置き手紙
グランゼル東区。
王都でも商業と流通が盛んな一角。
その中央に、大きな石造りの建物がそびえ立っている。
エルメス商会。
高級奴隷の売買、情報仲介、希少品取引まで扱う大規模商会だ。
蓮にとっては、仕事場でありーー住処でもある。
一連の騒動を終えた蓮たちは、ようやくここへ戻ってきていた。
「いやぁ、ようやく帰ってきたな」
蓮は軽く肩を回す。
その腰には、新たに手にした聖剣。
エクスカリバー。本来なら、この成果を盛大に自慢する予定だった。
ついでに、何かと世話になったトリスタンも師匠に紹介してやろうと思っている。
「師匠、驚くだろうな」
少しだけ楽しそうに笑う。
「急に聖剣持って帰ってきたら、そりゃ驚くよ」
マーリンがくすりと笑った。
「急すぎるにもほどがあります」
アーサーも呆れたように呟く。
その横で、トリスタンが鼻を鳴らした。
「普通は剣闘大会優勝より、聖剣持ち帰る方が異常なんだがな」
「細かいことは気にするな」
蓮は気にしない。そのまま勢いよく扉を開けた。
「師匠!! ただいま――」
声が、途中で止まる。
「……は?」
部屋いっぱいに、紙が散乱していた。
机の上はもちろん、床、椅子、本棚。
ありとあらゆる場所に資料や書類が積み上がっている。
まるで何かを必死に探した後のようだった。
「えっ……師匠、これは……」
蓮が呆然と呟く。
「これはちょっと……まずい感じだね」
マーリンが珍しく真面目な顔で呟いた。
アーサーが周囲を見渡す。
「随分、散らかっていますね……」
「いや、散らかってるってレベルじゃねぇな」
トリスタンが即座に訂正する。
部屋の中央。
書類の山に囲まれるようにして、エルメスが椅子に座っていた。
どこか疲れ切った顔だった。
「……やぁ、蓮」
力なく笑う。
「戻ったんだね」
「いや、それより何があったんですか!?」
蓮が即座に詰め寄る。
エルメスは少しだけ視線を落とした。
沈黙。重い空気。
やがて、小さく口を開く。
「……セシルくんが」
一拍。
「いなくなった」
「……は?」
蓮の思考が止まる。
「どういうことだよ」
「わからない」
エルメスは首を横に振った。
「突然だった」
机の上に置かれた一枚の紙を手に取る。
「残されていたのは、これだけだ」
差し出された手紙。
そこに書かれていたのは、たった一文。
【長い間、お世話になりました。】
「…………」
蓮が固まる。
そして、ゆっくりとエルメスを見る。
「師匠」
真顔だった。
「何したんですか」
「だから本当に知らないんだよ」
即答だった。
「私だって混乱している」
疲労の滲む声。
「ただ……心当たりが一つだけある」
エルメスが目を細める。
「この前、セシルくんの知り合いらしき人物と会ってね」
蓮が眉をひそめる。
「知り合い?」
「……ああ」
エルメスは静かに視線を落とした。
「その時のことだ」
***
数日前。
グランゼル中央区。
人通りの多い大通りを、エルメスとセシルは並んで歩いていた。
「エルメス様! これも持ってください!」
そう言ってセシルが追加で紙袋を差し出す。
「待ちたまえ」
エルメスはすでに両手いっぱいの荷物を抱えていた。
「これ以上は物理的に無理だ」
「えぇー?」
セシルが不満そうに頬を膨らませる。
「アーサーさんの剣闘大会優勝祝いなんですよ?」
「盛大にやらないと!」
「気持ちは分かるが、私を荷車代わりにするのは違うと思うんだが」
「細かいことは気にしないでください!」
「君、たまに蓮と似たことを言うね……」
エルメスがため息をつく。
だが、その口元には苦笑が浮かんでいた。
どこか穏やかな空気。いつもの、何気ない時間だった。
その時だった。
「せんぱーい!!」
不意に。
路地裏から、場違いなほど明るい声が響いた。
セシルの足が止まる。
エルメスも視線を向けた。
薄暗い路地の奥。
そこに、一人の少女が立っていた。
年齢は十代半ばほど。無邪気そうな笑み。
だが、その笑顔だけが妙に浮いて見えた。
「やっと見つけましたよ〜」
軽い足取りで近づいてくる。
「もう、探したんですからね?」
「…………」
セシルは言葉を失っていた。
顔色が変わる。
さっきまでの明るさが、一瞬で消えた。
エルメスが小さく目を細める。
「……知り合いかい?」
セシルがわずかに肩を震わせる。
「あ……はい」
かろうじて絞り出した声だった。
少女はにこにこと笑っている。
「先輩、元気そうでよかったです」
「会いたかったですよ?」
その言葉に、セシルの表情がさらに硬くなる。
明らかに様子がおかしい。
エルメスの目が、少女へ向く。
ただの知り合いと片付けるには、空気が張り詰めすぎていた。
すると、セシルが慌てたように振り返る。
「す、すみません! エルメス様!」
そう言って、持っていた荷物をエルメスへ押し付けた。
「ちょ、セシルくん?」
「少しだけ、この子と話してきます!」
「いや、待ちたまえ」
「すぐ戻りますので!」
セシルはそれだけ言い残し、少女の元へ向かった。
少女は満足そうに微笑む。
「それじゃ、行きましょうか」
まるで最初から決まっていたかのように。
二人は、そのまま路地裏の奥へと消えていった。
「…………」
大量の荷物を抱えたまま、エルメスだけがその場に残される。
しばし沈黙。
やがて、小さく呟いた。
「……なんだね、今のは」
嫌な予感だけが残った。
***
「ーーそれ以来だ」
エルメスが静かに告げる。
「戻ってきていない」




