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「失礼。気を害されたなら謝ろう。確かに、当初は疑った。何か目論見があり、手練れの者を女官として送り込んだのではと。というのも、半月ほど前に、侵入者が兵士ではない何者かによって倒された。侵入者は門兵の目を盗んだが、その先の荷物の卸場でやられた。そこを平時出入りするのは女官か、下働きの者」
「ほう」
「へえ」
「……」
姫榕と劉燕の視線が私に刺さる。私は二人の目を見ることができなかった。頭の中には、むしゃくしゃしていたあの日のことが蘇った。確かに、不審な男を倒してその辺を巡回していた兵士に引き渡した覚えはある。
(ま、まさかあれが今日に繋がってるなんて……)
私が静かに絶望している傍ら、参謀の話は続いていく。
「侵入者が口を割らない以上、その場で何があったのか調べなくてはならなかった。まさかとは思ったが、女官の可能性を否定できなかったため、登用届を検めた。そこで出てきたのが、紅龍楼の姫榕という名前。なぜそこの者が女官に、と疑問を抱いたことは咎めないでもらいたい」
「登用届に偽証があってはなりませんから、そのまま書かせましたが。これは思いもよらないことになりました。なあ、姫榕」
劉燕が目を丸くして「おやおや」という口ぶりで姫榕に問いかけた。姫榕も「まいったな」とわざとらしい。
(この人たち、まさか)
「とはいえ、その女官が手練れという証拠はない。ひとまず住処を確かにするために、跡をつけさせてもらった。すべて失敗したが、彼女がただ者ではないということは分かった」
(あちゃーー)
一生懸命撒いていたのに、その裏で私は何かを証明してしまっていたらしい。果たして撒くのが正解だったのか、尾行を許すのが正解だったのか。
「そういうことだったか。目的が見えないのは気味が悪いものだ」
「昨日催促されたような気がしてね」
「はは。目がいいことで」
姫榕と参謀が何か通じ合っている。催促とはいつのことだ。昨日とは。昨日は散歩中に逆恨みしたお客に絡まれ、碧悠さんに引き渡しただけで、参謀と姫榕の接触はなかったはずなのに。
(???)
私は首を傾げた。すぐに横から劉燕が押し戻してくる。真っ直ぐにしていなさいということらしい。
「疑いは晴れたか? 参謀殿」
「ああ。納得がいった。彼女が女官として働いている事情も、呑み込んだ」
疑ってきた割には、やけにあっさりしてはいないだろうか。姫榕も劉燕も昔に評判が悪かったことがあるといったって、うちは極悪危険な組織ではない。それなのに、こうして参謀が直々に確かめにくるなんて、ちょっと扱いがよすぎるのではないだろうか。このご訪問の裏には、別で目的があるのでは。
私はこっそり、劉燕と姫榕の様子を窺った。しかし劉燕も姫榕も、何事もない顔で平然としている。
(――いや違う)
この顔は。笑いをこらえている顔だ。しれっとしているが、お腹の中では大爆笑している、そういうときの顔である。事をあまり重要視してはいないと見た。
(いいの? 大丈夫なの?)
私が安心していいのか、警戒したままのがいいのかと訝しんだとき。
「あらぬことを疑ったことはすまなかった。その上で、頼みたいことがある」
参謀が、口を開く。私は心の中で「やっぱり」と唱え、ばれない程度に参謀を睨んだ。
「ほう? 誰にだ」
姫榕が楽しそうに問う。
「彼女だ」
参謀の目が、私に向いた。
「私付きの、女官になってはくれないか」
「……え」
思わず、ぽつりと声が漏れた。えらく真っ直ぐな瞳だった。参謀ははっきりと、不思議なことを言った。
(参謀付きの女官……?)
そんなのいたっけ、と脳内で自分に問いかけ、自分で「知らない」と返事をする。確かに偉い官吏のところには専属の女官がいることもあるが、参謀にそんな人がいるとは聞いたことがない。
「参謀も文官の端くれ。日々は事務仕事で追われている。周りは粗雑な武官ばかりでね。世話役が必要と思っていたところだった。ただ、女官の方々は気がそぞろな方が多く、中々頼みがたい。どうしたものかと思っていた」
気がそぞろ。私は私に仕事をぽいぽいと放ってくる先輩女官たちのことを思い浮かべた。確かに、しっかり仕事をしてほしくとも、誰でもいい訳はない。彼女たちが日々官吏を追いかけているのを知っていれば、敬遠したくなる気持ちは分かる。
(しかし、それがどうして何故私になる)
参謀は言葉を一度切り、姫榕と劉燕へ視線を渡らせた。
「……彼女の身のこなしや、宮中での働きぶりから、彼女に任せたいという結論に至った。一抹の不安を払拭できた今、是非にと乞いたい」
(そういう、ことになるの……?)
