たくらみ
「な、何だとお~~。紅龍楼から来させた女官が参謀付きになっていただと~~……」
「そのようです。いつの間に……。先日参謀の使いだと言って、各部署に書簡を持って回っていました」
「く……。どこで参謀の目にかなった、いや何故に参謀はその者を。よりによって~~」
人気のない薄暗い部屋の一室で、ひそひそと声が囁かれる。建物の外で周りを見張っている者以外には、辺りには誰もいない。中にいるのは、身分の違う衣を纏った男が二人のみ。
「いかがしましょうか。このままでは奴との約束が」
「あんな輩、どうとでもなる。考えるのは後だ」
「分かりました。では、今後のことですが……」
男たちの密談は、夜を通して行われた。冷たい風が、路地を抜ける。
・・・・・・
「ふああ」
「おや寝不足かい」
朝起きて支度をして部屋を出たところで、劉燕に出会った。あちらも寝起きらしく、長い髪がそのままになっている。
「昨夜、少し冷えたでしょう」
「あー……そうだね。酒飲んで寝たから、覚えてる限りは温まってたけど」
「そう……」
私は劉燕をじろりと見ると、そのまま「行ってきます」と言ってその場を去った。今朝もまだ空気が冷たい。これから夕洛は段々と寒い季節になってくる。日も昇るのが遅く、落ちるのが早くなるだろう。
(あっという間だ)
朝食を簡単に済ませ、仕事に行く用意を整える。この生活ももう慣れたものだ。店の皆はまだ寝ている。音を立てないよう気を付けながら裏口から外に出ると、頭上で窓が開く音がした。誰だろうと見上げれば、姫榕が顔を出していた。
「朱春」
「何?」
ばさっ。
姫榕は答える前に、窓から何かを放った。地面に落下する前にそれを受けとめると、それは羽織りだった。
「羽織ってけ」
「!」
姫榕は私がちゃんと受け取ったことを確認すると、窓を閉めた。
私の手には、一枚の羽織。厚くはない、薄手のものだが一枚あるのとないのとでは全然違う。私は閉まっている窓に向かって、「ありがとう!」と告げた。
「ふふ」
姫榕のくれた羽織を着ると、私は朝の街を駆けた。風が体を掠めたけれど、少しも寒くはなかった。
「おはようございます」
大参謀室に出仕すると、部屋には誰もいなかった。部屋の前で控えている武官たちに挨拶をし、私は自分の控えの部屋に入る。
こんな時間に参謀が部屋にいないということは。
(朝議、早めに行かれたのかな)
この頃は議論する内容がたくさんあって大変らしいと碧悠さんが言っていた。偉い人というのは大変である。
(お茶でも用意するか……)
少々涼しい本日。温かいお茶で一服してもらおう。私は参謀室を出ると、盆と茶器を持って女官棟の方へ向かった。
「朱春ちゃん、おはよう」
水場にはいつもの女官たちが揃っていた。少し前まで、皆は私を見つけると「無事?」と身を案じてくれていたが、最近はもう聞かれなくなった。私が変わらぬ姿でここを出入りするので、当初の衝撃は大分薄まったようだ。
とはいえ、嫌がらせをしてきていた先輩女官たちにとっては、私のいるところが安全かどうか疑わしいことには変わらない。噂が薄まっても嫌がらせは再開されていないところを見ると、その身が安全でいられるならば、位は一番高くなくともよいということに落ち着いたのだと思う。
「おはようございます」
私は声をかけてくれた女官たちに挨拶を返し、お茶の支度を始めた。お湯を沸かす傍ら、茶器を洗う。背後で女官たちが手を動かしながら楽しそうに話をしているのが聞こえてくる。
「春の祝賀のこと聞いた?」
「聞いたわ~! 今度は宴みたいにするんですって?」
「それって私たちも参加できるのかしら」
「そんな訳ないでしょ。いいとこ給仕じゃない?」
「でもでも、それって官吏と知り合ういい機会なんじゃ?」
話題は相変わらずだった。基本的に、女官たちは色めいた話が好きだ。全力で狙いにはいかなくとも、機会があればご縁をと思っている人はたくさんいる。
(しかしここにも、春の祝賀の話が)
女官たちの間にも話が上がるようになったということは。厳かな儀式が街中の宴会のようになってしまうかもしれないという、うちの参謀お怒りの件は、そのまま進行しているということなのだろう。
基本的に、儀式的なものには高位の女官しか関わらない。ここにいる女官たちにとっては、春の祝賀が宴会のようなものになるということは、官吏と関われる場が増えるかもしれない、という楽しみでしかない。
「今回、色々と張り切ってらっしゃるのは若手の方々なのでしょう?」
「そうらしいわね。今の帝、実力主義だからって。功績上げようとやる気のある方がたくさんいらっしゃるそうよ」
(……そうなんだ)
私はしばし手を止めて彼女たちの会話に耳を傾けた。成程、ここで得られる情報というのは確かにある。
(そうかあ)
今の帝は実力主義。そして功績を競って、春の祝賀を盛り上げようと若手が奮起している、と。そういうことらしいが、大参謀のようにそれをどうかと思う人もいる。何をもって実力とするのか。成功すれば功績、失敗すれば汚点。
(何だか大きな賭けみたいな)
私は若手の人々の危なっかしく見える策に、首を捻りながら、調ったお茶の用意を持って女官棟をあとにした。
「――朱春。これ。資院へ頼むよ」
「はい」
大参謀が大層不機嫌で朝議から戻られる日が増えた。そしてそれに伴い、碧悠さんが益々忙しくなり、私も使いに出される頻度が高くなった。
初めは私がやってくると珍しそうにしていた資院の官吏たちも、近頃は見慣れてきたのか、顔も上げない。彼らも多忙を極めており、私に気を取られている暇などないだろう。
