第16話 メルデア郊外
都市から離れるとすぐに平原になる。のどかな景色だ。所々に林があったり小川が流れていたりする。
馬車には御者と多田達以外にも一人、護衛人が乗っていた。郊外との往来には必ず護衛人が乗ることになっている。護衛人が一人だけの場合は危険は殆ど無く、念のために同行しているに過ぎない。危険地域では何人も護衛が必要になり、その分だけ馬車の料金が高額になる。今回同行している護衛人は目が小さく頬骨の張った中年過ぎの男性で、冴えないオーラを醸し出している。あまり危険があった時に頼りにならなそうだ。
多田は勝利を得たことで実に気分が良かった。
「いや~冷静に考えてみればウチらが負けるわけ無かったですよね。先に馬車の予約をした時点でウチらの勝ち確定だったわけで」
そう、ウーリーコンビは後追いで来ているので馬車のチケットを買うのも当然後手になる。先に到着すれば良い今回の案件では追い抜かれない限り負けることは無かったのだ。もっと楽観的で良かったんだよなあ。
しかし沢口の方は険しい表情をしていて喜びはあまり感じられない。
「そうですねえ、うー……ん……勝ち確なのかなぁ……」
「現にこうしてウチらの方が早く出たじゃないですか」
「ま、そうなんですけどね。でもタイミングが良過ぎるんですよねぇ……」
「タイミング……はぁ、まあ……」
「こういう流れの時って良くないことが重なりそうで怖いです」
「不吉なこと言わないで下さいよ。もうウチらが先に出たんだから大丈夫でしょう」
こういう時二人の違いがはっきりと出る。沢口は心配性なようだが多田は深く考えてもしょうがないと思う方だ。心配事は数え上げればきりがない。まだ起こっていない事は起こってから考えれば良いや、それが多田の考え方である。
平原が終わると馬車は山道に入っていく。周囲は背の高い樹々だらけだ。多田達はおしゃべりもだんだん少なくなり、次第にウトウトし始める。移動中に仮眠をとって現地で精力的に活動すれば良い。多田は目を閉じながら娘のことを考える。今日は帰ったら愛娘・陽呼のお絵描きを見てあげないといけないんだったな。妻の陽奈と娘の陽呼でお絵描きして、俺は審査委員長なんだそうだ。コンテストだと言っていたが出場者が一人なので安心してグランプリ認定できる。お題は魔法少女なんとかハートとか言ってたかな? ちゃんと覚えてはいないが魔法少女だった気がする。
陽呼が画用紙にぐりぐり描いて俺に渡す。俺は信号機から降りてそれを受け取った。それを見てうんうんと頷く俺。だがブランコに乗った花鳥課長がこれはボツだと言った。ええーそんなご無体な、と俺は思ったが言葉が出てこない。陽呼がこれは独占なの、と抗議している。課長はいいやボツだ、と取り付く島もない。陽奈があなた何とかして、と俺を責める。俺は二人の間に入らなければいけない、しかし身体が動かない、言葉が出てこない。俺は公園で立ち尽くす。
「……ぶはっ!」
多田は目を覚ました。今のが夢だったことを悟る。あー夢か……なんつう夢だ。よりによって課長が出てくるなんて。ハードル高過ぎだろ、課長との間に入るのなんて……
悪夢とまではいかなかったが顔に汗をかいていた。嫌な汗をかいた……
一息つくと、多田は妙な振動に気付いた。不規則にガタンと揺れる。砂利道でも走っているのだろうか? 小窓に顔を近付けて道を確認してみるが、どうやら土のならされた道のようだ。
10秒に1~2回だった振動がだんだん3~4回になり、次第に持続的なものになっていく。
「何か変じゃないですか?」
多田は沢口に問いかけてみた。沢口も起きていて、異変に気付いているようだった。
「ちょっと一回止めてもらうようにしましょうか」
そうして沢口が身を乗り出した時、それは起こった。バキャッと木の割れる音が響いて大きく揺れ、急制動がかかる。多田は手近な板に掴まったが沢口が前方へ転げてしたたかに身体を打ってしまう。
完全に止まるまでしばらく時間を要した。
止まってからも御者が必死に馬を宥めている。
「何だよこれー……沢口さん大丈夫ですか?」
多田が沢口の状態を確認すると沢口は苦い顔で答える。
「左肩を勢いよくぶつけました。多分大丈夫とは思いますが」
その他、プレアウズは左頬を押さえており、護衛人は腕を痛そうにさすっていた。しかし大怪我をした人はいなそうだった。沢口が御者に状況を尋ねる。
「いったい何があったんですか?」
