参謀のお仕事
参謀付きになってから七日が過ぎた。相変わらず参謀はお茶を飲むときも、何かを食べるときも、誰にも毒見をさせない。どうして私がはらはらしなくてはならないのかと思うほど、参謀と碧悠さんは警戒しない。おかげで何故か、私は私が用意したものを出す前に少し確かめている。ちょっと意味が分からない。
また、参謀はときおり書簡を広げたままどこかにいなくなってしまうので、凄くやめてほしい。参謀がいないときが掃除の機会なので、机周りをうろつくこともある。そういうときは頑張って視界に文面が入らないようにしなくてはならない。
この現場ではいいのか悪いのか、私は文字の読み書きができてしまうので、その辺に書き物を放っておかれると、要らない情報を得てしまうことになりかねないのだ。
参謀ともあろう方が、大事な情報をそんなぞんざいに扱いはしないだろうが……。
まかり間違って、万が一、私が重要な作戦とか、秘密のやり取りを目にしてしまったらどうしてくれるつもりだろう。
(私が知ってしまって、うっかりそれを姫榕や劉燕に喋って、それがまたどこかに伝わってしまったら……)
話は簡単だ。うちの実家が危ない。育て親だけでない。あそこで生計を立てているのはもはや私たちだけではなく、厨房、給仕、妓女と、仕事に就いている人がたくさんいるのだ。中にはかつての二人を知らない人だっている。
(守らなくては……!)
私は拳を握り、隣の部屋で朗らかに「ははは」と笑っている参謀と碧悠さんを、二人に見えないところから睨みつけた。
緊張感に欠ける、そして危機感に欠ける。こんな呑気な感じでいいのか、軍の頂点、大参謀室。
――と、そんなことを思いながら働いていたある日。
お茶を淹れ、ちょっと摘まめるものなどを拵え、参謀室に戻ってきたところだった。
「だからこんなんで通ると思ったら大間違いだよ」
ぴたり。部屋から漏れ聞こえてきた低く平坦な声に、足を止めた。声の主は参謀であるが、いつもと様子が違う。
(ど、どうした)
私は手にお茶と軽食の載った盆を持ったまま息を鎮めた。耳を澄ませると、どうやら参謀と話しているのは碧悠さんではないようだった。
「で、でもそちらを伴将軍が、持っていくようにと……」
声が大分震えている。
(怯えている!)
私は普段のゆるりとした参謀の姿を思い浮かべた。しかし一瞬にして消えた。
「出し直しだと言え。文句があるなら直接聞こう。ただし、私が今から言うものを、きっちり揃えて出さなくては、耳も貸さない」
「は、はい……!」
「では言うから覚えてね」
言葉に圧を、態度に冷たさを纏わせている。参謀は淡々と、耳馴染みのない物の名前をいくつか挙げた。対峙している彼は、あんなに怯えた状態でちゃんと聞き取れているのだろうか。
「じゃ、期限内に持ってこなかったら、どうなるか分からないよ」
「はいい!」
(……取り立て?)
はるか昔にどこかで聞いたことのあるような。そんなことを思った私の目の前に、中で話していた兵士が飛び出してきた。幸いぶつからずに済んだが、兵士は私のことなど目に入っていないようだった。
勢いよく、まるで逃げるように一目散に廊下を駆け、階段を転がるように降りていく。
「…………」
私はしばらく呆然として、兵士の行った先を眺めていた。
「朱春。そこにいるんだろう」
不意に、部屋の中から声がかけられる。どうして分かったのだ、と思うのは不敬だろうか。
「はい」と言って部屋に顔を出す。中にいたのは参謀のみ。参謀はいつものように執務机の向こうに座っていた。さっきまで張り詰めていた空気も、もう弛緩している。私はどんな顔をして入ればいいかと迷ったが、取り繕うのも変なので、普通に入ることにした。
「構わず入ってきていいよ」
「お邪魔になるかと」
「聞かれて困る話はしていないから」
「……」
私は静かに参謀の近くへ寄ると、盆を机の端に置いた。
「ありがとう」
参謀は迷わず茶器に口をつけた。机の上には、また書簡が広がっている。私はすばやく視線を外した。
「ああ、大丈夫だよ。これはボツになった予算だから」
「……予算」
「うん。今そういう時期なんだ。武官はこういうことが不得手だから大変。何度もやり直しだ」
「さっきいらした方も、予算を持ってこられたのですか」
参謀は「そうそう」と言いながらボツになったという書簡を適当に丸めた。
「そう言えば、字は誰に習ったの? 女官の中でも、読み書きができる者は少ない。女官長たちは助かっただろうね」
「……育て親に習いました。女官長たちは、どうでしょうか。届く書簡の宛名を判別して振り分けていただけです」
「十分だろう。……しかし、そうか。君らの苦労が窺えるな」
「そうですか」
私が首を傾げると、参謀は「失礼」と言ってまたお茶を飲んだ。
「あの」
「ん?」
「書簡、読めてしまうので。広げたままにされておくのは……。見ないようにはしておりますが、私でない人も見てしまうかもしれませんし」
私が「言うなら今だ」と決断して上奏したにも関わらず、参謀は体を僅かに丸めて「ふっ」と笑い声を漏らした。
(どうして笑うの。劉燕だったら、絶対に書簡を広げておくなんてしない)
釈然としなくて、自然と眉が寄る。参謀はおかしそうにしながら「そうだな」と言って私に顔を向けた。
「言うとおりだ。出しっぱなしはもうやめるよ」
(もうやめる?)
