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春の祝賀・前編

 窓の外で花弁が舞った。薄桃色の花の欠片は、ふわりふわりと風に運ばれていく。まだ寒さは残るものの、宮廷の向こうにそびえる天樂峰からは雪解け水が流れ、植物が芽吹き出した。


「さてと。いよいよ、今日になっちゃったな」


 参謀が朝議で毎日議論を交わし、碧悠さんが軍の中を奔走している日々を傍らで見ていたら、あっという間に寒い季節が過ぎ去った。


「朱春」


 出かけようとしたところへ、姫榕が姿を現した。今日はやけに早い。そう思ってそのまま伝えると、姫榕は「お前もだろう」と私を見降ろした。


「あれか。何だと言ってた宴会か」


 記憶が適当過ぎる。私はいささか呆れて目を細めた。


「春の祝賀ね」


 一応訂正したが、呼び名など姫榕にとってはどうでもいいことである。彼は「帰りは?」と別の質問を投げてきた。


 察するに、行きがいつもより早いので、帰りもいつもと違うのかと聞いているのだと思う。そんなことを気にする姫榕ではないのに、どうしたのだろう。


(気まぐれかな……)


 姫榕の行動の大体は「気まぐれ」で説明ができると思っている。どうせ、「どうしてそんなことを聞くの」と尋ねたところで、「いいから答えろ」と言われることは目に見えているのだ。


「帰りは、いつもどおりだと思う」

「そうか」


 それだけ聞くと、姫榕は私の頭を軽く押さえ、「行け」と顎で掬ってみせた。


「行ってきます」


 私は階段を上っていこうとする姫榕に一言放ると、戸を開けた。


(あ。いい匂いがする)


 微かだが、緑の匂いが街へ流れてきている。どうしてか、私はこの匂いを嗅ぐとほっとする。「よかったね、春だね」という気持ちになる。この気持ちがどこからくるのか、私は知っているような気がする。


「さて、行くか」


 今日は軍の大一番。たとえ嫌々な仕事でも、何か手落ちがあったら責められるのは必至。私は特に軍のために何をするのでもないのだが、つつがなく終わることを祈っている。


「おはようございます」

「あ、早いですね。ご苦労様です」


 朝イチで参謀室に向かうと、参謀はおらず、碧悠さんだけがいた。参謀は本日、儀式の方へ出られるので、今日は会えるかどうかも分からない。碧悠さんは一日、警備体制に気を配っているのが仕事だ。


「では、私は女官棟の方へ行ってきます」


 私はといえば。祝宴のための準備に加勢しにいくことになっている。従来ならば、高位の女官たちが自ら腕を振るって、帝及び後宮の皆さんのためだけに、特別な料理を拵えるのみだったのだが、今回はそれに加えて、大勢の官吏たちの食事を用意しなくてはならなくなった。人手はいくらあっても足りない。このために臨時で何人か人を雇ったという話だ。


「行ってらっしゃい」


 碧悠さんに送り出され、私は女官棟の方へ駆けた。


「これ、できたから盛り付けて」

「ねえ早くして、調ったお膳から運んじゃうから」

「お酒の追加、酒屋さんが持ってきたって言ってるけど」


 女官棟の方は戦場だった。あんなに何度も段取りの確認をし、起こりうる様々なことについて対策を練ったけれど、いざ始まってしまうと、気持ちが急く。


 私も指示されたところへ身を滑り込ませ、早速仕事にとりかかった。



 一心不乱に料理を作り続けて、どのくらい経ったろう。ここはざわざわしているし、儀式の執り行われている回廊からも遠い。現場はどういうことになっているのか、さっぱり分からない。


 ひたすらに宴会支度で忙しくしているだけである。


「ああんもう! これから毎年こうなの⁉」


 疲れてきた女官の一人が、苛立ちながら叫んだ。周りも同じ気持ちになっていたのか、「思った」と頷く。その後ろを、膳を運ぶ担当の女官が通り過ぎた。


「私は毎年これでもいいけど~」

「あんたね! 来年も配膳担当とは限らないわよ! 来年は絶対替えてもらう!」

「やめてよお! 嫌よそっちは!」


 わあわあと女官たちが言い合いを始める。


「ちょっと、何してるの、運ぶわよ」

「待って~!」


 他の配膳担当の女官が追ってやってきた。人が入り乱れ、しっちゃかめっちゃかである。通ろうとする女官たちを避け、皆で道を作った。


(……あれ?)


