先生
鷲の里から戻って、数日が経った。
その結果――
「エルメス様ー!!」
バタバタと足音が響く。
セシルが、大量の資料を抱えて部屋へ飛び込んできた。
「こちらの確認印もお願いします!」
「……まだあるのかい?」
エルメスが、本気で嫌そうな顔をする。
机の上には、既に大量の書類。
山積み。もはや机の木目すら見えていない。
「まだまだありますよー!」
セシルは容赦がない。
「鷲の里へ行っていた数日分ですからね!」
「むしろ減った方です!」
「減ってこれなのか……」
エルメスが遠い目をした。
その横では、
マーリンが机へ突っ伏している。
「紙いっぱい……」
完全にぐったりしていた。
「マーリンちゃんは仕事してませんよね?」
セシルが冷静にツッコむ。
「応援してた……」
「絶対してません」
ガチャッ――。
扉が勢いよく開く。
「よぉう!!」
昼間だというのに、
酒瓶を片手にしたトリスタンが入ってきた。
「エルメス!!」
「大変そうだなぁ!!」
「邪魔しに来たなら帰ってくれるかい?」
「冷てぇなぁ」
トリスタンが笑う。
「蓮みたいなこと言いやがって」
「彼は僕の弟子だからね」
エルメスが淡々と返す。
「嫌なところばっか似てんな」
「おっさんにだけは言われたくねぇ」
部屋の隅。
いつの間にかいた蓮が即座にツッコんだ。
「うぉっ!?」
トリスタンが肩を跳ねさせる。
「居たのかお前!!」
「さっきから居たわ」
そんな騒がしい空気の中。
マーリンが、ふらふらと立ち上がった。
「……アイス買ってくる」
「え?」
セシルが反応する。
「いいなー……」
その瞬間。
エルメスが小さく笑った。
「行っておいで」
「休憩も大事だ」
「ありがとうございます!エルメス様!」
セシルの顔がぱっと明るくなる。
「やったー」
マーリンも少し元気になった。
そして二人は、
仲良く部屋を出ていく。
バタン――。
静かになった部屋で、
エルメスが苦笑する。
「本当に」
「女の子って甘い物好きだよね」
「ワシは塩辛いのが好きだがの」
トリスタンが酒を飲みながら頷く。
「おっさんの好み聞きたくねぇ」
蓮が即座に切り捨てた。
「なんじゃその扱い!?」
***
街は、昼間ということもあり賑わっていた。
「アイス♪ アイス♪」
マーリンが珍しく上機嫌で歩く。
その隣を、セシルが苦笑しながらついていく。
「そんなに嬉しいんですか?」
「甘いものは世界を救う」
マーリンが真顔で答えた。
「そこまでですか……?」
そんな他愛もない会話をしながら、
二人が通りを歩いていた、その時だった。
「――おや?」
穏やかな声。
「……?」
セシルが振り返る。
そこには、一人の男性が立っていた。
黒いローブ。
整った顔立ち。
柔らかな笑みを浮かべた、優しそうな男。
だが――
なぜか周囲の空気だけが、妙に静かだった。
男は、マーリンを見ると少し目を細めた。
「久しぶりですね」
「っ……」
マーリンの肩が、ぴくりと跳ねる。
「せ、先生……」
セシルが目を瞬かせる。
「先生?」
男は穏やかに一礼した。
「どうも」
「以前、少しだけ彼女へ魔法を教えていた者です」
「少しどころじゃない……」
マーリンが小さく呟く。
男はそんな彼女を見て、優しく笑った。
「魔法の練習は順調ですか?」
その瞬間。
マーリンとセシルが、
同時に目を逸らした。
「……?」
男が首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「いや、その……」
マーリンがもごもごする。
セシルも気まずそうに咳払いした。
「実は……」
マーリンが、小さな声で言う。
「杖が……」
数秒の沈黙。
「……折れました」
「へぇ」
男は、相変わらず優しく微笑んだままだった。
なのに。
「ひっ」
マーリンの顔が青ざめる。
セシルも、
なぜか背筋が寒くなった。
男は静かに手を差し出した。
「見せてもらっても?」
マーリンが、おずおずと折れた杖を取り出す。
男は、それを静かに見つめ――
ふっと目を細めた。
「……なるほど」
その瞬間。
「"白と黒"を混ぜましたね?」
空気が止まった。
「っ――!?」
マーリンが固まる。
セシルも目を見開いた。
男は、折れた杖の断面を指でなぞりながら続ける。
「魔力の焼け方が不自然です」
「通常の暴走ではありません」
静かな声。
「異なる属性を、無理やり融合させましたね?」
「…………」
マーリンの顔から血の気が引いていく。
なぜ分かった。
誰にも説明していない。
男は小さく溜息を吐いた。
「危険ですよ」
「下手をすれば、あなた自身が壊れていました」
怒ってはいない。
だが。
マーリンは完全に、
怒られている子供みたいになっていた。
「……ごめんなさい」
マーリンがしゅんと肩を落とす。
男は、折れた杖を見つめたまま小さく息を吐いた。
「謝る必要はありません」
「好奇心そのものは、魔術師にとって大切ですから」
「じゃあセーフ?」
マーリンの目が少しだけ輝く。
「アウトです」
「ですよね……」
セシルが思わず吹き出しかける。
だが、男は本気で怒っているわけではないらしい。
「"白と黒"‥‥光と闇は」
「本来なら、極めて相性の悪い属性です」
男は静かに続ける。
「無理に混ぜれば、術者側が耐えられない」
「杖が壊れただけで済んだのは、運が良かったんですよ」
マーリンは気まずそうに目を逸らした。
「……反省してる」
「本当に?」
「ちょっとだけ」
「反省してませんね」
穏やかな会話。
だが、セシルはどこか不思議な感覚を覚えていた。
この男。
ただ話しているだけなのに――
妙に空気を支配している。
その時だった。
「……ん?」
通りの向こう。
蓮の足が止まった。
「どうした?」
隣で酒を片手に飲んでいたトリスタンが眉を上げる。
酒をグビっと飲む。
蓮は、じっと前方を見ていた。
そこには――
セシルとマーリン。そして見知らぬ男。
黒いローブ。
柔らかな笑み。
整った顔立ちの優男。
しかも。
マーリンが珍しく、大人しく話を聞いている。
蓮の眉がぴくりと動く。
「誰だ……あの優男」
「は?」
トリスタンが目を細める。
「本当だな」
「あれは‥‥‥‥‥」
「ただの知り合いじゃろ」
「俺は知らん」
即答だった。
蓮の目が鋭くなる。
「怪しいな」
「お前の方が怪しいわ」
だが蓮は真剣だった。
「マーリンは騙されやすい」
「変な男に絡まれてる可能性がある」
「お前完全に父親目線じゃな」
「違う」
「いや違わん」
向こうで、男がマーリンへ微笑みかけた。
マーリンが少し困ったように視線を逸らす。
「…………」
蓮の顔が険しくなる。
「トリスタン」
「尾行するぞ」
「やめとけ」
だが、蓮はもう動いていた。
「おい待て!!」
「完全に不審者じゃぞお前!!」
慌てて追いかけるトリスタン。
そして――
「……お前ら何してる」
低い声。
「っ!?」
蓮達がビクッと振り返る。
そこには、
買い物帰りらしいランスロットとアーサーが立っていた。




