強まる疑念
(今日もか)
宮廷の仕事終わり、さあ帰ろうと門を出たところで本日も人の気配を感じる。このところずっとだ。数えてもう十日になる。毎回同じ人ではなく、次第につけるのがうまくなっている。相手も段々と腰を入れているのが分かる。
毎度撒けてはいるが、段々と撒くのに手間がかかるようになってきた。
「よっ」
人ごみに紛れて姿を消す、とか。追い付けないほどすばやく走るとか。そういった楽な逃げ方に対応してくるようになった。都合私もその上をいかねばならず、ついに家の屋根の上を飛び移るようになってしまった。
さっと横道に入ったらすぐに屋根に上がる。尾行者が私を探している間に屋根を伝って去るのだ。
(探してる。よし)
身を低くして見つからないように、相手の動向を確認すると、今自分がいる建物の反対側へと移動し、隣の家の屋根に飛び移った。
「よっ。ほっ」
向こう三軒先まで移動すると、再び地面へ降りる。尾行者は辺りに見当たらない。そのまま足早で家まで走った。
「――近頃遊んで帰ってくるな」
「!」
家に帰り、姫榕に帰宅を伝えに行くと、開口一番そんなことを言われた。聞かなくても分かる。私が尾行を撒いていることを差しているのだ。どこかで誰かに見られたのだろうか。
姫榕は化粧中で、鏡越しに私を見ていた。楽しそうに細められた目が、ぎらりと光っている。
「誰と遊んでんだ」
「わ、分からない。毎回違う人」
「ほう? 罪な女だな」
「姫榕……」
私の顔が歪むのを楽しそうに眺めながら姫榕が紅を引いた。
「全部撒いてるよ」
つけてくる相手の目的が分からない以上、おいそれと家に連れ帰る訳にはいかない。私がしくじって尾行を最後まで許してしまった場合、うちに何をされるか分からないし、万が一相手に何をするつもりがなかったとしても、反対にうちの姫榕と劉燕がぼこぼこにしてしまう可能性がある。
回避できる争いと暴力は回避しなくてはならない。お互いのためにも。
「仲良くなったら連れてきていいぞ。遊んでやる」
(よくない)
私は姫榕のにやりとした顔を見て、絶対に家までつけさせないことを改めて固く決意した。
・・・・・・
参謀部屋では、部屋の主である参謀と、参謀の右腕の碧悠、そして報告に来ている兵士の三者が対面をしていた。参謀は思案顔、碧悠は驚いて目を瞬かせ、兵士は困り果てて変な汗をかいていた。
「そう……。必ず見失う、と」
頬杖を突いた参謀が報告された内容を静かに繰り返す。兵士は弱い声で「はい」と返事をした。
「大通りで見失ったのは偶然かと思いましたが、路地に入ってすぐ姿を消すのは、とても普通とは」
「言えないねえ」
「はい」
人を変え、尾行する者を手練れの兵にしても、一向に成果は上がらない。
「やはりただ者ではなさそうですね。流石、あの姫榕の手の者と言うべきでしょうか」
碧悠が真剣な声色で言い、視線を机上の書簡に落とす。それは女官の登用の届だった。参謀はじとっとそれを眺めながら茶を口にする。
「しかし何か企んでいるとしたら、こんなに馬鹿正直に届け出してくるものかねえ」
届にはしっかりと氏名、年齢、住所、身元保証人が書かれている。碧悠が女官長に頼み込んでごっそり借りてきた登用届を調べている最中、身元保証人に『姫榕』と書かれているものが見つかり、目を疑った碧悠は二度も三度も読み返した。
姫榕といえば、今や花街の有名酒楼の楼主だが、かつては荒くれ者の集まりの頭として名を馳せ、その後非情な高利貸しとして名高かった人物である。誰もが昔の姫榕を知っているという訳ではないが、少なくとも参謀は姫榕のことを侮れない要注意人物と認識している。
大人しく酒楼の経営をしているだけならば何も咎めることはないのだが、もしやよからぬことを企んでいるのでは、と疑ってみたものの。
「確かに、あそこには劉燕という切れ者もいますから……。堂々と正体を明かして潜入するかと言われると」
「普通はしない。奇策を打ってきた可能性も否定はできないが」
三人はしばし沈黙した。碧悠と兵士は、参謀が何かを考えていると察し、次の言葉を待った。自分たちでは思いつかない、鋭い作戦が打ち出されることを期待して。
「……」
