怪しい尾行者
「碧悠」
「はい。参謀」
自室に戻った参謀は、すぐに直近の部下碧悠を呼んだ。何かあったと察した碧悠は参謀の傍に寄り、聞く姿勢をとる。
「何か、奇妙な女官がいるみたいなんだよね」
「女官ですか?」
「そう」
女官の登用と官吏は軍の管轄ではない。碧悠はどうして参謀がそんなことを言い出したのかと不思議に思った。碧悠が求めるよりも先に、その理由は明かされた。侵入者とまみえて無事だったどころか、もしかしたら撃退した女官がいるかもしれないとのことだった。
「どう思う」
「もしや、手練れの者が諜報のために紛れ込んでいるのでは」
「そう思うよねえ」
碧悠は参謀の言わんとすることを理解し「承知しました」と敬礼した。流石話が早いと、参謀は「よろしく」と頷く。
碧悠は早速女官長の部屋へ向かう。女官長及び住み込みの女官たちとは普段あまり馴染みがない。碧悠は足を速め、神聖なる女官たちの領域へと邪魔をした。
・・・・・・
「朱春ちゃーん、こっちも手伝ってくれる~?」
「朱春ちゃん、また洗い物溜まっちゃってたわよ」
「……」
日中は宮廷、夜は実家の飲食店。日々の暮らしに変わりはない。変わりはないが、それがいいことかどうかは分かりかねる。
実家はさておき、宮廷内の先輩女官たちからの仕事の押しつけがなくならないのは、いかがなものだろうか。
(しかも「また」って何。「また」って)
まるで洗い物が私の仕事のような言いぶりだった。言い置いていった先輩はもういない。
(これは……もうあれだ、あの常連客を取り急ぎ見つけ出して問い詰めて)
そんなことを思いながら、本日も仕事をこなす。いつもどおり、夕方になれば宮廷を出る。遅番と住み込みの女官たちはこれからも夕食を整えたり、寝所の準備をしたりと仕事は続くらしい。
「失礼します」
すれ違った女官に挨拶をし、私は門をくぐった。しかしそこでふと違和感を覚える。
(ん……?)
自分に誰かの視線が向いている、ような気がする。
気にしないふりをして、少し歩く。気配と視線は私からはがれず、ついてきた。
(これは)
つけられている。どうして。理由は分からないが、気持ちが悪い。
(どこにいるのだろう)
私は大通りに入り、適当に歩いた。気配は人混みに紛れようとしながら、私を追いかけてくる。つけているのは一人。ずっと後ろにいる。
(それなら)
私は身を低くして足を速め、人の隙間をするすると移動した。いつもだったらもう曲がっている横道を通り過ぎる。気配は少し慌てて追ってきている。
(よいしょ)
一瞬しゃがみ、追手の視界から消える。そしてそのまま反対を向き、進行方向を変える。追手は依然として同じ方を進み私を探している。数人を間に挟み、顔を見た。
(知らない人)
私を追っていた人には、さっぱり見覚えはない。宮廷を出てすぐ追ってくるということは私の帰る先を確かめようとしているのだろうか。それとも道中で襲ってくるつもりだったのか。
いずれにせよ、つけていた人はもう私を見失っている。そう簡単に尾行させるようには育てられていない。
(さようなら!)
