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その日の仕事を無事終え、私はもう一度大参謀室を訪れた。参謀と碧悠さんは私を待つばかりだったらしく、顔を見るやいなや「行こう」と椅子から腰を上げた。
先頭を参謀、少し後ろを碧悠さん、そのもう少し後ろを私が歩いた。傍から見ると、おつきの人に見えるか、何かをして、どこかに怒られに行く人に見えるかもしれない。
私が案内しなくとも、道は分かっているようで、参謀は先をずんずんと歩いていく。
「紅龍楼、初めて行くよ。碧悠は」
「初めてです。でも参謀、飲みに行くのではありませんよ」
「はは。知っているよ。絶世の月影に興味はあるけどね」
「……今日は会えるか、どうか」
「そうなのか」
「彼女、気まぐれなので」
「残念だ」
二人は飲みに行くのではなく姫榕に会いに行くのに、出てくるのは月影ちゃんでもいいのだろうか。疑問が浮かんだが、割とどうでもいい質問なので、言わないでおいた。
大通りを抜け、少し行くと花街の入口が見えてきた。人の喧騒が聞こえてきて、次第に明かりが強くなる。
見慣れた光景を、慣れない面子で眺める。何だかとても妙な気分だった。
花街を歩くことしばらく。ようやく紅龍楼が見えてきた。いつもだったらもっと近いのに、今日は遠く感じたし、実際時間がかかった。
「ここが紅龍楼か」
二人は店構えを「へー」と眺めた。派手でごてごてした我が実家。赤と金が明かりに照らされてぎらぎらしている。今日も繁盛しているようで、今もその飾り扉を開けて入っていく客が続く。
「私たちも入りましょう。……どうぞ」
扉を開けて入店を促す。参謀と碧悠さんは躊躇いなく中へ身をくぐらせた。
店の中は薄暗く、色提灯がぼんやりとした明かりを灯しながら店内を彩っている。中央には大きな舞台がある。今は誰もいないが、そこで月影ちゃんがだらだらしたり、妓女の姐さんたちが舞踊や楽器を披露したりする。
向こうが透けるか透けないか、という薄さの幕が天井から垂れ、卓が区切られている。今日はもう満席状態だった。個室も二階にあるが、そちらはいつも隠れて来たい人や、静かにゆっくりしたい人たちが我先にと埋めていく。
「朱春。おかえり」
私たちを出迎えたのは店内で給仕をしている秦だった。「ただいま」と返すと、秦は隣の二人にも丁寧に頭を下げ、「こちらにご案内するよう言付かっております」と言って店の奥を示した。
店の奥は、姫榕と劉燕が『大事な客』と話すときに使っている客間がある。成程妥当だ。というか、そこしかない。自分があまり入らないものだから、ピンとこなかった。
ぞろぞろと廊下を進み、客間に通されると、そこでは劉燕が待っていた。劉燕は案内してきた秦に「もういいよ」と合図をして下がらせ、参謀と碧悠さんに「ようこそお越しくださいました」と恭しく挨拶をした。
「劉燕と申します」
劉燕が名乗ると、参謀は「貴殿にも会えるとは」と微笑を浮かべた。劉燕はそれを受け、柔らかく笑う。
「どうぞこちらへおかけください」
部屋の真ん中には四角い机が置かれていた。参謀と碧悠さんは劉燕に勧められたとおり、それぞれ席に着いた。
私は劉燕に近寄って、「私はどうしたらいい」とこそこそと尋ねた。
「着替えてきたらと言ってあげたいところだけど、姫榕が来たな」
劉燕が言い終わるのとほとんど同時に、「朱春~帰ったの?」と月影ちゃんの声がした。姿はまだない。
(……どこからだ)
私は目だけを動かし、辺りを見回した。視界の端で、碧悠さんもきょろきょろしているのが見えた。
「姫榕。客人の前だ。無礼だよ」
「それは失礼」
劉燕がたしなめると、部屋の奥の閉まっていた引き戸がすっと開いた。登場したのは月影ちゃんではなく、姫榕だった。姫榕は参謀と碧悠さんへ顔を向けると、薄く笑みを浮かべた。
