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実家の飲食店

 その日の仕事を終えて帰路についた。宮廷を出れば、外はまだ人の往来が多い。通りには屋台や店が連なっており、食事をする人、飲みに来た人がぞろぞろいる。私の実家は宮廷やこんな健全な繁華街からは少し離れたところにある。


 今日も活気ある人々の隙間を縫いながら大通りを進む。適当なところで小道に入り、住宅地を抜ける。少しすると、また騒がしい区画が始まる。ここは専ら美しい人を愛でながらお酒を楽しむところ。いわゆる花街。


 街は明るく、少し怪しげな雰囲気を醸している。歩いている人も既に酔っているのか、少々顔が赤かったり、足元が覚束なかったりしている。変なのに絡まれないようにするすると足早に通り抜ける。


 実家の店の前も賑わってはいるが、まだ人は少なかった。おそらくまだ彼らのお目当てが店に出ていないのだろう。


 店に入ろうとしている人を横目に見ながら裏手に回る。店の者専用の出入り口から建物の中に入った。そこは生活感溢れる裏舞台。その辺に誰かが脱いだ服が置き去りにされている。姫榕のものではない。


「まったく」


 慌てて表に出ていったと見える。落ちている着物を拾い、階段を上がる。並ぶ部屋は空だったり、これから店に出る妓女の姐さんが準備していたりする。


 私の部屋は別棟。ここを抜けた先だ。別棟にも直接入れるけれど、一応姫榕に顔を見せるために店側から行く。私は途中の部屋にいる姐さんに「これ誰のか知ってる人ー?」と着物を見せながら歩いた。


「桔梗のやつじゃない? さっきばたばた慌ててたから。渡しておくよ」

「お願いします」

「はーい、お疲れ様ね」


 着物の引き取り手が分かってよかった。そのまま奥へ進むと、一番大きくて豪華な部屋がある。姫榕の準備室だ。中に姫榕はいるだろうか。


「姫榕。帰ったよ」


 姫榕は着替え中だった。白の襦袢の上に赤い着物を羽織りながら艶やかな顔をこちらに向けた。化粧はもう済んでいる。白く塗った肌。唇には真っ赤な紅を差している。相変わらず派手な化粧だ。似合うから凄い。


「よお。何だしけた顔して」


 姫榕は私の顔を見ると面白がるように、低い声を発した。帯を結びつつ私の前に立つ。長身の影が私を覆った。私は姫榕を見上げ「忙しかった」と告げた。


「女官長たちの補助はそんなに忙しいんだなあ」

「……そう」


 どことなく、姫榕の言い方が意味深に聞こえ、まさか内情を知っているのではと思ったけれど、肯定だけ返しておくに留めた。


「今日はどうすんだ」

「厨房に行く」


 聞かれたので、店の手伝いもすることを伝えると、姫榕は「じゃあ準備してきな」と月影ちゃん味を出しながら笑った。


 私は姫榕の部屋を後にし、別棟に渡った。数歩分の渡り廊下で夜風を浴びる。夕刻の空気に色々な食べ物、紫煙の匂いが混ざっている。決して爽やかとは言い難いが、私に、いや私たちにとっては慣れ親しんだもの。ここでは、今からが活動時間なのだ。


 自分の部屋に戻り、適当な着物に着替える。店には出ないので、どんな格好だって構わない。


 再び店側に行き、一階へ降りて厨房に顔を出す。厨房を担当している楊と孫は「おー。おかえり」と私へ顔を向けた。


「まだそんな注文ないから、先食べちまいな」

「二人は?」

「もう済ませた」


 ありがたく、私は楊が作ってくれた賄をいただくことにした。野菜やエビが載った、少し辛い汁の麺。さっと食べれるし、美味しい。


 ず、と麵をすすっていると店の方から「おおー!」と歓声が聞こえた。特に驚くことはない。姫榕、違った月影ちゃんが店に出たのだ。


 店の看板は楼主である彼。最初はそうではなかったのだが、本人がふざけて着飾ったのが思ったよりウケたため、以来店に出るようになった。それで有名になったようなものだし、彼目当ての新規の客は絶えず、また常連も常連であり続ける。


 月影ちゃんが店で何をしているかといえば、大して接客するでもないし、店の真ん中に作った舞台で座っているだけなのだが、その美しさで人は箸も酒も進むらしい。たまに着替えたり、気分で店内をぶらぶらするだけで客が沸くので立派なものである。


(一番役に立つときは、未払いの取り立てと質の悪い客の撃退のとき)


 誰かを成敗するときのあの意気揚々とした姿こそが姫榕らしいといえば姫榕らしいのだが、そういうときは大抵ろくな事態ではないので、見ないに越したことはない。


「朱春よお、昼間働いて、夜もこっち出てるが平気なのか」


 孫がちらと店の方へ視線を遣り、心配そうに私に尋ねた。楊も「いくら体力あるっていってもな。姫榕は何て言ってる」と言いながら私の空いた器におまけの餅を入れた。


 私はもごもごと口を動かし、中を空にすると「いやあ」と首を傾ける。


「姫榕は……私がやると言うならきっちりやれ、だよ。体を休める判断も、自分でやれ、じゃない?」

「ああ……ま、そうか。姫榕らしいが」


 二人よりも姫榕との付き合いは長い。直接言われてなくとも何となく分かる。姫榕に心配とか思いやりとか親切とかそういう概念は期待してはいけない。その代わり、やるならやる、やらないならやらない、とはっきり表明すれば大抵のことは不問にされる。