意味不明な尾行を難なく撒き、私はいつもの路地に入った。
あれはなんだったのだろう、と家に着いてから後ろを振り返った。そこには誰もいない。
「よお」
声が降ってきた。顔を上げ、声の主を探す。
「姫榕」
開いた窓から姫榕が私を見下ろしていた。今日はまだ化粧をしていない。これから準備だろうか。「店は」と簡単に尋ねると、姫榕はかったるそうにしながら「今日はやめだ」と言った。気まぐれが発動しているらしい。姫榕は前触れなく気分で店に出るし、出ない。
「早く上がってこい。飯だ」
「……はーい」
どうやら一緒に夕食を摂るらしい。これも気まぐれである。私が今日これから厨房に入ろうと思っていたかどうかなど、彼には関係ないのだ。
私は扉を開き、建物の中へ入った。誰かの残り香が、私を迎えた。
二階から姫榕が降りてくる。私たちは一緒に食事をする部屋に行った。もう食事の用意は整っていて、円卓の上には湯気の立つ料理が並んでいた。汁物、蒸し物、焼き物が大皿に盛られている。初めて見た人はさぞ大勢で食べるのだろうと思うかもしれない。
が、姫榕はめちゃくちゃ食べる。どれだけ入るんだというくらい食べる。そして私にも食べろと言ってくる。
姫榕は席に着くと、銀の箸を手にした。私も姫榕の隣に座り、「いただきまーす」と近くの炒め物に手を付けた。
「旨い」
「美味しい」
「これも食え」
姫榕が私の皿に大きな肉塊を盛る。むしゃりとかぶりつけば、じゅわっと肉の脂が溢れる。八角の香りと香ばしい匂いが鼻と口をいっぱいにする。
「美味しい」
「よし」
二人で「旨い」「美味しい」と食べていると、「何だもう食べてるのか」ともう一人が部屋に現れた。ひょろりとしたその人は呆れ顔を浮かべながら入ってきた。この人は劉燕。彼は姫榕と同じく、もう一人の育て親だ。この二人が、一番私に近く、長く接してきた。
二人とも親というには私と歳が近いけれど、他にぴったりな言葉を知らない。
「俺も食べよー」
劉燕は空いている席に着くと、食事を始めた。劉燕は姫榕ほど食が太くない。しかし彼も私によく食べさせようとしてくる傾向にある人だ。
「朱春。これ食べな」
「さっき食べたよ」
「もっと食べな」
「……」
こんもりと盛られる空心菜の炒め物。私は二人に向かって「これ以上はいい」と伝えた。緑の葉をしゃくしゃくと食べ続ける横で、二人は話を始めた。
「三軒先の酒楼が潰れるらしいよ」
「酷かったからな」
「妓女はどこかからか攫ってきた女たちだったらしい」
「それは酷い」
私は口を動かしながら耳を傾けた。あまり他人事には聞こえなかった。
私の生まれは洛夕ではない。都からは遠く離れた、小さな集落だ。今は、もうない。私が姫榕たちと出会う少し前に、賊に襲われ、なくなってしまった。集落で誰が生き残ったのか、全く分からない。
賊がやってきたとき、私は遊びに行っていた。帰ったら、集落がめちゃくちゃになっていた。人が大勢倒れていた。私の家族も倒れていた。皆、動かなくなっていた。
集落に残っていた賊に見つかった私は捕まり、洛夕に連れてこられた。賊たちは私を売ろうとしていたのだろう、と理解できたのは、少し大きくなってからだった。あの時、姫榕と劉燕が現れなかったら、私もどこかの妓楼で今頃働いていたかもしれないし、もっと酷い人生を送っていたかもしれない。
そもそも、こうして生きているかどうかも怪しい。
この二人も、周りから見たら決していい人ではないと知っている。たまに悪いこともするし、人の心がないときだってある。来歴だって真っ白と言い切るのは難しい。それでも。
(私はこの人たちに助けてもらっている)
賊から奪い取ってくれたときだけでない。今も。どうしようもない人たちだと思うときはあるけれど、私は彼らのことを、決して裏切ることはないだろう。
「金を貸して立て直せるもんじゃないね」
「楼主の性根が腐ってるからなあ。昔から」
「そうだね」
冷たい顔で笑う育て親たち。どうやら過去にその酒楼の楼主と何かあったと見える。あちらは倒れ、こちらはまだ立っている。
(こちらが倒れようとも、私はこっちに居続けるだろうなあ)
口にはしない想いを、空心菜と共に飲み込む。言う必要はない。二人はきっと知っている。それにきっと口にしない方がいいのだろう。言葉が、何かの枷になるといけない。
姫榕は枷を嫌う。
「桃食べな」
私の皿が空になると、劉燕が瑞々しい桃の載った器を差し出してきた。食事は十分でも、桃は別腹なことを知っているのだ。しかしよく見ている。
「ありがとう」
私は切り分けられた桃を数切れもらい、ひときれを口に含んだ。
「美味しい?」
「……」
口がいっぱいなので、頷きで答える。劉燕は「よかったね」とにこりとした。姫榕はまだ食事の勢いが衰えず、大皿から料理を分けている。
「酒の在庫の数が合わない理由を知ってる?」
「知ってる」
「やっぱりお前かー」
私に食べさせながら、会話する二人。昔よりも食べ物は豪華になったけれど、この配置は変わらない。
今日もご飯が美味しかった。
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