御者は日焼けしていて頭にバンダナを巻いた若い男性で、馬が激しく首を振るのを手綱で宥めようと奮闘しているところだった。
「降りて外側から見てきてくれませんか? 私は馬を抑えていないといけません」
御者の男性が振り向いてそう言うので、沢口は渋々馬車を降りて行った。多田もそれに続いて馬車を降りた。
沢口と多田で馬車を外側から見てみると、どうやら後輪の軸が折れてしまったようだった。片輪が無くなり、残った片輪は傾いている。この残った片輪がブレーキの役割を果たしており、これが急制動の元凶だったようだ。馬車の後方には地面を削りながら進んだ跡がありありと残っている。沢口が嘆息する。
「これでは前に進めませんね」
多田も腰に手を当てて憮然とした。
「これ整備不良でしょ絶対。オンボロじゃないですか」
出発する時は気付かなかったが、よく見てみると馬車はいたるところが朽ちており継ぎ接ぎしているところもある。いつ壊れてもおかしくない状態で運行していたことが容易に想像できた。
「割とボロくなったまま走っている馬車は多いですけど、これは壊れるぎりぎりのところだったんでしょうね。それをたまたま我々が乗ってしまった。悪い方の当たりくじを引いてしまったようです」
「どうせなら宝くじでその運来てくれって感じですよ」
「へえ、買ってるんですか?」
「ええ、夢を買ってます」
「当たったら辞めます? 会社」
「いやーこの仕事結構良いですからね、多分続けます。欲は尽きませんよ」
多田は肩を竦めて見せた。異世界旅行業界は黎明期で勢いがあり、しかも商品単価が超絶に高い。会社の業績は天を衝く勢いで、社員の給料も必然的に高くなる。多田の年収は既に1000万であり、宝くじが当たったとしても『こんな会社辞めてやる‼』と退職届を叩きつけてやろうとは思わなかった。では何故宝くじなど買っているのか? それは多田自身にもよく分からなかった。よく分からないが何か買ってしまうのだ。
「どうなっていますかー?」
馬車の中からプレアウズが顔を出し、訊いてくる。沢口が首を振って応じる。
「駄目ですね。車輪が一個無くなりました。残りの車輪が邪魔になっててこれでは進めません」
するとプレアウズは顔を引っ込め、少しするともう一度顔を出してきた。
「修理するそうです」
「え、修理?」
沢口は怪訝な顔をする。多田も疑問に思ったのでプレアウズに訊いてみる。
「修理って、どうやって?」
「分からないですが、とにかく修理するそうです」
そう言ってプレアウズは顔を引っ込めてしまった。少しすると馬と車部分が切り離され、御者の男性は馬を引いて道の脇へ進んでいった。プレアウズと護衛人は車部分から降りてくる。プレアウズはこんな状況でも朗らかに笑っていた。
「皆さん、この時間を得たことはきっと何かの役に立ちます。私達の旅は思わぬトッピングを得たのです」
沢口は苦笑いで済ませたが多田は充分に苦い顔で返した。
「もうそろそろハプニングはお腹いっぱいです。今日はハプニングが多過ぎやしませんか?」
それに対しプレアウズの感覚はだいぶズレているようだ。
「予想外のことが多いほど素敵な思い出になります。私は今新しいことが始まろうとしている状況にワクワクしています」
「あのねえ、馬車が壊れてるんですよ? こんな何も無い所で立ち往生してワクワクできないですよ。こんな所で盗賊団に襲われでもしたらどうするんです? 護衛人さん、実戦経験はありますか?」
そう言って護衛人に話を振ると、冴えない感じの護衛人は照れ臭そうにした。
「ありません。ですが、剣術指南所を卒業しました」
「頼もしいですね!」
プレアウズだけがそう言ったが多田はやれやれという感じになった。
「そりゃ頼もしいことで…………」
長閑な丘陵地帯が広がる風景。空には鳥の小さな群れが飛んでいく。僅かな雲と、浮遊する島。平和な眺めだ。しかし盗賊だけでなくモンスターが現れたとしてもここにいる護衛人では撃退できない可能性が高い。思ったより危険な状況なのではなかろうか。
御者は手頃な木に馬を係留すると多田達の所へやってきた。
「お願いがあります。修理するので車輪を取ってきてもらえますか?」
「え、車輪……?」
多田が微妙な顔で返す。車輪を取ってくるのは面倒だというのもあるが、何よりも車輪を取ってきたところで修理できるとも思えないのでテンションが上がらない。だが御者の男性はさも当然のような態度である。本当に修理しようというのだろうか?
