ痛々しい。しかしそんな状態であっても手綱を離さなかったのはプロの意地が感じられた。
「いえ、ここまでよく頑張ってくれました。後ろでゆっくり休んで下さい」
沢口は労いの言葉を掛ける。沢口と多田で肩を貸し、御者を馬車の後方へ連れて行って腰掛に寝かせた。
「馬はまだやる気です……手綱を使えば走りますので」
御者の男性は満身創痍でありながらもアドバイスをくれた。多田は親指を立てて応える。
「任せて下さい。絶対追い付きます!」
戦友からやり残したミッションを引き継ぐような気持ちに多田はなった。多田は御者の作業場所へ行き、代役を務める事にした。
「よーしやってみるぞ。さあ馬よ頑張れ、名前知らんけど!」
多田は手綱を持ち、とりあえず振ってみた。馬はちらりと多田を見て歩き出した。おお動いた、と多田は感動した。そのまましばらく行く。
しかし問題が起きた。馬が速度を上げてくれない。歩いているだけでウー達の馬車を追う素振りを見せない。
「おーい馬! 前の馬車を追いかけるんだよ! 走れ、走れ!」
鞭もおっかなびっくり使ってみたが効果は薄かった。前を行く馬車もスタミナ切れで遅くなっているが、差は縮まらない。
「ああくっそ、いきなりじゃ無理か」
多田はもどかしい思いに駆られる。こんな時に隠れた才能でも開花してくれれば良かったのだがそんなうまくはいかない。やっぱり人を見るのかなあ、生き物だから。
こうなったら沢口にやってもらって、それでうまくいけば……
そんな事を考え始めた時。
「私にやらせて下さい」
横から立候補する声が挙がった。声を挙げたのは目が小さく頬骨の張った中年過ぎの男性……護衛人だった。
多田は一瞬呆けたようになる。この護衛人の冴えない男性が御者の代役を立候補しているのだが、大丈夫なのだろうか……
とはいえこのまま何も手を打たなければ事態が好転する事もあり得ない。駄目で元々、とりあえず立候補しているのだから任せてみるしかない、か……?
半信半疑で多田は場所を明け渡す。
護衛人の男性は照れ笑いしながら所定の位置に立ち、手綱を受け取った。
「いや~久し振りなんですよねぇ」
頭を掻いてはにかむ護衛人。そして彼は座ることもせず、立ったままで作業を開始した。
護衛人の表情が一変する。
眼光鋭い、勝負師のそれへ。
そして。
「ハァッ‼」
一喝し、手綱を振った。
馬の態度が一変した。多田の時は仕方なさそうに歩いていたのだが、闘志に火が付いたように力強く加速し始めた。
多田も沢口も口をあんぐり開けて護衛人の仕事ぶりに圧倒されてしまう。彼のあまりの変貌ぶりは一体何なのか。
その答えは護衛人の口から放たれた。
「私の前職は……騎手だったのです! さぁ行きますよ!」
護衛人の男性はまさに水を得た魚の状態だった。多田も沢口も彼の事を見直した。
「はい、お願いします!」
「行きましょう!」
もうタボ村の入口は見えてきている。ここまで来て負けるわけにはいかない。
不死鳥のごとく復活した多田達の馬車は再び前を行く馬車を追いかけ、追い付いていく。
リーがまずそれに気付き、ウーの方へ注意喚起をする。
「ウーさん、また来ましたよ! どうしますか⁈」
それを聞いてウーは驚いたものの、ニヤリと笑みを零した。きっとさっきの戦法で味をしめたのだろう。
このままではまたぶつけられてしまう。どうすれば良いんだ、と多田は考える。ぶつけられるのを回避する事はできないか? ぶつかってくる所を跳ね返す事はできないか? ぶつけられてもダメージを軽減できないか?
そんな時、一つのアイデアが思い浮かんだ。
『これはウレタンフォームと言って、これはクッション材として素晴らしいんだ』
幼い日の、父の言葉。
衝突にはクッション材……
多田は咄嗟に行動に出た。幌を捲り、馬が曳く台車の縁に上がり、腰を下ろした。
馬車が併走になるとウーの馬車がまた迫ってくる。やはり奴はやる気だ。本当に、企画のためなら何でもするんだ。
だったら、と多田は覚悟を決める。
だったら、俺は何をしてでもお前を止めてみせる……!
「沢口さん、俺の手を掴んで下さい‼」
そう言った直後に多田は台車の縁から飛び出し、ウーの馬車の台車が迫ってくる所に足を突き出し、足裏で受け止めた。多田は自身の馬車の台車の縁を手で掴んでいるだけで、握力がいつまで保てるかは分からない。多田が受け止めてもウーの馬車は質量で更に押し込んできたが、多田は馬車と馬車の間のスプリングみたいな役割を果たし、激しい衝突を防ぐことができた。多田は初期状態では足を突き出していたが今は押し潰されそうである。正直、痛い。
「多田さん無茶しますね‼」
沢口が身を乗り出して多田の腕を掴み、落ちないよう支えてくれた。
「そりゃあ無茶すべき企画ですからね‼」
支えてもらえる安心感で多田は強気になった。これなら頑張れそうだ。痛い思いはしたがウーの馬車が離れていった。作戦成功である。
攻撃が不発に終わったウーは驚きの表情になり、再度体当たりを試みてくる。
迫ってくるウーの馬車を多田は再度足裏で受け止めた。馬車同士の間隔が狭くなれば多田はスプリングそのものになり、強制的に柔軟体操をさせられる羽目になる。身体が柔らかくない多田は当然痛い思いをすることになるのだった。
「いだあああああーーーッ‼」
一撃目と違い、今度の幅寄せは長い。多田はぺしゃんこになってしまうのではないかという勢いだ。
「あまり無茶しない方が良いですよ!」
ウーが挑発の言葉を浴びせてくるが、しかしウーの表情にも余裕が無い。
ギュウウウウッと押し縮められて多田は自分の命は大丈夫なのだろうかと若干不安になる。こんな時に限ってどうでもいいことを考えてしまう。クッション材かあ……俺は今、なれているだろうか?
