第04話 駅前で降りる
第04話 駅前で降りる
朝食を終えたあと、森田家はいつもの慌ただしさに包まれていた。
香織は食器を洗いながら、
「ハンカチ持った?」
と遥に声をかける。
「持った」
「社員証は?」
「持った」
「スマホは?」
「持った」
「お母さん」
遥は苦笑した。
「小学生じゃないんだから」
「忘れる時は忘れるのよ」
香織は真顔だった。
俊昭はネクタイを締めながら笑う。
「俺なんかこの前、社員証忘れたぞ」
「威張ることじゃないでしょ」
香織が即座に切り返した。
「執行役員が社員証忘れるのはまずいんじゃない?」
遥も言う。
「守衛さんに顔パスで通された」
「もっとまずい」
「まあな」
俊昭は苦笑した。
玄関の時計は七時四十分を指していた。
そろそろ出発の時間だ。
「じゃあ行くか」
俊昭が車のキーを手に取った。
遥もバッグを肩に掛ける。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
香織が見送った。
いつも通りの朝。
いつも通りの出勤だった。
俊昭の車は住宅街を抜けて駅へ向かう。
平日の朝らしく道路は少し混んでいた。
ラジオからは天気予報が流れている。
車内にはコーヒーの匂いが残っていた。
「そういえば」
俊昭がハンドルを握ったまま言う。
「最近どうなんだ」
「何が?」
「仕事」
「普通」
「それは聞いてない」
遥は窓の外を見た。
「普通だよ」
「本当に?」
「本当に」
「残業は?」
「ある」
「人間関係は?」
「ある」
「何だそれ」
遥は笑った。
「どこの会社にもあるってこと」
「まあ、それはそうだな」
俊昭も笑う。
少し沈黙が流れた。
信号が赤になる。
車が止まる。
「なあ」
俊昭が言った。
「まだ親戚だと思われてるのか?」
遥は思わず吹き出した。
「まだ言うの?」
「気になるだろ」
遥は肩をすくめた。
「そもそも研究開発本部と製薬部なんて接点ないし」
「でもたまに会うだろ」
「会う」
俊昭は大げさにため息をついた。
「社員に無視される役員ってどうなんだ」
「知らないよ」
「声かける方が問題なの」
遥はきっぱり言った。
「コネだと思われるの嫌なんだから」
俊昭は苦笑した。
「お前は真面目だな」
「普通だよ」
「いや」
俊昭は首を振った。
「俺なら利用できるものは利用する」
「最低」
「冗談だ」
「怪しい」
「半分冗談だ」
「もっと怪しい」
二人とも笑った。
駅前が見えてきた。
通勤客が歩いている。
コンビニの前には人が並び、バス停には長い列ができていた。
俊昭は駅前ロータリーへ車を寄せる。
「じゃあここで」
遥がシートベルトを外した。
「おう」
俊昭は頷く。
遥はドアを開きかけて、
「じゃあ行ってきます」
「おう」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
ドアが閉まる。
遥は人混みの中へ歩いていく。
俊昭はその背中を少しだけ見送った。
子供の頃は手を引いて歩いていた。
いつの間にか、同じ会社で働く大人になっていた。




