春の祝賀・後編
宮廷への侵入者が取り押さえられた現場は騒然とした。しかしそれは束の間で、参謀が一言「騒ぐな」と声を張ると、その迫力に圧され、官吏も女官も口を閉じた。
参謀は駆け付けた武官たちに、侵入者を引き渡すと、自身はすぐに帝の下へ向かった。身を返す一瞬で、参謀は私へ視線を遣った。
その視線に、どういう意味があったのかは分からない。「どうしてそこにいる」と思われたのかもしれないし、「戻りなさい」と言われたのかもしれない。
不肖ながら何も分からなかった私だが、目の前で起こったことを見て、さっきまでの小さな不安が、大きなものに変わったことを悟った。
(こんなところからも侵入者がいたのでは……)
他にももっといるのかもしれない。
私は女官棟へは戻った。ほかの臨時の雇い人に怪しい人物はいないか、確認しなくてはと思った。
「女官長!」
「朱春、何か向こうであった? さっき、武官の方が来て」
おどおどしている女官長へ、私は事の経緯を告げた。すると彼女は目を丸くして、急ぎ他の女官長と話し合い、それぞれが管轄しているところへと散っていった。
当然、女官棟は騒ぎになり、仕事どころではなくなった。女官たちは皆その場で待機を命じられ、春の祝賀は中断せざるを得なくなった。
顔を青くし、互いを疑いながら、私たちは次の指示を待った。長い時間だった。昼を過ぎた頃から夕方まで、緊迫した空気が続いた。
(どうなったんだろう)
待っていることに疲れ、ところどころからため息が聞こえる。少し前に女官長たちが武官と話していたが、私たちには何も話は降りてこなかった。
「失礼します」
知った声が聞こえた。私は顔を上げ、戸口に現れた人物を見た。
「待機、ご苦労様でした。皆さん、自由にしていただいて結構です」
碧悠さんだった。彼も一日大忙しだったはずなのに、疲れた様子は微塵も見せない。一方、疲弊しきっていた女官たちはどっと息を吐いた。口々に一日分の愚痴を漏らす。
碧悠さんはそんな彼女たちに苦笑した。私は彼に寄っていき、「ご苦労様です」と声をかけた。
「あなたも、お疲れさまでした。遅くなって申し訳ありません」
「他の皆さんはもう解散されたんですか?」
「……」
碧悠さんはにこりとしながら、私にそっと外に出るよう促した。私は合図に従い、女官棟から離れていく彼に続いた。少ししたところで、碧悠さんは歩みを止めずに私を振り返った。
「実は」
声を落として、彼は話し始める。
「臨時採用の女官から一人、宮廷裏口に一人、塀をよじ登ろうとしている者が二人、招待された芸人に紛れて一人、出入りの商人を偽った者が一人、搬入口に一人、とこんな状態でした」
「そ、それって今日やってきた侵入者ですか……?」
私は目を丸くして尋ねた。何だ、その数は。多すぎやしないか。平時の方が解放されているのに、どうして警備が特に厳重だった今日の方が多いのだろう。
対する碧悠さんは動じず、淡々と「ええ」と頷く。
「とはいえ、実際に侵入したのは女官のみで、あとは侵入前に取り押さえました」
「そうですか」
「目くらましがたくさんいた、と見ています。ただ……」
彼は言葉を切り、僅かに眉を寄せる。
「計画的なものであったことは疑いの余地がありません」
「……」
言うとおりだ。それぞれが一斉に「今日忍び込んでやろう」と思ったとは考えづらい。
「内部の者の仕業の可能性がありますから、今軍の方で方々にお話を伺っています」
「女官の方は……」
実際に深部に入ってきたのは女官だった。疑うなら、一番危険視されるのではないだろうか。
「臨時の採用に関わった方はこれからお話を伺うんですよ」
「……女官長たち以外は、自由にしていただけた、ということでしょうか」
「……」
碧悠さんが優しく微笑む。どうやらそういうことらしい。私は歩きながら後ろの建物を振り返った。大変なことになってしまった。
「とはいえ、官吏の方も欠かせませんから。発端はあちらですし」
「そうですよね」
もとはと言えば、という追及は免れないだろう。こういう計画を目論んでいた者が紛れ、強引に推進していた可能性もあるのだ。
(これは……どう収めることになるんだろう)
はやく、解決すればいいが。宮廷で働く人は大勢いる。迅速な処置が迫られるだろう。
「内部を探りつつ、捕縛した者も探りつつ、ですね。捕縛の方はあまり期待できませんが」
「……雇われただけ、かもしれませんものね」
「よくお分かりで」
「……」
話している内に着いたのは、我らが参謀室だった。中に参謀はいなかった。
「すみませんが、参謀からお願いがありまして」
「はい、なんでしょうか」
碧悠さんはとても申し訳なそうな顔で、息を吐いた。
「参謀が戻るまで、こちらにいていただけないでしょうか」
「ここに? いるだけでいいのですか」
「はい。私もまた出てしまい、この部屋の近衛も、別のところを封じにやりたくて」
「お留守番、ということでよろしいですか」
「ええ。しかし、誰かが来てもあなたは出ていかなくて結構です」
「と、申しますと」
「ただ、何者かが来たら、それが誰だったか、何をしていったかを、覚えていてください」
「それは……。いえ、はい。承知いたしました」
「ありがとうございます」
碧悠さんは、私に控室でジッとしていることだけを指示すると、部屋の近くに控えていた兵たちと共に、慌ただしく行ってしまった。話すときは落ち着いて話してくれたが、出ていくときの身振りからすると、ゆっくりしている暇などない状況なのだろう。
(参謀、いつ帰ってくるんだ……?)
碧悠さんがあの様子では、参謀もとんでもなく忙しいのでは。もう夕刻で、本当ならば帰宅する頃。朝、姫榕にいつものとおり帰ると言ってしまった。この状態では、店に伝言することもできない。
(帰ったら、言ったことが違うじゃないかとどやされるかも……)
こんなことなら、帰りはどうとか言わなければよかった。何も言わないでいたら、きっと何も言われないで済んだだろう。
(ああーーーー……)
一人、小部屋にて項垂れる。しかし嘆いていてもどうしようもない。私は私に任されたことをまっとうしなくてはならないのだ。
(それにしても、誰かが来ても対応しなくてよくて、ただ見ていろ、か)
それがどういうことなのか。碧悠さんには確認しなかったが、おそらく、これは非常事態における対応の一環なのだ。
このような混乱を起こしておいて、人のいなくなった参謀室を狙う者がいるかもしれない、ということだ。参謀室には、きっと機密の情報が眠っている。それの奪取が今回の騒ぎの目的かもしれないし、はたまたこの機に乗じて悪いことを考える輩がいるかもしれない。
(潜伏、作戦……)
まさか女官がひとり、ここに隠れているとは思わないだろう。
(誰も来ない方がいいのか、来た方が解決が早まるのか……)
どっちを願ったらいいのか不明だが、命じられたことは割と大事な気がする。私は静かに息を吸って、吐いた。
気配を消すのならそれなりに自信がある。じっとしているのも得意だ。私は隣の部屋に神経を配りながら、ひたすら部屋の中で呼吸を繰り返した。
時はゆっくりと、流れていく。
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