気が進まない多田に、横から沢口が提案してきた。
「取りに行きましょう。どうせ他にすることも無いですし」
それはもっともだった。この状況下で多田達にできることは何も無い。それならただ待っているより車輪を取りに行く方がマシかもしれない。多田は分かりましたと言って歩き出した。きっと何もしないで待っている場合は愚痴が止まらなくなってしまっていただろう。
多田と沢口、それからプレアウズと護衛人で車輪を取りに行く。馬車から外れてしまった車輪は馬車の遥か後方の道端に横たわっていた。急いで車輪の所へ駆けつけるわけでもなくだらだらと歩いていく。
「これ、先方の村長とは何時でアポ取っているんですか?」
多田が尋ねると沢口が困り顔になる。
「お昼です」
「今ってこの世界の何時です?」
「11時ですね」
「この感じだと無理そうですかね」
「まずもって無理でしょうね、困りました。電話で一報を入れることもできませんし」
「こっちの世界の人ってこういう時どうするんでしょうね」
「いやあ日本みたいに一分一秒を守るみたいなことは無いですよ。だから多少なら遅れても何も言われませんし誰も気にしません。でも、時間云々というよりあのお騒がせコンビが追い付いてくるんじゃないかと……」
ここで多田は血の気が引いていく感覚に襲われた。
「…………あ、そういえばあいつらがいるんだった……」
「そう、あいつらです」
「え、嘘……嘘でしょ?」
「嘘じゃないです、残念ながら」
「あ、いや、でも、あいつら村の名前すら知らないですよね?」
「ええ、でも彼らはことごとく予想を超えてきてるんで、この流れだと大丈夫とは言い切れないんです」
「…………俺の勝ち確はいずこへ?」
「だから勝ち確なのかなぁって言ったじゃないですか」
「…………これってヤバくないですか……?」
「だから、ヤバイんです!」
沢口は鈍い人を諭すように言った。そこでようやく多田も実感が湧いてきた。多田は頭を抱えて声を張り上げる。
「ヤバイよこれ‼」
何でこうなったんだ? 馬車の中継所で鉄格子を掴んで何か言っているウーリーコンビを見ていた時は確かに自分は下界を見下ろす勝者だった。だが突然それがガラガラと崩れようとしている。
「じゃあ、急ぎましょうか」
「そうしましょう!」
多田のやる気スイッチがオンになった。車輪が横たわる現場に到着する。多田は車輪を触りながら全体を確認してみた。経年劣化しており傷が多いようだ。目を近付けてみて初めて分かったが、接地面が滑らかさを失っており、欠けやささくれ等でだいぶ歪になっている。故障箇所は車軸の棒が折れた以外には無いようだ。
「これは二人もいれば大丈夫そうですね」
そう沢口が言い、多田と沢口で車輪を起こしてみた。沢口は車輪が倒れないよう支える係、多田は車輪を押して転がす係になって進み始める。急げ急げと車輪を転がしていった。
車輪を馬車の所まで持っていくと、御者の男性は幾つかの装備を整えて待っていた。木材やノコギリ、金槌等が揃っている。
「持ってきました、大至急でこれ直して下さい!」
多田が訴えかける。御者の男性はバンダナの下端が目に掛かりそうだったのをクイッと親指で眉毛の上まで引き上げると、嫌がることも無く寧ろやる気満々に応えた。
「任せて下さい、いつものことですから!」
そうして御者は手際よく巻尺で部品を測り始めた。
「頼もしいですね、頑張って下さい!」
そう激励を送ってみたものの、多田は若干『いつものこと』に引っ掛かった。これがいつものこと……? それは良い事なのだろうか?