なれている気はする。
ただ、こんな風に物理的になりたかったわけではない。人と人の間に入れるようになりたかったのだが……
だが物理的であっても。
それはそれで。
良いんじゃないか……?
多田は体中に力がみなぎってくるのを感じた。
「どこまで耐えられますか?」
ウーが挑発してくるので多田は苦しさを噛み殺し、毅然と言い返した。
「社畜舐めんなァッ‼」
社畜とは耐えるものである。残業に耐え、非現実的なスケジュールに耐え、無駄な書類作成に耐え、やたらと全員呼びたがる会議に耐え、上司の不機嫌に耐え、昨日と今日で指示がコロコロ変わるのにも耐え、言われてもいない作業を何でやってないんだと責められるのにも耐え、皆がやりたくない仕事を押し付けられるのにも耐え……どんな理不尽にも耐え忍ぶ。その姿はブリザードに耐えるペンギンを想像してほしい。ただひたすらに身を縮め、理不尽な嵐が過ぎるまでじっと耐えるのだ。
この程度耐えられなくてどうする! タボ村の入口はすぐそこだ、絶対に耐え切ってやる!
「……何を侮るなと言いましたか? 翻訳できません!」
リーがそんなことを言ってきたので多田は意地悪い笑みを浮かべた。
「へへ、教えてあげな~い!」
リーは頬を膨らませ、それから恐ろしい行動に出た。
「それなら、こうします! ウーさん、馬車を遠ざけて下さい!」
リーは多田の足を掴んだ。そしてウーがリーの指示通りに馬車を遠ざけ始める。
するとどうなるか。
多田の腕は沢口が掴んでおり、足はリーが掴んでいる。そして馬車が離れていくと綱引きになる。その綱は多田だ。
「ああああああああああぁーーー‼」
激痛が多田を襲う。
「ちょっ待って、中身がッ! 俺の中身が出ちゃうぅッ‼」
「意地悪するからです!」
リーがプンスカ怒っているが、これは洒落にならない。これはリアルに命の危険がある。愛する娘・陽呼のためにも絶対に生きて帰らなければならない。
「沢口さん手を離して‼」
多田は咄嗟の判断で叫び、それを合図に沢口が手を離した。多田は地面に落ちそうになったが全力で腹筋を使い、ウーリーコンビの馬車へ転がり込んだ。リーが最後まで多田の足を掴んでいたお陰で地面に落とされずに済んだ。
遂に家屋が建ち並ぶ景色に移り変わり、タボ村に入ったことが分かった。
多田達の馬車がウーリーコンビの馬車を追い抜いていく。その様を見て多田は無茶した甲斐があったと思った。
しかし様子がおかしいことに気付く。多田達の馬車は不審な揺れ方をして、それから幾らもしない内に車輪が外れた。修理した箇所がまた壊れたのだった。突貫工事の修理では耐久性が低いのも無理はない。
多田達の馬車が少し先へ行った所で止まってしまう。
一方で、ウーリーコンビの馬車も馬が遂に業務放棄して止まってしまった。
両者共に馬車が使用不能。
そうなれば、次にどうすべきか?
一番に動いたのは多田である。馬車を飛び降り、走り出す。
最終決戦は人力だ。
バラバラと馬車から人が飛び出し、走っていく。小太りのウーやプレアウズはすぐに脱落。多田は走りながら村人を発見し、目的地の場所を問う。
「村長の家はどこですか⁈」
村人は変なものを見るような目であったが、あっちだと指差してくれた。
先頭から多田、沢口、そしてリーの順で走る。
沢口が多田を追い抜かしていく。身体能力の高さはやはり彼の方がある。そうであるからして、多田の目的は最初にゴールすることよりもリーを阻止する方にシフトさせた方が良さそうだった。リーの速さは尋常でなく、プロスポーツ選手のようだった。ウーリーコンビはウーばかり目立っていたが、どうやらリーは体力勝負の担当だったようだ。
多田は追い付いてきたリーに向かって掴みかかった。
それに対し、リーはスタンガンで対抗。多田は電気ショックを喰らい、あえなく撃沈。
「あががが…………いってえぇ……」
撃退された暴漢のように転がる多田。
殆ど阻止の効果は無かったが、それでも多少はリーを遅らせることはできたはずだ。
後は沢口に賭けるしかない。
多田は起き上がり、祈るような気持ちで歩いた。全力疾走してきたので息が上がっている。ゼェハァ言いながらそれでも歩いていく。
村長の家は遠目から見てもすぐに分かった。周囲より明らかに大きな家があり、門構えに権威のありそうなオブジェが置いてある。
その家に近付いていくと、勝敗が明らかになった。
「沢口さん……」
多田は震える声で呟いた。
村長の家の玄関前に立っていたのは、リーだった。沢口は付近でがっくり項垂れて座り込んでいた。
「嘘だろ……」
多田は地面に膝をついた。祈りは通じなかった。沢口が負けるなんて考えられなかった。沢口は決して遅いわけではない、リーが速すぎたのだ。