「お願いいたします」
「ん」
本日も、紀官吏へ書簡を渡し、さっと部屋を出る。たまに戻しの書簡があるのだが、今回は何もなかった。大参謀室に戻るべく、手ぶらで歩いていると、向かいから見知った人がやってきた。
「――あ」
私は小さく口を開けた。先方も、同様に「あ」と言って立ち止まる。私たちはしばし互いが、自分の思っている人物かどうかを確かめるために見つめ合った。
(……姜准様、だ)
最近めっきり現れないが、何度も店で見たことのある顔だ。私は確信をもって、彼に礼の姿勢を取った。
「ご無沙汰しております」
私が先にそう言ったからか、姜准様はどこかほっとした様子で「紅龍楼の!」と近づいてきた。相変わらず人の好さそうな雰囲気で、彼は「どうもどうも」とにこにこした。
「やっぱりそうですよね! いや、違ったらどうしようかと思って躊躇ってしまいましたよ!」
「恐れ入ります」
「中々紅龍楼にも行けないものですから、こっちに寄越していただいた方もどうしているかと気を揉んでいました」
「お忙しいでしょうが、またお店にもいらしてください」
「わあ~ありがとうございます。月影ちゃん見たいな~!」
「……」
変わらない。この、全く悪意のない感じ。いつ、何度話してもこの方はこういう感じだった。
ここに来てすぐの頃は、聞いていた話と違う現場の状態に怒り、働き方に大いなる疑問を覚えていたため、何とか彼を見つけ出して「どういうつもりだった」と問い詰めてやりたいと思っていたが、この感じでは、どういうつもりもなかったのだろうなと思わされる。
「本当にね、どうですか宮廷は!」
私は少々閉口した。当時、本当に問い詰めにいっても、きっと無駄になっただろう。冷静になった今なら容易に想像ができる。
「……やりがいをもって、勤めさせていただいております」
私が言葉を溜めたことなど意に介さず、姜准様は明るい笑顔で「そうですか!」と返してきた。
「よかったよかった、私も人集めを頼まれた身ですが、嫌々だったら申し訳なかったなと」
「……」
「では、お元気そうで安心しました。またお店に伺います。皆さんによろしく!」
姜准様は、春風のようにご機嫌な感じに、言うだけ言うと去っていった。流石、劉燕と姫榕に「従業員一人都合してくれないか」と頼めるだけのことはある。肝の座り方が尋常ではない。
(いいなあ……いい性格だな……)
何も競ってはいないのに、どうしてか敗北感のようなものを覚えた。おかしいな、と首を捻る。ひゅう、と風が廊下を吹き抜けた。私はそのまま、参謀の部屋への道を辿った。
その日、家に帰ると、店に出る気のないらしい姫榕の部屋に向かった。姫榕は寝台で寝転がってだらだらしていた。「ただいま」と声をかければ、彼から「ああ」と聞こえた。私は部屋に踏み込み、寝台の傍に座った。
「何だ」
姫榕は私と顔を合わせるべく、気だるそうに上体を起こした。
「今日ね、姜准様と会ったよ」
「…………ああ、あいつか」
姫榕は数秒「は? 誰だ」という顔をしたが、ちゃんと思い出したらしい。「職場でか」と腕を枕にしてまたごろりと寝そべる。
「うん。相変わらずだった」
「能天気だったろう」
的を射た表現に、私は「そうそれ!」と力強く肯定してしまった。姫榕はおかしそうにしながら「で?」と尋ねた。
「一応どうしてるかって聞かれたから、やりがいがありますって言っておいた。あとお店にまた来てくださいって」
「よし。あの野郎、最近は違う店にうつつを抜かしていたらしいからな。来たらきっちり絞ってやれ」
「そんなことまで知ってたの……。いや、他の店にも行きたいときだってあるでしょうよ」
「あ? あいつの頼みを聞いてやって、お前を貸してやってんだぞ。相応の礼があって当然だろうが」
「そ、それはそうだけど」
「ふん。まあいい。しかし、朱春」
「何?」
「一応やりがいなんてもんがあるのか」
姫榕が座った目で訊いてきた。私は内心でぎくりとした。
(な、何その顔)
この質問に、その目つきをしている理由が分からなかった。しかし経験上、彼がご機嫌ではないということは察せられた。私は何となく危険を感じ、身を引こうとした。
「逃げるな」
「わ!」
しかし姫榕の方が早かった。一瞬の間に、私は彼に腕を掴まれていた。
「にに逃げないよ」
否定してみたが、胡麻化したことはバレバレだろう。姫榕の手は離れない。私は観念して逃亡は諦め、「一応前向きに働いているよ」と正直に答えた。
「前向きに、ねえ。適当でいいって言ったろ」
「言われたけど……。でも、あそこでせっかく働く限りはちゃんとやろうと思ってるよ」
「……」
「わあ!」
姫榕がため息を吐いたのと同時に、私をぐいと引っ張った。私は抗えない力によって、前のめりになる。次の瞬間、体が温かさに包まれた。
「き……姫榕……?」
何故、私は姫榕に抱きかかえられているのだろう。分からない。こういうところが本当に分からなくて困る。
「…………」
姫榕は特に怒っている風ではなかった。なかったが、やはり機嫌はさしていいのでもなさそうだった。
「……姫榕?」
「……」
呼びかけても返事はない。私は事態が把握できないまま、何も言わない姫榕に抱えられ、しばらくそのまま彼と寝台に寝そべった。やがて劉燕がやってきて「ご飯だよ」と言うまで、私たちはそのままでいたのだった。
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