しかし今はそんなことを気にしている余裕も無い。とにかく先着することが肝心だ。早く直して出発したい。無いと願いたいが後ろをウーリーコンビが追ってきているかもしれないのだ。いや、本当に追ってきているのではなかろうか? あの鉄格子の所に置き去りにされたウーリーコンビは近くの受付に『あの人達と同じ行先のチケットを下さい!』と言ったとする。そうしたら……普通に俺達を追って来れてしまうのでは? ここでは『そういうのは教えられません!』みたいな個人情報保護なんたらとかが緩そうだし。
ネガティヴ思考が多田を支配し、だんだん顔色が悪くなっていく。割と流されやすい性格であった。
それに対し沢口は難しい顔をしているものの冷静である。
「多田さん、私達にできることはもう他にありません、待ちましょう」
「いやー分かってはいるんですけど、これで追い抜かれたりしたら目も当てられないじゃないですか」
「嫌な流れが続いてますからね、そういうこともあり得ます。でも、そうならないように最善を尽くす以外にありません」
「そうなんですけどねー……」
ネガティヴ思考は嵌まると励ましの声が聴こえなくなってしまう。何を言われても負の反応しか返せなくなるのだ。
「とにかく修理を待ちましょう。手伝ってほしいと言われたら手伝うくらいしかできませんから」
何を言っても無駄と悟ったようで沢口はそう言って離れていった。
20分ほど経過する。多田は呆然と修理の様子を眺めていた。
御者の男性は本当に大工仕事に慣れているようだった。測って目印を書き入れ、何度かそれを繰り返すと、折れた部分のささくれを除去し、木材を当てがって構想を練る。しばらくして処置内容が決まったらしく、木材をのこぎりで切り始めた。鼻歌まじりで楽しそうだ。
意外といけるかもしれない、と多田は思い始める。修理など簡単にはできないのではないかとさっきまで思っていた。修理と聞くと何日とか一週間とか、そんなくらいはかかるものだと思い込んでいた。しかしこれなら、1時間とか2時間とかでできてしまうのでは?
希望が出てくるとネガティヴ思考は終了になる。誰に何を言われても解消しないものだが、何かきっかけがあると勝手に解消されるのだ。
いつの間にか沢口がプレアウズと話し込んでいるようだった。
「この辺りは山賊も出ないので安全です。気長に待ちましょう」
そんなことを言っているのはプレアウズ。相変わらず呑気な様子だ。それに対し沢口はスマートフォンでメモを取りながら聞いているようだった。
「昔はいたんですか? 山賊」
「私の祖父の時代にはいたと聞いています。衛星都市メルデアはそうした脅威を王都に入れないために作られたのです。国の安定に伴いメルデアは山賊討伐の中継拠点の役割を担うようになりました。私の祖父も山賊討伐に参加し、郊外の広い範囲を転戦したそうです」
「へえーそんなことが。討伐していなくなったんですか。山賊の砦跡とかあります?」
「この辺りだと……あっちの山の奥にあったはずです。えーと地図地図……」
プレアウズは上着の内ポケットから地図を取り出し、広げて見せた。しばらく地図上で視線を彷徨わせた後、一点を指差す。
「これです、これです。観光地の一つになっています」
「おー本当ですね」
「ちょっと山奥にあるので一般の観光客は少ないです。史跡巡りが好きな人とか。あとは社会科見学で学生が行くことが多いです」
「なるほど」
「私の祖父はこの砦の戦いで五人の山賊を倒したそうです。四方を囲まれ討伐隊は厳しい戦いを強いられました。そこへ討伐隊の第二陣が到着し、戦場は乱戦になりました。一日では砦を攻め落とすことができず、陥落させるまで一ヶ月かかったそうです。祖父は怪我をして治療をし、また出撃するのを繰り返しましたが決して諦めることは無かったと言います」
「プレアウズさんのおじい様は勇猛果敢だったのですね」
「彼は村一番の勇者でした! 祖父は私の誇りです」
「素晴らしいですね。何かしらのツアーの企画ができないか、ネタの一つとして情報を書き留めておきます。情報提供ありがとうございます。私達は観光を通じてこの国に貢献できれば良いと考えておりますので」
楽しそうに話す沢口のやり取りを見て、多田は流石だなと思った。こんな状況でもツアーのネタ探しをするなんて本当に勤勉だよなぁ。転んでもタダじゃ起きないタイプだ。第二営業課のトップを走るだけのことはある。
「もっと沢山の人が来てほしいです。私は良い場所をいっぱい知っています」
「それはとても頼もしいです。私達旅行会社は情報が命ですから」
そんな時だ、多田がとんでもないものを見付けてしまったのは。多田は何の気なしに元来た道に目をやっていたが、こちらへ向かってくる馬車を見付けてしまったのだった。