参謀の言葉をそのまま吞み込んでいいのだろうか。ここまで乗り込んできた割に、頼みが軽くはないだろうか。が、国の軍の大参謀から「是非に」と言われることがどれほどのことだろう。きっと、相当なことに違いない。簡単に無下にしていいものではないような気がする。
「一応、身元保証人からも許しをもらっておきたいと思った次第」
「ほう? それはどういった理由で? まさかいかがわしいことをさせるつもりだろうか」
「そういうことがないことを約束せねばと。うちの兵士どもを含めて。荒っぽいところ故、心配をかけてはならない」
「間違いなく約束していただこう。ちんちくりんでも、あれは大事なうちのもんなんでね」
姫榕の目が怪しく光る。参謀は「承知している」と頷き、「どうだい」と私へ再度問いかけた。
私はどう答えようかと、隣へ顔を向けた。劉燕は笑みを湛えていたが、私と目が合った一瞬だけ、瞳の色を濃くした。その意味を、私は理解する。
「……参謀様」
背筋を正した。参謀と碧悠さんにゆっくりと頭を下げる。身内たちが微笑む気配がした。
「お話、承知いたしました。私を選んでいただいたこと、光栄に思います」
参謀は人のよさそうな顔で「ありがとう」と答えた。
「女官長の方へは話を通しておくから、その内声がかかるだろう。頼もしく思っているよ。よろしくね」
私が「はい」と頷き、劉燕が恭しく頭を垂れたのと同時に、姫榕が席から立ち上がった。
「誇らしいことだ。我が紅龍楼からまさか参謀殿付きになる者が出るとは。朱春、身命を賭して仕えろよ」
聞いたことのない真剣な声だった。姫榕は自信と誇りに満ちた顔で、嬉しそうに笑った。胸が熱くなるようなその真摯な姿に応じ、私は今一度、参謀たちへ礼を向けたのだった。
――が。
「可もなく不可もなく、適当にやっておけ」
参謀と碧悠さんが帰った矢先、気だるそうに椅子にかけた姫榕はそう発した。私は茶器を片づけていた手を止めた。
「劉燕。あの野郎、あれでうちを監視下に置いたつもりか?」
「そんなめでたくはないんじゃない?」
「こいつを宮廷に派遣して信用を得る計画の展望は?」
「参謀が妙なことを考えていない限り、支障はない。むしろ固くなったと思うけど、うちとしてはそこまで望んじゃいなかった。朱春に頑張って働いてもらって、軽く恩と売っとくか、くらいだっただろう」
「だよなあ。持ち掛けてきた姜准も、謀略に向いてるタマじゃないし」
二人の血の通わない会話を聞きながら、私は心の中で「おい」とつっこんだ。この二人、私を宮廷に差し出したのはそういう訳だったのか。姫榕は当初渋っていたように見えたけれど、あれは演技だったのかもしれない。
「――朱春、どうしたしけた顔して」
姫榕がひょいを私を持ち上げ、膝に座らせた。姫榕の膝は固くて座り心地が悪い。私は抜け出そうとごそごそ動いたが、姫榕にがっちりと捕まり、それは叶わなかった。
「しけた顔にもなるよ。あそこの女官たち、全然働かなくて、仕事押し付けてくるからもう辞めてやろうかと思っていたのに」
こうなったら、とこれまで一応黙っていた内情を明かす。すると今度は劉燕が私の頭をわしわしと撫で回し始めた。
「まあまあ。あいつがお前を近くに置くことに意味はあるはずだ。あちらの言い分の半分は本当だろうが、きっと半分は別の理由がある。うちを警戒するだけならいいけれど、それ以上は困るからね。朱春、しばらく辛抱してくれるかい」
要するに、しばらく参謀の傍にいて、様子を探ってこいということだ。そう簡単に腹の内を探れる相手ではないと知っていて、こんなことを言ってくるのは非常にどうかと思う。
(でもこの場所、この人たちに何かされるのは許せない)
参謀の一番近くという場所は危険を察知するには、却って都合がいいのかもしれない。私はやむなく腹を括った。
「やめ、やめて。分かった、分かったから……」
劉燕の手を逃れようと、頭を四方へ動かす。劉燕はふっと笑みを漏らし、撫でる手は止めたが、代わりに私の頭をぎゅうと抱えた。体は姫榕に、頭は劉燕に自由を奪われる。
耳の近くで静かな声がする。
「お前の身や命をくれてやるつもりはないよ。何かあったらお言い」
すると反対の耳へ、姫榕が顔を寄せた。
「俺たちの命令か、てめえの判断で退け」
間近から聞こえる低い声は、直接私の神経に触れる。彼らが分け与えてくる熱は温かい。その一方で、波が立っていた心の中は、しんと凪ぐ。
(分かった)
口には出さず、了承した意を込めて頷く。私を抱き、抱える二人は耳元に顔を寄せたまま「いい子だ」と息を漏らした。
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