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第1話 王立舞踏会での断罪、静かなる「契約解除」

 シャンデリアの眩い光が降り注ぐ王立宮殿の大広間で、グラスの重なる高らかな音が不意に止んだ。


「エレノア・フォン・ローゼンバーグ! 貴様との婚約を、これより破棄する!」


 広間の中央。黄金の髪をなびかせた第一王子アレクシスが、声高らかに宣言した。その傍らには、桃色の髪をなびかせ、小動物のように怯えた仕草を見せる男爵令嬢クロエが寄り添っている。


「公爵令嬢でありながら愛想のひとつもなく、地味で無能。その上、我が国の内政費用を過剰に計上し、横領していたそうだな! クロエを陰で苛んでいたこともすべて分かっている。貴様のような冷血で強欲な女は、我がシルヴェニア王国の妃にふさわしくない!」


 周囲の貴族たちから、一斉に下劣なヒソヒソ話が漏れ出した。同情の視線などどこにもない。そこにあるのは、落日の公爵家と「役立たずの地味令嬢」が惨めに突き落とされる瞬間を品定めする、下衆な好奇心だけだ。


「エレノア様……どうか、アレクシス様を責めないであげてくださいませ」


 クロエは、うるんだ瞳でアレクシスの腕にすがりつく。


「わたくし、エレノア様にどれほど恐ろしい目で見つめられても、ずっと耐えてまいりました。でも、アレクシス様が『君のような可憐な女性こそが、僕の真のパートナーだ』とおっしゃってくださって……」


(―――ああ、なるほど)


 責め立てられる中心に立つエレノアは、ただ静かに一呼吸を置いた。


 夜空を溶かし込んだような濃紺の髪に、深い知性を秘めた紺碧の瞳。洗練された美しい顔立ちをしているはずの彼女は、舞踏会だというのに一切の装飾品を身につけていなかった。


 周囲が「地味だ」「華がない」と蔑むその理由は単純だ。


 エレノアには、装飾品を選ぶ時間も、ドレスをあつらえる余裕もなかったから……。


(先月提案した『魔導水路のバイパス計画』の書類をアレクシスの名義で提出し、不眠不休で徹夜の計算を続けていたのは誰だったかしら?

(横領? 国庫の予算が足りないからと、私個人と実家の私財を投じて魔法陣の魔石を補充していたというのに)


 呆れを通り越して、胸の奥から湧き上がってきたのは―――圧倒的な「解放感」だった。


 もう、あの恐ろしい量の書類仕事をしなくていいのだ。


 深夜三時に「計算が合わない」と叩き起こされることも、自分の成果をすべて王子の功績として横取りされた挙げ句、「お前は何もしていない」と罵られることもない。


「……承知いたしました」


 エレノアは凛とした声で応じた。取り乱すどころか、悲鳴ひとつあげない。


「な、なんだと……?」


 取り乱したのはアレクシスの側だった。もっと惨めに泣き叫び、すがりついてくると思っていたのだろう。動揺した王子をよそに、エレノアは左手の薬指にはめられていた細い婚約指輪をゆっくりと外した。


「アレクシス殿下。私への婚約破棄、並びに追放の申し渡しの命令、確かに受け賜わりました。これにて、ローゼンバーグ家と王家との契約はすべて解消されたものと理解いたします」


 エレノアは指輪を、床の上へと静かに置く。

 カラン、と高い金属音を立てて転がる。その瞬間、エレノアは瞳の奥で小さな魔法陣を極秘裏に展開させた。


 彼女が自身の膨大な魔力と独自の計算式によって、人知れず同調・維持し続けていた『国都魔導水路の核となる管理魔石』―――そのアクセス権限を、完全に手放したのだ。


(さようなら、私の愛した魔導術式(マトリクス)。……あとは、その優秀な男爵令嬢とお二人で、どうぞご自由に維持なさってください……)


「それでは、失礼いたします」


 完璧な所作で一礼を捧げると、エレノアは一切の未練もなく背を向けた。


 ざわつく大広間を突っ切り、驚愕に目を見張る貴族たちの間を通り抜けていく。


 背後でアレクシスが、


「な、生意気な女だ! 追放だ! 今すぐこの国から出て行け!」


と負け惜しみのように怒鳴り散らしていたが、その声も、もう彼女の耳には届いていなかった。


 ―――二時間後。


 国境へとひた走る、一両の質素な乗合馬車の中。


 窓の外を流れる夜の街並みを眺めながら、エレノアは深く、深く息を吐き出した。冷たい夜風が、火照った頬に心地よい。


「……ふふ」


 気づけば、自然と口元がほころんでいた。


 長年彼女を縛りつけていた重苦しい鎖が、ガラガラと崩れ落ちていく感覚。


「自由だわ。なんて晴れやかなのかしら」


 持ち出せた財産は、わずかな手荷物と、自身の頭の中に詰め込まれた魔導術式(マトリクス)の膨大な知識と計算式だけ。


 身一つで国を追い出された哀れな公爵家の追放令嬢―――世間からはそう見られているだろう。


 けれど、エレノアの心はかつてないほどに軽やかだった。


(まずはどこか静かな町で、小さな本屋でも開きましょうか。温かいスープを飲んで、ふかふかのベッドで朝まで眠るの。なんて素晴らしい人生かしら)


 馬車が大きく揺れ、シルヴェニア王国と隣国ガルディニア帝国を隔てる、極寒の国境線へと差し掛かる。


 だが、エレノアはまだ知らなかった。


 彼女が捨て去った王国が、この後、どれほど惨絶なパニックに陥ることになるかを。


 そして、この凍える国境のすぐ先で、彼女自身を「喉から手が出るほど欲していた」国内外から冷血皇帝と恐れられている存在が待ち構えているということを―――。

第1章の第1話をお読みいただき、ありがとうございます。


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