色んな目
今日から週1更新になります。気長にお付き合いくださいませ。
大参謀殿が紅龍楼に来てから三日。流石というべきか、恐るべしというべきか、私の直属の上司にあたる蘭女官長より、内密に呼び出しがあった。絶賛女官長たちの会議の準備をしていた私は、蘭女官長に「ちょっといらっしゃい」と言われるがまま、彼女の執務室へ移動した。
「落ち着いてお聞きなさい」
女官長は私を前に、真剣な面持ちで言った。言いぶりから察するに、彼女は、私が当件を知らないでいると思っているらしい。
(そういう設定なのかな)
私は彼女に合わせることにし、「はい」と神妙に頷いた。蘭女官長は密室にも関わらず、声を落とした。
「軍の大参謀、橘の志鶴様よりお話がありました。これまで側近しかお傍に置かなかったお方が、誰か寄越してもらえないかと」
(ほう)
「理由を聞けば、男所帯で諸々行き届かずご不便もおありだとか。誰か気の利いた、真面目な女官を頼みたいとのお話でした」
「そうなのですね」
「先日橘様がお前の実家の……酒楼へ足を運ばれたそうね」
「……そのようです」
「そこでの立ち居振る舞いを評価された橘様は、お前を専任の女官にと指名されています」
「…………」
そういう筋書きにしたのか。確かに私と参謀の接点はこれまでなく、彼がいきなり私をというにはそれなりに理由を作らなくてはならない。「成程」と思って黙っていると、蘭女官長は私が驚いて声が出ないと思ったのか、「そうでしょう」と大きく頷いた。
「私たちも驚きました。橘様の目にかなったことは私も誇らしく思いますが、そのままお受けするのは角が立ちます。他の女官たちからの要らぬやっかみの種になりましょう」
「では……」
「建前としては、橘様から誰か推薦してほしいという依頼があったので、こちらでお前を選んだということにします」
女官長の顔には、はっきりと「情けない」と書かれている。
「皆、真面目に仕事に取り組んでいればこういうことがある、と励みにしてもらいたいものです。お前がいなくなると痛手ですが仕方ありません」
「あの……推薦という形の方が、角が立たないというのは」
「お前もよく知っていましょう」
女官長にぴしゃりと言われる。
「全員とは言いませんが、下働きの女官たちはどんなに私たちが叱ろうとも、図太い根性で官吏を追いかけるのに精を出すばかりです。官吏の上も上、大参謀に声をかけられたという事実を彼女たちがどう理解するか」
つまり、玉の輿に乗る大きな一歩を踏み出した、と捉えられるということである。しかも特大の輿に。
「私たちからの推薦としたことで、どれだけ効果があるか分かりませんが、少なくとも参謀からとするよりはましなはずです。ただ、それでも何か言われたり、されたりするかもしれません。支障があるようでしたら、私や橘様に言うのですよ」
「……分かりました。お心遣い、ありがとうございます」
「とはいえ、こちらもお前がいなくなると困ります。橘様にはかけあって、ある程度はこちらのこともやってもらうと了承を得ています」
「……はい」
何だか結局仕事が増えるだけになりそうな予感を覚えつつ、私は蘭女官長に礼をした。
「大参謀のところへは明日、私が案内をします。準備をしておきなさい」
「承知しました」
「はあ……」
女官長は頭を抱えながら席を立ち、話は終わりだと目で語ると、部屋を後にした。これからのことを慮って、頭が痛くなっているのだなと思った。蘭女官長は女官の人事も担当している。色んな事に悩み、気を遣う、大変な立場だ。気苦労が絶えないだろう。
(倒れられてはいけない)
できるだけ私もこちらを手伝いに来るようにしよう、と傾いている彼女の背中を見て思った。
そして次の日。私は蘭女官長と特に仰々しくもなく、淡々と連れ立って歩き、大参謀室までやってきた。すれ違った女官たちは「どうしたのだろう」という顔をしたが、さして気にしてはいないようだった。
私が参謀付きになることは、わざわざ大声で周知することはしないので、その内知られることになろうが、しばらくは静かに過ごしていられるはずだ。仕事を押し付ける先輩たちは、仕事を押し付けるときにしか私に興味がないのだから。
