深き森の先
ふわり――。
誰にも見えない風が、マーリンの銀髪を優しく揺らした。
その場にいた誰も気付かない。
だが、マーリンだけは何かが傍にいるような、不思議な感覚を覚えていた。
まるで誰かが隣に座り、そっと頭を撫でてくれているような。
懐かしいような。
寂しいような。
そんな温もりだった。
「……変なの」
小さく呟き、自分の胸元に手を当てる。
しかし、その感覚は一瞬で消えてしまった。
「マーリン?」
隣でアーサーが顔を覗き込む。
「どうしました?」
「ううん」
マーリンは首を振った。
「なんでもない」
そう答えたものの、どこか落ち着かない。
そんな様子を見ていたルイが、ふと首を傾げた。
「……あれ?」
「どうした?」
蓮が尋ねる。
ルイは少しだけ不思議そうな顔をしていた。
「今、風の精霊さん達が騒いでたんだけど……」
「騒ぐ?」
「うん」
「なんか"やっと見つけた"とか、"起きて"とか、そんな感じ」
「は?」
蓮が眉をひそめる。
「誰に?」
「分かんない」
ルイは困ったように笑った。
「みんな興奮してて、よく聞き取れなかった」
オズワルドも珍しく考え込んでいた。
「……精霊達がそのような反応を示すとは」
「珍しいのか?」
トリスタンが酒瓶を揺らしながら尋ねる。
「はい」
「精霊は気まぐれな存在ですが、自ら何かを求めることは少ないと聞きます」
「まして、ここまで強い反応を示すなど……」
オズワルドは言葉を切り、静かにマーリンを見た。
しかし当の本人は、ドルの背中から降りて、泥の残骸をつついていた。
「むー」
「もう動かない?」
「動いたら燃やす」
「怖ぇ!?」
三馬鹿が同時に悲鳴を上げる。
「お嬢はもう十分怖いですぜ!」
「兄貴より怖い!」
「いや、兄貴も怖い!」
「だから兄貴と呼ぶな」
ランスロットがため息を吐いた。
そのやり取りに、一同から小さな笑いが漏れる。
だが。
誰も気付いていなかった。
マーリンのすぐ後ろ。誰にも見えない空間で。
一つの小さな銀色の光が、嬉しそうに彼女の周囲をふわふわと飛び回っていたことを。
その光は、まるで再会を喜ぶように。
幼い少女の背中へ、そっと頬を寄せて寄り添っていた――。
***
翌朝。
沼地を抜けた蓮たちは、再び森の中を進んでいた。
昨日までとは、明らかに空気が違っていた。
じめじめとした湿気は消え、頬を撫でる風はどこか心地よい。
木々の隙間から差し込む木漏れ日が、揺れる葉を照らし、
森全体が淡い光に包まれている。
小鳥のさえずり。遠くを流れる小川のせせらぎ。
そして風に混じる、甘い花の香り。
まるで森そのものが生きているような、不思議な感覚だった。
「なんか……空気変わったな」
蓮は思わず周囲を見回した。
昨日までの魔物が徘徊する危険な森とは思えない。
むしろ、心が落ち着いていくような静けさがある。
「うん!」
先頭を歩いていたルイが嬉しそうに振り返った。
長い耳をぴこぴこと動かしながら、満面の笑みを浮かべている。
「もう近いよ!」
「近いって、エルフの里か?」
「そう!」
ルイは小さく飛び跳ねた。
「今日中には着くと思う!」
「やっとかぁ……」
蓮は大きく伸びをした。
王都を出発してから四日。
魔狼に襲われ、沼地で泥まみれになり、マッドゴーレムの大群と戦い――。
思い返せば、まともな旅ではなかった。
「長かったな……」
「酒も少なくなってきたしのう」
トリスタンが残り少なくなった酒瓶を揺らしながらため息をつく。
「いや、そこかよ」
「重要じゃぞ?」
「絶対違う」
蓮は呆れたように肩を竦めた。
その後ろでは、三馬鹿も相変わらず騒がしい。
「見ろプー!」
「花が咲いてますぜ!」
「……食える?」
最後尾を歩くドルの一言に、トイが目を剥く。
「お前そればっかだな!」
「腹減った」
「昨日あれだけ食っただろ!?」
「……消化した」
「燃費悪すぎんだろ!!」
そんなやり取りを見て、アーサーが小さく笑う。
「ふふっ。すっかり旅にも慣れてきましたね」
「慣れたくないですぜぇ……」
プーが涙目になる。
「俺達、山賊だったんですけど……」
「今は荷物持ちじゃ」
トリスタンの一言に、三人は揃って肩を落とした。
そんな賑やかな空気の中。
不意に、先頭を歩いていたマーリンの足が止まった。
「……?」
銀髪が風に揺れる。
小さな瞳が、森の奥をじっと見つめていた。
「どうした?」
蓮が声を掛ける。
しかし、マーリンは答えない。
まるで何かに耳を傾けているようだった。
やがて、小さく呟く。
「……いっぱい」
「いっぱい?」
「うん」
マーリンは不思議そうに首を傾げた。
「キラキラしたの」
「キラキラ?」
「楽しそう」
その言葉に。
隣を歩いていたルイの目が、驚きに見開かれた。
「え?」
「マーリン……もしかして――」
だが、その時だった。
「キャアアアアアッ!!」
森の奥から、少女の悲鳴が響いた。
穏やかだった空気が一変する。
ランスロットの目が鋭く細められた。
アーサーも瞬時に剣へ手を伸ばす。
「今のは!?」
「向こうの方だ!」
ルイの顔から笑顔が消える。
エルフ特有の長い耳がぴくりと動いた。
「急ごう!」
「行くぞ!」
蓮の声と共に、一行は一斉に駆け出した。
誰も知らない。
その悲鳴が、蓮たちをエルフの里の騒動へと引き込むとは――。




