気まぐれ
私は劉燕と捕らえた男を残し、部屋を出た。お友達とは大それたことを言う。頭の中に二人の顔が浮かぶ。
(どちらに声をかけよう)
参謀か、碧悠さんか。決断は一瞬だった。
(碧悠さんだな)
やってもらいたいことは、事情を説明して花街の詰所に一緒に男を連れていく、というお仕事。可及的速やかに、いざこざや面倒もなく対処するには子細を心得ている軍の偉い人の同行が有効である。
偉い人といっても、一番偉い人は流石にやり過ぎる。かなり申し訳ないが、ここは碧悠さんに役目を引きうけてもらいたい。
「すいません」
つい本人に会う前に謝罪が口から零れた。使えるものは使う主義のうちの横暴な育て親をどうか許してほしい。そして逆らえない私も。
私は卓で楽しんでいる碧悠さんに何と切り出そうかと考えながら廊下を歩いた。
・・・・・・
「……」
さっきまでいた従業員がいなくなった途端、抜身の刀のように鋭い気配を放ち出した劉燕に、男はただならぬものを感じていた。
「……もしかしてお前の他にも同じことを考えてるのがいるのかい」
まったく温度のない声で、劉燕は男に問いかけた。男はぴくりとも動かない。劉燕はさして気にすることなく、言葉を続けた。まるで、全て分かっているかのように。
「アレの腹心なんてさしていないからね。来たところであと三人といったところだろう。金で誰かを雇えるなら話は別だが、そんな余裕はないのだろうな」
ざわざわと、男の心が波立った。事情をすっかり掴まれていることに対しては恐怖し、少しも動じず全てどうでもいいことのように語るその様に怒りを覚える。
「……」
劉燕は男の考えていること、感じていることが手に取るように分かった。素直な心の動きをする男だと思った。だが、それだけである。劉燕にとって男は何の脅威でもなければ、ひとつまみの興味もない。
さっさとここから追い出し、何もなかったことにしたい。
「お、お前らがうちの妓女たちを盗んでいきやがったから……!」
男はしばらく黙っていたが、湧き上がる悔しさに耐え兼ねた。何か少しでも、劉燕の表情を変えられるようなことを投げつけてやりたくて仕方がなかった。
「知らない話だな。そちらから逃げ出した彼女たちをうちが今雇っているからといって何だと言うんだ。逃げ出したくなるような待遇をしていたのが、そもそもの手落ちだろう」
「な、なんだと」
「人聞きの悪いことはやめてもらいたい。さあ、ほら迎えが来た」
劉燕が顔を部屋の出入り口に向ける。そこには自分を捕まえた従業員と、上質な着物を着た青年が立っていた。
「その男ですか。忍び込んで、彼女を襲おうとしたのは」
「ああ、いらしてくださいましたか。お手間をおかけして本当に心苦しいのですが」
劉燕が心のこもったように聞こえる声で青年を迎える。青年は「いえ、上司からも力になってくるようにと言付かっておりますので」と凛々しく返した。
「逆恨みとは情けない。行くぞ」
「あ、私も」
「いえ。私だけで結構。あなたはここに」
非力そうに見えた青年だったが、男は強い力でもって立ち上がらされた。そして自分を縛っている縄を掴まれ、否応なく歩かされる。
「く! 覚えていろよ! ぼろ切れ着たクソガキ共だったやつらが!」
「おやよく知っているな。しかし……だった、ですから」
「行くぞ」
「くそがああ!」
男は強い力で引きずられるようにしながら、店の裏口より連行されていった。罵りが外から聞こえたが、劉燕は「煩いね」と言って笑い、朱春の頭を撫でた。
・・・・・・
私は劉燕に頭を撫でられながら、碧悠さんと男が歩いていった通路の方をぼんやりと眺めていた。
「すぐに了承してくれたのかい」
劉燕の声が降ってくる。何が、とは聞かなくとも碧悠さんのことだろう。
「うん」
簡単に返事をした。
「月影ちゃんは暴れていなかった?」
「少しだけ。碧悠さんに『逆恨みよ!』って偉そうに言ってたよ……」
顔を上げると、劉燕と目が合った。劉燕はまだ目を細めていた。
「どうした?」
「……盗んだって言われてた」
「ああ、聞いていたのか」
私はこくりと頷いた。劉燕が男としていた会話が少し聞こえてしまった。
「姐さんたち、前はどうしてたとかあまり言わないから。私も聞いちゃいけないと思って聞かないし」
「……それがいい。言いたくないことは無理に言わせちゃいけないよ」
「分かってる」