やがて、参謀の唇が開く。碧悠と兵士は固唾を飲んだ。
「――碧悠、花街にでも行くか」
参謀の言葉に、碧悠は目を点にして、ぽかんと答えた。
「は、はい……?」
碧悠は悠々と宵の街を歩く参謀にぴたりとついて歩いた。花街に行く、という参謀の提案は決して「飲みに行こう」という誘いではない。一瞬、「何を呑気に」と勘違いしたが、要は敵情視察に行こうということだったのだ。
とはいえ、軍の頂点である参謀が直々にすべきことなのだろうか、と碧悠は思ったが口には出せなかった。
灯篭や提灯で明るく照らされる夜の街を行く。久しぶりに訪れたが、往来は多く、店も人も活気がある。
気楽な格好に着替えた二人は、誰とも分からない一般人であり、気兼ねなく辺りをぶらついた。途中で客を引く妓女や酒楼の男に声をかけられたが、二人はどこにも入らなかった。目指す店は、ひとつだけ。
「そろそろだ……ん? 碧悠」
目当ての酒楼が近くなったところで、人が滞留しているのを見つけた。そして男の騒がしい声が聞こえてきた。どうやら、怒っているらしい。
「喧嘩でしょうか」
二人は人だかりに近づいた。そしてその中心にいる人物を認めて、息を呑む。
「何だお前は。俺たちは散歩の途中なんだが」
不遜に構える大柄の男と、その横には「うわあ」という顔で立っている若い女人がいた。彼らに立ち向かっているのは、腰に刀を差し、赤い顔をしている男。
「姫榕! おお、俺はお前に恨みがあるんだ……! とんでもねえ値段を店で踏んだくりやがって!」
男はふらつく足で彼らに近づくと、腰の刀に手をかけた。
「参……志鶴様」
役職で呼ぶのは適当ではない、と碧悠は呼び直し、上司に対応を問うた。出ていって、止めた方がいいかと案じたのだった。しかし志鶴は無言で首を横に振る。碧悠は少しうるさくなった心臓を携え、初めて見る姫榕という男を眺めた。
「はは。やるのか?」
姫榕のあやしく楽しそうな声が酔った男を迎える。軽い挑発に刺激された男はついに刀を抜き、何を言っているのかよく分からないことを叫びながら姫榕と娘に向かっていった。
「――っ」
一瞬だった。瞬く間に、男は地面に伏していた。しかし姫榕は少しも動かず、変わらずその場に立っている。男を押さえつけているのは、姫榕の隣にいた娘だった。彼女は男の首を捕まえたまま、腕を後ろに引っ張り上げていた。
「あなたに店が請求した金額は妥当。こうして酔っぱらって店の大事な備品をいくつも壊したのをお忘れですか」
「ぐっ……」
「請求の仕方が少々手荒かったのは、あなたがいつまで経ってもお支払いしてくださらなかったから楼主が痺れを切らしたんです」
「……」
「おい。寝てやがるぞ」
娘が押さえつけた男は目を回したのか、酒が回り過ぎたのか、いつの間にか気を失っていた。娘は眉を寄せて男から手を離した。
「どうしよう、この人」
取り上げた刀を倒れている男の腰の鞘に戻しながら娘が姫榕に問う。
「寝かせておけ」
姫榕はつまらない、という風に言い捨て、さっさと背中を向けた。娘が「だって」と呼び止めると、姫榕は顔だけ振り返った。
「この辺を見張ってるどこかの誰かが、何とかするだろうよ」
「え……、ま、待ってよ姫榕。ひとりで歩かないで」
娘はどうしたらいいのか分からず困り声をあげた。
「碧悠」
「はい」
志鶴から指示を受けた碧悠は、騒然としている場に飛び出す。そして倒れている男を今見つけた体で近寄っていった。
「何事ですか」
娘は小さく「あ」と口を開け、立ち上がる。
「ええと、酔っ払って倒れました」
「成程。しょうがない奴だ。ここに転がしておいても往来の迷惑だな。よっ」
「あの。お願いしても」
「ああ。君は……向こうで人が待っているのか」
「失礼します」
娘は逃げるようにして走っていった。大柄の男の隣まで行き、言葉を交わしながら夜の街に消えていく。彼が言ったとおり、本当に散歩なのだろうか。
見えなくなる際のところで、姫榕が背後を振り返った。その視線は碧悠ではなく、もっと向こうを見ているかのようだった。
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