虫の居所
よろしくお願いいたします。
「新入りちゃん、洗濯物溜まってたからよろしく」
「朱春ちゃーん、食材が届いてたから、食糧庫に運んでおいてよね」
「……」
これは一体どういうことだろう。先に先輩女官に言いつけられた『かまどの掃除』を終えて戻ってきたら、また別の先輩が仕事を置いていった。先輩たちは、驚くべき速さで、どこかに行ってしまった。
毎度のことながら、なんと軽い身のこなしだろう。感心するというか、呆れるというか。私も見習えればよいのだが、いかんせん、女官社会ははっきりとした序列制度で成り立っており、私には文句のひとつも言える権利がない。
(洗濯物、食材の運搬……)
どちらも滞らせてよい仕事ではない。しかしこの身はひとつしかない。優先されるべきはいずれの方か。先の先輩の調子からして、食材は今日使うものではないだろう。となれば。
(洗い物か)
溜まっているという洗濯物を一旦見に行くことにする。
「本当に溜まってるー……」
裏庭の端にある洗濯場。洗い物を入れておく大きな桶の中には、先輩女官の言ったとおり、洗濯物が山になっていた。どうしてこんなことに。
「ううーん」
ひと唸りして、袖を括る。
仕事をするのが嫌、という訳ではない。言われた仕事はここで雇われている以上やる。やるけれど。
(私に与えられている本来の仕事は『女官長たちの補助』のはず)
こちら門の国の首都、夕洛の宮廷は現在人不足でてんやわんや。帝及びその家族の世話、後宮の仕事が回らない回らないと毎日大変なことになっている。女官をまとめる女官長が色々采配しているが、彼女たちも激務で、補助する人が欲しい。補助と言えば恰好がいいが、要するに雑用役が要る。
『だから是非、手伝いに来てはくれないか』
実家の飲食店の常連客の宮廷官吏の人にそう頼まれたのはひと月前のことだった。お得意さんの頼み、まして宮廷のためならと、私も実家も「そういうことであれば」と承知したのだが。
(本当に、人不足、なんですよね?)
女官たちの全貌を把握しているのではないので、言い切ることはできないけれど、私の見える範囲においては、決して人は不足していない。むしろ余っているのではとまで疑っている。
なぜなら。
「あ! 大変! 丁官吏だわ! ご挨拶しに行かなくちゃ!」
「ずるい! 私も!」
「やめてよ私だけでいいったら」
仕事をくれる先輩女官たちは、決して「他に仕事があって手が回らないからやっておいてほしい」という事情ではないからである。彼女たちがここにいる目的は、将来有望な官吏と結婚して寿退廷することであり、働くために来ているのではない。
そんな彼女たちが女官長の目を盗んで、一番新人の私に自分の仕事を投げてくるのである。
「女官長も、見て見ぬふりというか、諦めてるというか」
おそらく、そんなことは今に始まったことではないのだろう。というかむしろ、今女官長として残っている彼女たちは私と同じ道を歩み続けて、その地位になっているのかもしれない。
(もしや人手不足なのは、いるけどいないに等しい女官たちのせいなんじゃ……?)
じゃぶじゃぶと大きな布を洗いながら空を仰ぐ。
そういう事情であったのなら話は違ったので、あの常連客に「本当のところはどうだったの」と聞いてみたいが、残念ながらその彼は官吏なので私たち女官とは働く場所が違う。
宮廷というところは、場所によって立ち入りが許されている人が限られているため、宮廷内で常連客と顔を合わすことは難しい。
では店ではどうか、と実家の飲食店の方にも「最近来ているか」と聞いてみたが、近頃は見ていないらしい。
『どうして? 朱春が客のこと聞くなんて珍しいわね? 何かあったの?』
私は常連客のことを尋ねたときの、月影ちゃんの顔を思い出し、視線を遠くへ投げた。月影ちゃん、もとい私の育て親である姫榕の目は「何かされたらお礼をしてやる」という危険な光を奥に秘めていた。
(「担がれたかも」なんて言ったらどうなっちゃうか……)
姫榕は時々人の心がないときがある。彼にはまだ「実は……」と言わない方がいいだろう。常連客を自然に来店させて、詰め倒した挙句に身ぐるみを剥ぎかねない。私が出仕するのだって、若干渋っていたくらいだ。
(でもこんな状況じゃいつまで経っても「人不足」は解消されない。とすると私はいつまで『お手伝い』すれば?)
