猫派の珠希さま!?【猫の日ネタ】
「珠希さまぁ〜! おかえりなさ……?」
犬張子の付喪神・壱丸が夕暮れどきの玄関で見たのは、神妙な面持ちの主人・珠希だった。
彼女が腕に抱えた布の中で、何かが蠢いているのが見える。
「ただいま、壱丸。早速で悪いけど、モノダマたちにお湯を沸かすように言ってくれる?」
「は、はいっ! ……もしや、その布の中にいるのは?」
珠希は縁側まで移動したところで、腰をかけるなり、布の中身を壱丸に見せる。
「みゃあ、みゃあ」
「わ……まだちっちゃいですね……」
弱々しい声で鳴いていたのは、まだ目の青い子猫だった。
白い毛並みは泥で薄汚れていて、目脂がべっとりとついている。
「すぐそこの雑木林に捨てられていたの。酷いことをする人もいたものね」
珠希は子猫をそっと膝の上に乗せると「大丈夫よ、大丈夫」と優しく声をかけながら撫でた。
そのうちお湯が沸くと、濡れ手拭いで子猫の身体を丁寧に拭き、泥や目脂を洗い流して。
「珠希さま、赤ちゃんのお世話をしているお母さんみたいです」
壱丸は感じたことを、素直にぽろんと口に出した。
珠希は手を動かしながら、満更でもない様子でふふふと小さく笑っている。
「そうね、この子がここにいる間は、私がお母さん代わりになってあげないと」
汚れが落ち、本来の白さを取り戻した子猫を、珠希は小さな布でくるんだ。
その様子を見ているうちに、壱丸は自分の胸の中で、何かもやついたものが居座っているのに気づいた。
(珠希さま、とっても優しいお顔です……なのに、なんでもやもやするんでしょう……?)
珠希が鈴のような声で、子猫に話しかける度に。
珠希の温かな手が、子猫の背をゆったり撫でるたびに。
壱丸の胸のもやつきはどんどん色濃くなっていく。
珠希は決して悪いことをしているわけではないのに、どうして。
(……もしかして、珠希さま……実は猫派!?)
まさか、そんなことはないだろう。
だって、珠希は今まで、自分をたっぷり可愛がってくれたはずだ。
犬だって好きなのは間違いない。
(でも、確か犬派とも言ってなかったような……)
ならば、珠希さまが今日から猫派になってしまう可能性だってある。
そうなったら、自分はどうなるのか。
――今までのようにたくさん撫でてもらえなくなるかもしれない。
――「いい子ね」と言ってもらえなくなるかもしれない。
――特等席の膝の上を奪われることだって……。
(い、一大事です! これは! 一大事ですうう!!)
瞬間、壱丸の頭の中で、カンカンカンカン!! と半鐘の音がけたたましく鳴り響いた。
こうしてはいられない、なにか対策を考えなければ。
壱丸が焦りだしたちょうどその時を見計らったように、玄関から
「おう、ただいまァ」
と、仕事から帰ってきた善一の声が聞こえてくる。
壱丸は「しゃ、しゃちょーっ!」と叫びながら、一目散に善一のもとへ駆けていった。
*
「しゃちょー! 大変です、大変ですうう!」
いつになく慌てながらやってくる壱丸に、善一は目を丸くした。
「どうしたィ、壱丸。モノダマたちがなにかやらかしたかィ?」
「違うんです! 珠希さまが、珠希さまが猫派になっちゃいます〜っ!」
「……はァ?」
善一はポカンと口を開けて、次の瞬間にはカラカラと笑いだした。
「なんだィ、突拍子もねェことを」
「突拍子もありますよ! 実は先ほど、珠希さまが……」
かくかくしかじか、と壱丸は順を追って状況を説明する。
今もまだ、壱丸そっちのけで子猫を可愛がっているかもしれない……壱丸は不安でたまらないのだ。
けれど、善一はそれを聞いてもおかしそうに笑うばかり。
どうやら、いまいち深刻さが伝わっていないらしい。