「中にはね、よその店から逃げてきた子もいる。店か、娘かどちらが悪いかは見れば分かる。命を賭して逃げてきた人間の様ったら、哀れなものだからね」
私は店にいる姐さんたちの顔を順に思い浮かべた。皆大事な私の優しい姐さんだ。けれど、その優しくて美しい顔の下に、それぞれ隠しているものがある。覚えている。初めて会ったときはもっとずっと痩せて、ボロボロだった人もいた。
(知ってた。知ってたけど、敢えて掘り起こす意味はない)
蘭麝閣から逃げてきた姐さんが誰かは分からないけれど、知る必要はない。今は。
「言いがかり、だね」
「ああ」
姐さんたちが私に優しくしてくれるのは、劉燕や姫榕が、彼女たちを大事にしているからだ。他の店の従業員も、皆同じく。そして、私も。こき使われても、多少理不尽だと思っても、私たちは根本的なところで、彼らに守られている。
「……劉燕。また来るかな」
「はは、来るかもね」
劉燕は軽く答えた。また来るなら、今日のように捕まえるだけだ。誰にも触れさせない。お客にも、姐さんたちにも、従業員にも、月影ちゃんにも。
「朱春」
「……何?」
呼ばれて、いつのまにか部屋の隅を見ていた目を戻す。劉燕が身を屈めた。そして内緒話をするように、声を潜める。
「俺たちが人から横取りしたのは、ひとりだけだよ」
「……私のこと?」
劉燕は意味深に目を細めた。私はその顔に笑いかける。
「覚えてるよ」
「そうか。まだ小さかったのに」
「衝撃だったからね」
あわや売られるというところで乱入してきた姫榕に奪取された。そのまま小脇に抱えられて追いかけてくる怖い人たちから逃げ回ったのだ。どうして忘れられよう。
「……劉燕。どうせ気まぐれだと思ってたから聞かなかったけど」
「何だい」
「どうして私を攫ってくれたの」
劉燕は珍しく驚いたように目を瞬かせた。そんな彼に、却って私が驚いてしまう。そんな反応をされるとは思っていなかったのだ。いつものようにサラリと流される前提だった。
「……初めて聞いたね」
「そうかも」
深い意味はなく、何となく聞いてみただけだった。姫榕の人柄に接していれば、疑問に思う前に結論を得ていたような気がしていた。どうせ気まぐれだろう、と。
そう伝えると、劉燕はまた私の予想に反し、苦笑を浮かべた。
「そうと言えばそうなんだけどね」
「気まぐれってこと?」
「あのときは……ちょっとね、子供の時を思い出したかな。俺も姫榕も、売られた身だし」
「そうなの⁉」
初情報に、私は目を剥いた。劉燕に「声を落とせ」とすかさず注意をくらった。
「むかついたんだよね。自分たちへの敵討ちっていうか」
「敵討ち……」
「そ。邪魔して、奪ってやろうって」
「運よくそのとき攫われたのが私……」
思わずぽかんとする。私はこのとき、気が付いた。私は私たちになってからのことは割と覚えているし、大事にしているけれど、私に出会う前の二人のことはほとんど知らない。衝撃である。
「私、明日を、いや今日を生きることしか見ていなかった……!」
「そうだね。そういう生活が長かったからね。お前も俺たちに会うまで大変だったし」
「劉燕たちは私のことを知ってる……」
「俺たちは会ったときお前から聞いたからね。何? 興味でも湧いたの。今更?」
「興味っていうか、知らなかったことに気付いて衝撃を受けているっていうか」
「あ、そう。そういうとこ、俺たちのせいだよね」
劉燕が「情操教育……」とぼやいている。
「劉燕、聞いたら教えてくれる話?」
真っ直ぐに尋ねると、劉燕は苦笑した。
「ああ。別に隠しちゃいない」
隠してはいないらしい。聞いたら教えてくれるらしい。
(そうか!)
どうしてか、それだけである程度満足したような心地がした。まだ何も知らないのに、知っているような気持になった。
「私、戻るね。碧悠さんお迎えしないと」
「ああそうだね。助かったよって、丁寧に言っておいて」
「分かった」
「お礼に今日のお代は俺につけておいていいから」
「え! そうなの! いいの! 結構な量飲んでるよ」
「ははは知ってる」
「えー」と目を瞬かせていると、劉燕が「朱春」と口にする。
「礼は、厚くしておくものだよ」
劉燕は、私に色んなことを教えてくれる。
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