頼まれて入った身だが、私の都合で辞してよいのだろうか。はっきり言って、真面目に働く気のない人々のせいで、よそに迷惑がかかっているのはいただけない。まっとうな、宮廷の女官という職業でありながら、この体たらくはどうだ。
人に仕事を押し付けて、自分は官吏を追いかけているなんて。
「ふん!」
ぷつぷつと不満が心の中に浮き上がる。力を込めて、洗ったばかりの洗濯物の皺を伸ばす。ぱん、といういい音がした。
洗っては干し、洗っては干しを繰り返し、山のように溜まっていた洗濯物はようやく片付いた。
水を張った桶を傾け、汚れた水を排水用の溝に流す。空になった桶を洗い場の隅に立てかけた。これにてここの仕事は終了だ。
(次は……食材を食糧庫に運べ、だっけ)
食材が届くのは宮廷の脇にある専用の門。商人たちは皆そこから出入りすることになっている。量によっては荷車が要ると判断し、荷物の卸場に向かう前に、まず食糧庫に行って荷車を借りた。食糧庫では本日の夕食に使う食料の搬出が行われているところだったが、明らかにいるべき人が二、三人少なかった。
「……」
私はそっと荷車を卸場へ引いた。
卸場には成程、結構な量の食材が届いていた。ぱんぱんに詰まった麻の袋がいくつも。豆などの穀物だと察する。
「ふっ」
両手でやっと抱えられるほどの大きさの袋を持ち上げる。荷車の荷台に置くと、ぎしりときしむ音がした。
(これが終わったら、女官長たちのお茶の準備と、部屋の掃除と、日時報告の割り振りを……)
本来の仕事に思いを馳せながら、次の袋を抱えた。ひとつふたつと麻袋を荷台に載せていくにつれ、何かが私の中で大きくなっていく。
洗濯だって、食材運びだって、これが初めてではない。初めてだからではないからといって、何も思わない訳ではない。むしろ何回もだからこそ、思うことが増えていく。ここで働くからには、やる、が。
今日はどうしてか、思うことが多い。これがいわゆる虫の居所が悪いというやつだろうか。
どさ、どさと荷台を埋めていき、最後の一つを一番上に載せる。
これで荷車を食糧庫に運べば言いつけられた仕事は終了、ようやく自分の仕事に戻れると思ったときだった。
背後から、じゃり、と足音がした。そして急に人の気配が近づく。
「っ!」
振り返ったのと同時に、顔の横に男の手が伸びた。危険を感じ、後ろへ跳ぶ。僅かにできた距離で、何者が現れたのかと目を見開く。
「……っ!」
立っていたのは、見知らぬ男。まだ働いてひと月、多くの人が出入りする職場では見知らぬ人はたくさんいるが、明らかにおかしいところが一点。
(小刀……)
そんなものを取り出してどうしようというのだろう。私が小刀に注目していると、そのぎらつくものが私に向かって突き出された。
「ちょ!」
咄嗟に避けた。どうやら私を手にかけようというつもりらしい。
ひゅうっと空を切る音が鳴る。再び振られた小刀を、再び躱した。ついでにもっと距離を取る。
(侵入者! 不審者! 危険人物! 門兵は?)
門兵に気づかれず侵入したのであれば、相当な手練れかもしれない。
(見られたからには、と私を……)
何て日だ。
既に不満が溜まり、苛々していたところへこうして理不尽に襲われるとは。あんまりだ。我慢ならない。
(これから他にやらなくちゃいけないことがたくさんあるのに!)
頭に血が上った。このひと月の疑問と不満が頂点に達した。
「ふっ!」
地面を蹴った。焦りの窺える動きで振られた腕を避け、その手首を強く叩く。
「ぐ! お前……!」
「せい!」
反撃されると思っていなかったのか、男が一瞬鼻白んだ隙に、顎へ向かって下から強い一打を食らわせた。打ちどころが悪いところを狙った。
男は目を回し、どさ、と仰向けになって地面に倒れた。
「ふん!」
私は男を見下ろして息を吐いた。侮ってかかってきたからか、そう手間はかからなかった。
(さてこれをどうしよう)
さっさと兵に引き渡したい。誰かいないか、と辺りを見回すと巡回の兵が離れたところを歩いている。私は「すみませーん!」と兵を呼んだ。
「どうした」
兵士はすぐに来てくれた。私は「この人が」と言って倒れている侵入者を手で示す。兵士は思い切り目を剥いた。
「な、何があった!」
私は驚く兵士に、いきなり現れてかくかくしかじかと適当に言い訳をし、打ちどころが悪くて倒れた旨を伝えた。
「では私は仕事がありますので、あとはお願いできますでしょうか」
「わ、分かった!」
兵士は「侵入者とはえらいこと」といった風に、早速男をその辺にあったひもで縛り始めた。私はその現場を背に、荷車をごろごろと引いて卸場から遠ざかる。
頭の中は次の仕事でいっぱいで、この一件がどうなっていくかなど想像もしていなかった。
それが、私の未来を左右することになるなんて……。
お読みいただき、ありがとうございました!