「ここが参謀室です。気を入れなさい」
「はい」
女官長は背筋を伸ばし、堂々として「連れて参りました」と中へ声をかけた。すると、参謀の「どうぞ」という声が返ってくる。
「失礼いたします」
女官長と共に部屋の中へ入れば、執務机に座っている参謀と目が合った。部屋の隅には碧悠さんが控えている。彼は私たちに向かって、会釈をした。
「蘭女官長。手間をかけました」
「何のこともございません。この子をよろしくお願いいたします。お見込みのとおり、よく働く子です」
「うん。そちらでの働きぶりも聞いているから。心配はしていないよ。むしろそんな子を融通してもらってすまないね」
「…………いえ」
蘭女官長は何も言えず、ただただ頭を垂れた。
「じゃ、朱春はこちらへ」
「……はい」
参謀の手の合図に従い、私は女官長の傍を離れる。女官長はそれを機に、退出の意を表した。
「何かございましたら、お申しつけください」
「ありがとう」
蘭女官長は最後に私に目配せをすると、「失礼します」と言って部屋を出ていった。残された私は、彼女を見送った視線を、つつつと参謀へ移した。
「所属が変わった訳じゃないからね。配置が私付けというだけだから。今後も彼女のことは頼っていいよ」
私が「はい」と返事をするのと同時に、参謀は席から立ち上がった。
「さてと。改めて、だね」
正面に立つ参謀へ、私は拝礼の姿勢を取った。劉燕が「一般教養」として教えてくれた、一番偉い人にやるやつだ。
「本日より、精一杯努めます。よろしくお願いいたします」
姫榕が言っていた「身命を賭して」云々まで言うと嘘っぽくなりそうだったので、自分が本心で言えるだけに留めておいた。反応はいかに、と拝礼したまま様子を窺えば、頭上から「うん。よろしく」と簡単な返事が聞こえた。続いて同じ調子で「頭を上げていいよ」と言われる。
言うとおりに顔を上げる。参謀から私へはそれ以上の言葉はなく、彼は碧悠さんへ「じゃあ教えてあげてね」と軽く指示を出した。碧悠さんは凛々しく「承知しました」と応えると、こちらに向かって歩いてくる。
「あなたが控えているのはこちらです」
碧悠さんは部屋の北側にある戸を開け、私に来るよう促した。私は参謀へ一礼し、碧悠さんを追う。
戸の先は簡素な部屋で、棚や作業台が備えられているだけだった。
「こちらが茶器。参謀が使われるものです」
参謀が使うにしては、言い方はアレだがちょっと粗末な印象を受ける。一緒に置かれている盆も、かなりざっとした感じだ。
(うちの店で使ってる物の方が綺麗なような……)
そんなことは言えないので、私はただ「はい」と了承の意だけを伝える。碧悠さんはそうして部屋にあるものを紹介し、私に必要時にお茶を出したり、掃除をしたり、ときにはお使いなどもすることがある、と説明をした。
特別難しいことはなく、異論もない。私はひととおり聞いて、「分かりました」と答えた。
(昨日までの仕事量より遥かに少ない……!)
女官長たちの雑用に加え、かまどの掃除や食料運び、洗い物等々と比べると、今言われたことだけで一日過ごすのはもしかしたら暇かもしれないとさえ思ってしまうほどだった。
「することがないときは、女官長たちの補助にあたってください」
「……」
心の中を見透かされたかと思った。昨日、蘭女官長が言ったとおり、話は通っているらしい。
「承知しました」
返事をすると、碧悠さんは苦笑した。
「ですが、意外と部屋にいてほしいときもありますから。こちらを優先してくださいね」
ここにずっといろと言われているのか、用がないときは出ていけと言われているのか。その意味を正確には取りかねたが、徐々にうまいこと調整できるようになるだろう。
(参謀たちの様子も気になるし……)
何だか妙なことになったが、焦りは禁物だし、もがいたって疲れるだけと考え、気持ちを切り替えた。恐らく、真面目に働いているのが一番の得策だろう。
「承知しました。至らぬことがありましたらおっしゃってください」
ぺこと頭を下げた私に、碧悠さんの「参謀をお願いしますね」という優しい声が降ってきた。
お読みいただき、ありがとうございました!