(かと思えば、気まぐれにあれこれ言ってきたりもするんだけど……)


 姫榕は私の育て親。七歳の時に拾われてからの付き合いなのでもう十年以上一緒にいる。姫榕という人は一言では言い表せられない。傲慢、不遜、乱暴、冷徹、悪口はいくらでも出てくるけれど、ここにいる誰もが彼には適わないと思っている。力ではもちろん、頭でもなかなか勝てない。


 姫榕に意見することができるのは、真には一人しかいない。勿論私ではない。姫榕にとっては私など赤子同然だろう。


「おーい。厨房の野郎たち~」


 不意に、厨房に表の給仕係が現れた。三人で一斉に声の方を見る。


「何だ?」


 楊が鍋を用意しながら聞き返す。


「月影ちゃんが腹減ったから何か持ってこいって」


 私たちは顔を見合わせた。


「今日は決まってるの」

「肉のあんかけ飯」

「好きそ~」


 そろそろ他の客の注文も入り増え出すだろう。私は賄を食べ終えた器を洗うべく立ち上がる。「じゃ、やるか」と孫の声を合図に、私たちは各々の仕事を始めた。


 ・・・・・・


 宮廷内、兵士詰所では上官が数名集まり、巡回中に捕縛したという侵入者について話し合いが行われていた。


「だめだ、口を割らん」


 侵入者に宮廷内に刀を持ってはいった目的を問い詰めたが、一向に喋らない。喋らないことが輪をかけて怪しい。ただの小物の押し入りということもあるが、背後に大きな計画が組まれている可能性もある。


 帝も住まう宮廷内の安全・平穏保持のためには、放っておく訳にはいかない。


「そもそも、捕縛したときには既に倒れていたという話だったが、詳しい状況は分からんのだろう。それも変だ」

「侵入者の自作自演、あるいは捕まることが目的なんてことは」

「それにしては顎に的確に殴打の跡があったが」


 上官たちは「ふむ」と考え込んだ。そこへ通りかかった人物が「どうしたの」と声を割り込ませる。上官たちは驚いて皆立ち上がった。がた、ごと、と椅子が倒れる。


「さ、参謀!」


 参謀と呼ばれた人物は慌て畏まる部下たちを、手を掲げて落ち着かせる。


「何があった。私に報告が来ていること?」


 参謀は転がっている椅子を一つ起こすと、自分で座った。話を聞いてくれるつもりらしいと察し、部下たちは恐縮しながら「実は」と話し始めた。


「……ああ、侵入者の話か。捕縛したのは聞いた。ふうん。口を割らないんだ」

「はい。意志の固そうな奴でして」

「倒した者から何か聞いてないの」

「倒した、者、は……それが分からず」

「分からない?」


 参謀が訝しげに問う。そこまでの報告は届いていなかった。部下は参謀の気配の変化にぎくりとし、焦って説明を加えた。


「巡回中に女官から呼ばれたという話です。そのときは既に昏倒していたと」

「女官が?」


 門兵をすり抜けたような輩だ。素人ではない。不幸にも出くわした女官が倒れていたとしたら不思議には思わないが、現場には女官と侵入者しかおらず、倒れていたのは侵入者。参謀は「ふうん」と少し考える素振りを見せた。


 部下たちが固唾を飲んで参謀の次の言葉を待っていると、参謀はゆっくりと一同を見回した。


「侵入者の方は、誰か話が得意な将に預けろ。呂将軍とか、いいんじゃない」

「呂、将軍!」


 その名前を聞いて、話が得意の意味するところを理解し、空気がぴりりとする。参謀は構わず続けた。


「女官の方も少し気になるな。その、巡回していて呼ばれた者を後で部屋に寄越して」


 参謀は言い終わると席を立った。部下たちは一斉に礼をする。参謀が部屋を出るまで、彼らはそうしていた。足音が聞こえなくなると、誰からともなく「ふうーー」と息が漏れる。


「き、緊張した……」

「初めてお話した」


 参謀――軍の大参謀の地位にあるのは彼一人であり、中枢の中心。下位の兵士たちは普段直接話す機会はない。ごく自然に話に入ってきて、自然に指示を出していった。


 冷静で、掴みどころのない印象を与える話し方と表情。ああいう人だったのか、と口には出さないが、皆同じことを思った。


「お、俺はあいつを探しにいってくる!」

「俺も!」

「おい、待て呂将軍は?」

「関が直属の隊だったはずだ。あいつを通して頼んでくる」

「俺も行こう」


 一同は参謀から下った指示に従うべく、立ち上がる。急げ、と皆駆け出した。


お読みいただき、ありがとうございました!

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