言い方に少しひっかかりを覚えたけれど、分かってくれたのならよしとする。私はぺこりと頭を下げ、控室へ引っ込んだ。
・・・・・・
夜。明かりを灯した部屋の中に、二人の影が床を伝い、壁に濃く浮かびあがる。
「裏が取れたって?」
「はい。時間がかかって申し訳ありません」
碧悠は報告書を志鶴へ差し出した。志鶴は黙って目を通す。内容は、朱春が倒した例の侵入者の証言とその裏取りについてだった。呂将軍の取り調べは順調だったが、その後が長引いた。
侵入者は、少し前に飲み屋で知り合った男に吏院の官吏を襲う話を持ち掛けられたとのことであり、曰く、「中肉中背の、声の高い男」だったらしい。店を張り、該当の人物がいないかをずっと探させていた。その結果、分かったことは――。
「……結局、そいつも雇われただけだったってことだね」
「はい」
志鶴は報告書を置き、「碧悠」と呼んだ。
「これは一旦ここまででいい。きっと間にもう何人かいるだろう。目的も今のところ分からないし」
「盗み、私怨、色々ありますが」
「そうだな」
志鶴は窓から月を眺めた。丸い月が空に穴を空けたように浮かんでいる。
「そろそろ帰ろうか」
宿直の兵士たちは宿舎で寝泊まりするが、そうでない者は基本的に帰宅する。志鶴はもちろん、碧悠も必要時以外は泊まることはない。
志鶴は報告書をくるくると丸め、碧悠に「はい」と渡す。
「しまっておいて」
「分かりました」
報告書は碧悠によって、所定の引き出しへ納められた。碧悠はこうしてよく書簡の整理を任されるが、本当に大事で秘密のものは、どこにしまってあるか知らない。それは参謀だけが知っていればよいものなので、碧悠は特に知ろうとも思わない。
二人は大参謀室を出た。昼間は少し離れたところに立っている兵士が夜間の配置になり、部屋の前にやってきた。
「よろしく」
志鶴は兵士にそう挨拶をすると、階段を降りていく。碧悠は後ろを追った。
「そういえば、今度はちゃんと行こうか」
志鶴は不意に振り返り、にやりと笑った。碧悠は少し考え、その笑みにハッとする。
「こ、紅龍楼ですか!」
小さく叫ぶ碧悠に、志鶴は頷いた。
「まだ会っていないからね。絶世の月影に」
志鶴は空を仰ぎ、遠くの月を眺めた。光を遮る雲はなし。ぞっとするような月影である。
「案内人もいることだし」
志鶴の声が穏やかに流れる。
「……それ、頼って大丈夫でしょうか」
誰とは聞くまい。碧悠は打診したときの彼女の反応を想像した。きっと口を利いてはくれるだろうが、その後が恐ろしい気がした。彼女の後ろには、あの二人が立っている。
「平気だよ。ただの客だし」
――そうだろうか。
のうのうと言ってのける参謀の背中を見ながら、碧悠は心に一抹の不安を抱いたのだった。
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