 通り過ぎた一段の中に、見慣れない顔があった。大勢の人が働いているここでは、当然知らない顔もいる。しかし、何となく違和感を覚えたのはどうしてだろうか。


(何だろう、変な感じがする……)


 この違和感は放っておいていいものだろうか。


「はい朱春! 次これやっつけるよ!」


 新しい食材が届いた。「やらなきゃ」と気持ちがそちらを向く。


(でも)


 今日がどういう日か。嫌な予感が胸を過った。


「すみません、少し手水へ!」


 止められるべき理由ではない。女官たちは「はーい」とただ返事だけをし、「じゃあさっさとやるか」と大きな魚を取り囲んでいる。


(確かめるだけ)


 私はそっと歩く方向を変え、配膳担当の女官たちを追った。


 人のごった返す廊下を抜けると、女官棟から宮廷の官吏たちの区画へ出た。少し離れたところに回廊が見える。回廊までの廊下には、官吏たちが位順で並んでいた。皆楽しそうにしている。


(……お花見?)


 そう見えても仕方がないくらい、厳粛な儀式とはかけ離れた空気だった。笑いながら酒を飲み、料理を食し、話に花を咲かせている。おまけに今、離れたところにある別の通路から、大道芸の人が入ってこなかっただろうか。


 一瞬この浮ついた光景に気を取られてしまっていると、視界に私の追っていた彼女が飛び込んできた。私はハッとした。


(あの人だ)


 この胸騒ぎは何だろう。彼女の何が気になるのだろう。私は追いかけながら記憶を探った。


(つい、最近、何かあったような…………あ!)


 思い出した。彼女は臨時で雇われた一人。名前までは思い出せなかったが、先日女官長が臨時の女官たちを簡単に紹介したとき、一緒に並んでいた気がする。


(じゃあやっぱり、おかしい!)


 私は自分の違和感が正当なものだと確信した。何故なら、女官長は言っていたからだ。


『臨時の人には、配膳担当以外をやってもらいます。皆もそれでいいわね?』


 他の正規の女官たちが皆こぞって配膳をしたがっているのに、臨時の人に任せたら暴動が起きると配慮した女官長の判断があった。それなのに、彼女が配膳をしているのは変だ。


 一緒にいる女官たちは、おそらく、彼女があまりに堂々としているので、臨時の女官とは気付かず、「別部署の知らない女官」としか認識できていないのだろう。


(なぜ、あなたはそこに紛れているの)


 私は足を速めた。配膳担当たちは、回廊の方へ行くらしく、どんどん奥へ進んでしまう。


「おーい、悪いが酒をもっと持ってきてくれ」

「失礼ですが、今別の仕事中で」

「他に誰か来ていないのか?」

「おおーい、酒が足りてないぞー」


 酔っぱらっている。


(この人たち)


 イラっとした。これでは本当にただの宴会ではないか。今日は何のためのどういう日だと思って過ごしているのだろう。


 私は散々、参謀の「春の祝賀は、発展と繁栄を願い、御岳に祈りを捧げるというものだ」と聞いているので、この惨状に疑問を抱かずにはいられない。成程、これを予見した参謀が怒る訳である。


「膳をお持ちしました~」


 軽やかな女官の声が聞こえた。官吏たちのところに、新たな膳が届く。そのとき。


「あ!」


 私が追っていた女官が、いきなり走り出した。


「え? どうしたの?」

「何だ?」


 近くにいた人々が何かを感じ取ったのか、ぱっと顔を向ける。


「な、何だ貴様は――! む、こ、こちらへは行かせんぞ!」

(え~~! 誰あのおじいちゃん官吏は!)


 よく知らない官吏が、自らを犠牲にして止めようと立ちはだかった。その気概はあっぱれなのだが、却って最悪なことに、怪しい女官はどこからか小刀を取り出した。


「きゃあ! 武器を持ってるわ!」

「いかん! 止まれえ!」


(いやいやいや! 逃げて!)


 応戦しようとするおじいちゃん官吏は丸腰に見える。あれはかなりまずい。


(間に合え!)


 私が全速力で走り、回廊に差し掛かった時だった。


「おどきを」

「は! あなたは!」

「――うっ!」


 おじいちゃん官吏の前に素早く現れた人影が、女官に一撃を食らわせた。人の呻き声に続き、地面に倒れる音がした。


「…………」


 目にも止まらぬ動きだった。誰も何も言えず、呆けた顔でその人を見ている。辺りは静寂に包まれた。


「大参謀、殿」


 風にかきけされそうな、小さな声が、どこかから聞こえた。


お読みいただき、ありがとうございます!

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