「ようこそ紅龍楼へ。楼主の姫榕だ。うちのが世話になってるようで」
姫榕が挨拶をすると、参謀と碧悠さんは立ち上がった。そして二人は姫榕と、劉燕に向かってそれぞれ挨拶をした。
「軍の大参謀を任せられている。志鶴と申す」
「武官の碧悠と申します。参謀について参りました」
「急な訪問にお応えいただき、感謝する」
「大事な朱春の客だ。当然のこと。かけてくれ。そのうち茶がくる」
参謀と碧悠さんが席に再び着くと、向かいに姫榕が座った。そしてその隣には劉燕。私も来るよう言われたので、劉燕に続いた。
「絶世の月影が来られたかと驚いた」
「俺も橘殿が参られるとは驚いた」
「次は普通に客として来よう」
「精一杯のもてなしを約束しますわ」
姫榕が軽口をたたいている間にお茶が運ばれてきた。私は茶器を受け取ると、茶碗にお茶を淹れた。まずは参謀と碧悠さんに配り、姫榕と劉燕の前にも茶碗を置く。
「お前もお飲み」
劉燕に囁かれ、私も自分の分を淹れて再び席に着いた。姫榕はお茶を一口飲むと、二人にも勧めながら尋ねた。
「で? 本日はどういった用件で。軍の参謀殿がわざわざ、このちんちくりんを捕まえておいでなさったには、相当なご事情がおありとお見受けするが」
(ちんちくりんはさておき。それはそう。一体うちに何の用があって)
少し面白くなかったけれど、抗議するところではない。私は黙って、姫榕の質問に参謀が何と答えるのか、耳を澄ませた。
「質問を返すようで悪いが、彼女を女官にした事情を聞かせてもらえないか」
(はえーー?)
私は思わず劉燕を見た。劉燕は目を伏せて私の額にぺちりと優しく手をあてた。大人しくしていなさい、ということだろう。そうは言っても。別に積極的に女官になった訳ではない。常連客から頼まれたから、受けただけである。
「どうもこうも、事情は簡単だ。宮廷の官吏様がうちのお得意様でな。ふた月ほど前だったか、女官に人手が足りないから、誰か貸してくれないかと頼まれただけだ」
「それは誰か聞いても?」
「勿論。うちもあの方にも、後ろ暗いことは何もない。書院の姜准様だ」
「姜准殿。書院の副長か」
参謀は考える素振りを見せた。一方姫榕はお茶を喉に入れると、「要するに」と盃を置いた。
「うちのちんちくりんを、宮廷の女官にしたのは何か目論見があってのことではないかと思われた訳か。一体どうして。うちはご覧のとおりまっとうな酒楼なのに」
姫榕は飄々と言い切った。けれどきっと参謀たちは、この酒楼の前身を知っている。勿論場所は違うところに構えていたけれど、姫榕と劉燕は、界隈では有名な高利貸しだった。おおっぴらにお金を借りられない人たちが主な客で、皆嫌々、仕方なく、契約していった。中には利息に文句を言う人もいたし、支払いで揉めることもあった。高金利は、絶対に秘密を守るという対価でもあったので、うちもそれなりに厳しいときもあったのだが、とにかくあの時代のことを知っている人は、怪しい印象を抱いているかもしれない。
(うちはうちで、苦労したんだけどな)
ほんの僅かな食べ物を皆で分け合うこともあったし、雨をしのぐ場所もないときもあった。ろくでもない連中だと囁かれ、あることないこと噂され、全く身に覚えのないことで責められることもあった。
酒楼の経営がうまくいくと、ようやく穏やかな暮らしができるようになったのだ。今はとりあえず、皆でこの生活が気に入っている。
(それなのに)
昔のことを引き合いに出し、あらぬ疑いをかけようというのなら、こちらも黙ってはいられない。たとえ公職の偉い人だとしても。
私は参謀と碧悠さんを視界に収め、一挙一動を見逃すまいと、真っ直ぐに見つめた。
お読みいただき、ありがとうございました!




