回収対象
崩れた壁の向こう。
空気が張り詰めたまま、誰も動けなかった。
その中でーー
一人、遅れて気づいた声が上がる。
「おい‥‥‥何だよ、あいつ‥‥‥」
視線は、黒い外套の男へ。
「聞いてねぇぞ‥‥‥こんなーー」
言葉が、途中で止まる。
本能だった。
理解が追いつくより先に、"危険"だけが突き刺さる。
「‥‥‥‥やばい」
誰かが、呟いた。
「引くぞ!!」
叫びと同時に、何人かが後退する。
だがーー遅い。
男が、わずかに手を動かした。
ただ、それだけだった。
指先が、わずかに動いたーー気がした。
後ろから下がろうとした男の身体が、音もなく、崩れた。
「‥‥‥‥は?」
蓮の声が漏れる。
倒れたわけじゃない。
"切れていた"。
気づいた時には、もう分かれていた。
遅れて、血が吹き出る。
「なっ‥‥‥‥!?」
周囲がざわつく。
次。また一人。
何も見えない。何も起きない。
なのにーー倒れる。
「う、うそだろ‥‥‥‥」
逃げ出そうとした男の首が、"その場で"ずれた。
ズルリ、と。音を立てて落ちる。
悲鳴が上がる。だがそれも、長くは続かない。
三人。四人。数秒。
それだけで、静かになった。
さっきまで囲んでいたはずの影が、地面に転がっている。
男は、一歩も動いていなかった。
ただ、そこに立っているだけ。
「‥‥‥‥邪魔だ」
初めて、感情が乗った。
ほんの少しの苛立ち。
それだけでーーこの結果だった。
蓮の喉が鳴る。
「‥‥‥おい、嘘だろ‥‥‥」
マーリンが、小さく呟く。
「敵味方関係ないね」
分析じゃない。事実だった。
エクスカリバーが、低く言う。
「分かったでしょ」
「さっきの連中とは別物よ」
アーサーは答えない。
ただ、剣を構え直す。
目の前の男から、視線を外さない。
男もまた、同じだった。
周囲にはもう誰もいない。
炎の音だけが、残っている。
その中でーー
「さて」
男は、わずかに首を鳴らす。
「邪魔は消えた」
踏み出す。
「ーー回収を始めよう」
空気が、切り替わる。
ガキィィィィィィン!!
アーサーの剣が、弾かれる。
踏み込みごと、押し返される。
「‥‥‥‥ッ!」
初めてだった。
真正面から、"止められた"。
男が動かない。
ただそこにいるだけで、剣を受け止めている。
「遅い」
低い声。反撃が来る。
「下がって、アーサー!!」
マーリンの声が走る。
アーサーは即座に距離を取る。
空気が変わる。
マーリンが前に出た。
小さな手が、静かに掲げられる。
「緑、青ーー」
一瞬の間。
「拘束凍界」
風が、走る。
見えない刃のように空間を縫いーー
バキィィンッ!!
氷が弾けるように広がった。
男の足元から、一気に凍りつく。
地面ごと、空気ごと、"動き"そのものを封じるように。
風が絡みつく。氷が締め上げる。
完全拘束。
「ほう‥‥」
男が、わずかに反応する。
その声に、ほんの少しだけ興味が混じった。
「それなりだな」
だがーー
ピシ、と。氷に、ひびが入る。
マーリンの目が、わずかに細まる。
「‥‥ダメ。抑えきれない」
完全には、止まらない。
しかしーー十分だった。
「今!」
その一言だけ。
アーサーは、すでに踏み込んでいる。
「アルトリア流剣術ーー」
踏み込みが、さっきまでと違う。
一直線じゃない。間を裂くように、ずれる。
エクスカリバーが、短く言う。
「右、半歩」
アーサーの足が滑る。
凍りついた地面の上で、軌道だけが変わる。
「ーー貫きます!!」
「牙突ッ!!」
ドォォォォォン!!
一点に収束した突きが、氷ごと空間を押し潰す。
直撃ーーのはずだった。
キィンッ!!
硬質な衝突音。
刺客の前に、"何か"がある。見えない。
だが確かに、そこに壁があった。
火花が散る。衝撃が地面を抉る。
「‥‥‥‥触れたか」
男が、わずかに目を細める。
氷の拘束が、同時に砕けた。
バキン、と。風も、ほどける。
アーサーはその反動ごと、さらに一歩踏み込む。
止まらない。止めない。
「もう一度ーー!」
「欲張りね」
エクスカリバーの声。だが、止めない。むしろーー合わせる。
「今度は左」
アーサーの軌道が、ずれる。
同じ突きじゃない。"通れる角度"を選び直す。
ズレた刃が、見えない壁の縁をなぞる。
ギリ、と。何かが削れる感触。初めてだった。
「‥‥‥‥」
男の声に、ほんのわずかな驚き。
アーサーの突きが、半歩だけ"内側"に入る。
浅い。だがーー届いた。
ザッ、と。外套の端が裂ける。
遅れて、血が一筋。
ほんのわずか。それだけ。
「‥‥‥当てた」
蓮が、息を呑む。
男は、静かに自分の肩を見る。
指で、血をなぞる。
そしてーー初めて、はっきりと笑った。
「いいな」
声に、熱が乗る。
「今のは、ちゃんと"狙ってきた"」
次の瞬間ーー
消える。さっきより速い。
「っーー!」
アーサーの視界から、完全に外れる。
エクスカリバーが叫ぶ。
「上じゃない、下!!」
地面。影が、滑る。
「遅い」
足元から、斬撃。
だがーー
カァンッ!!弾く。
間に合っている。だが重い。今までと違う。押される。
「くっ‥‥‥!」
アーサーの足が、半歩沈む。
その一瞬。男が距離をとる。追わない。
ただ、様子を見る。
「足元から‥‥どうやって‥‥」
アーサーは剣を構えながら、低く言う。
エクスカリバーが静かに答える。
「おそらく、あいつの能力でしょうね。それよりーー」
一拍。
「確信したわ。あいつ、魔族よ」
アーサーの手が、わずかに止まる。
一瞬だけ。ほんの一瞬。
だがそれは、今までなかったことだった。
「‥‥‥‥魔族」
低く、絞り出すような声。
エクスカリバーが、怪訝そうに言う。
「‥‥‥‥何?どうしたの」
アーサーは答えない。
ゆっくりと息を吐いて、視線を男へ戻す。
手の力が、剣に戻ってくる。
その瞳に、わずかな熱が宿る。
「なるほど」
小さく、頷く。
「その剣ーーやはりただの器じゃないな」
視線が、エクスカリバーへ。
「"選ぶ側"か」
エクスカリバーが、鼻で笑う。
「やっと気づいたの?」
だがその声は、少しだけ低い。
男は構えを変える。ほんのわずか。だが空気が変わる。
「ならーー本気を見せよう」
マーリンが、ぽつりと呟く。
「‥‥‥来る」
空気が、止まった。
音が消える。炎の揺れさえ、一瞬遅くなった気がした。
それが合図だった。
世界が、歪んだ。




