第15話 警察への相談
第15話 警察への相談
水曜日の午後だった。
田中は、会社の応接室で封筒を膝の上に置いていた。
中には、説明用の資料と提出用の資料が入っている。
アクセスログ。
認証履歴。
端末情報。
新薬関連資料の閲覧記録。
そして、調査報告書。
すべてコピーを取り、項目ごとに付箋を貼ってある。
隣には、会社の顧問弁護士が座っていた。
「準備はよろしいですか」
弁護士が静かに聞いた。
「はい」
田中は頷いた。
声は思ったより硬かった。
警察署に着いたのは、午後二時少し前だった。
受付で弁護士が名刺を出す。
「事前にご連絡していた件で伺いました」
受付の警察官は名刺を確認し、内線でどこかへ連絡した。
しばらくして、
「刑事課へお通しします」
と言われた。
田中は封筒を抱え直した。
通されたのは、小さなブースだった。
取調室ではない。
机が一つ。
椅子が四つ。
簡単な仕切り。
それだけの場所だった。
そこに私服の警察官が二人いた。
「刑事課の黒川です」
一人が名刺を差し出した。
田中も名刺を出す。
「情報管理部の田中です」
弁護士も名刺を差し出した。
「本日は、会社として今後どのように対応すべきか、ご相談に参りました」
黒川は頷いた。
「では、内容をお聞かせください」
田中は封筒から資料を取り出した。
説明用の資料を手元に置き、提出用の資料を刑事の前へ置く。
「今回、アメリカの提携製薬会社から調査依頼がありました」
田中は資料を読みながら説明を始めた。
「対象は、弊社が開発中の糖尿病新薬です」
「発表前に、関連銘柄へ不自然な買いが集中していたとのことで、内部情報流出の可能性について確認を求められました」
黒川は資料に目を落としながら聞いている。
「弊社でアクセスログを確認したところ、新薬関連資料へのアクセス記録が確認されました」
「そのアクセスは、弊社役員のIDによるものです」
黒川の視線が少しだけ上がった。
「役員ですか」
「はい」
田中は答えた。
「ただし、現時点では本人への確認は行っておりません」
「理由は?」
田中は一度、弁護士を見た。
弁護士が頷く。
「相手が役員であるためです」
田中は続けた。
「確実な疑いがない段階で本人に確認を行えば、名誉や社内統制の問題になります」
「一方で、このまま会社内だけで抱えることも、隠蔽と受け取られる可能性があります」
黒川はメモを取った。
「そのため、会社としてどう対応すべきか、ご相談に参りました」
田中は次の資料を出した。
「こちらが接続ログです」
「こちらが認証履歴」
「こちらが端末情報」
「こちらが閲覧されたファイルの一覧です」
黒川は一枚ずつ確認していく。
「IDは本人のものですね」
「はい」
「認証は?」
「パスワード認証に加え、指紋認証が成功しています」
「端末は?」
「本人に登録されている端末です」
「外部通信は?」
「確認されています」
黒川はしばらく黙った。
もう一人の刑事が資料を横から覗き込む。
小さなブースの空気が少しだけ重くなった。
弁護士が口を開いた。
「会社としては、現時点で断定はしておりません」
「ただ、資料上は疑いを否定できない状況です」
「必要であれば、追加資料の提出、ログの保全、関係者への協力は行います」
黒川は頷いた。
「分かりました」
そして、資料をまとめる。
「まずは資料をお預かりします」
田中は小さく息を飲んだ。
その言葉が、妙に重く聞こえた。
「これは、署だけで判断する案件ではないと思います」
黒川はそう言った。
「サイバーの担当にも確認します」
田中は頷いた。
「よろしくお願いいたします」
相談は一時間ほどで終わった。
田中と弁護士は警察署を出た。
外はまだ明るい。
車の音がしている。
通行人が歩いている。
何も変わっていないように見えた。
だが田中には、何かが変わってしまったように思えた。
手元に封筒はもうない。
提出用の資料は、警察署に置いてきた。
田中は無言で空を見上げた。
弁護士が静かに言った。
「ここから先は、警察の判断になります」
田中は頷いた。
「はい」
それだけだった。