「だって、珠希さまが猫派になったら、犬のぼくなんて忘れられちゃうかもしれないんですよ! もう珠希さまのお膝で撫でてもらえなくなるかも……!」
壱丸は鼻をきゅうきゅう鳴らし、靴を脱ぐ善一のそばでうろちょろしながら訴える。
すると、善一は苦笑混じりに
「わァった、わァった。ちょいと落ち着けっての」
と壱丸を抱き上げ、片手で頭をわしゃわしゃ撫でながら言い聞かせた。
「お前さんはそもそも付喪神だろうがよ。犬派も猫派もあったモンかィ」
「で、でもぉ……」
「犬猫がどうこうじゃなくて、珠希にとっちゃァお前さんは大事な友達みたいなモンだろ。そんな心配するこたァねェよ」
「でも、でも……珠希さま、子猫さんに『可愛いわねぇ』って言ってましたし……」
「そりゃ可愛いモンは可愛いだろ。お前さんだって可愛いモンにゃ変わりねェさ」
「……ほんとですか?」
「嘘言ってどうする」
壱丸は鼻をすんと鳴らした。
善一は懐から煙管を取り出し、火を入れないまま咥えて、カカカと笑う。
「そんなに気になるなら、本人に聞けばいいじゃねェか」
「うう……でも、珠希さまに『猫派です』って言われたら、ぼく立ち直れないかも……」
「玉砕覚悟で挑むことも、時には必要だぜ。そういう時に度胸を見せてこそ、男が上がるってモンよ」
「男が上がる……」
――それならば、壱丸も男として尻込みしてはいられない。
男の中の男たる善一がそう言うのだ、と壱丸はぷすん! と鼻を鳴らして奮起した。
「……しゃちょー! ぼく、頑張って聞いてみます!」
「よしっ! 行ってこい、壱丸」
善一に背中をぽんと押され、壱丸はキリッと口を引き結び、珠希のもとへ駆け出した。
*
縁側から、珠希の柔らかな声と、子猫の小さな鳴き声が聞こえる。
「よしよし、もう怖くないわね」
壱丸は一度、柱の影からひっそりと様子を伺った。
珠希は子猫を抱いたまま、優しく声をかけ。
子猫のほうも、珠希に触れられているうちに安心したのか、時折ゴロゴロ……と喉を鳴らしていた。
蜜月の真っ只中にいる両者を前に、壱丸はなかなか声をかけられずにいた。
(でも、ここで引いたら、男が廃ります……!)
壱丸は弱音を吐きそうになる自分を鼓舞しながら、珠希の傍らへと歩を進めた。
そして。
「……珠希さまっ」
「? どうしたの、壱丸?」
「珠希さまは……もしや、猫派なのですか?」
「え?」
壱丸の質問が意外だったのか、珠希はパチパチと瞬きをした。
視線を上へやり、「うーん……」と少し唸ってから、彼女はおもむろに口を開いた。
「私は、犬も猫も好きよ。でも、強いて言うなら、気が合いそうなのは猫かしら」
「……!!」
壱丸の頭の中で、今度はチーンとお鈴の音が響いた。
予感していたこととはいえ、実際に本人の口から言われてしまうと、ショックも大きいものだ。
壱丸の尻尾が、しおれた花首のように垂れ下がった。
「そ、そうですか……珠希さまは、犬よりも猫と仲良しですか……」
「……もしかして、妬いてたの?」
露骨に落ち込んだ壱丸を見て、珠希は苦笑していた。
「だって……珠希さま、その子ばっかり撫でてるから……」
「なるほど、それで不安になってたのね。心配しなくても、貴方は別枠よ」
「え……?」
壱丸は、パッと顔を上げ、珠希の顔をまじまじと見た。
珠希はそんな壱丸にそっと微笑みかけ、ゆったりと頭を撫でた。
「私は、壱丸が壱丸だから好きなのよ」
「ぼくが、ぼくだから……?」
「そう。犬だから好きなんじゃなくて、壱丸だから愛おしいの」
「……!」
不安に苛まれていた壱丸の心をじんわりと包み込む。
壱丸はしばらく言葉を失っていたが、やがて、
「……えへへ。ぼく、珠希さまの特別枠なんですね!」
と尻尾を振った。
珠希はくすくす笑いながら、さらに壱丸の顎を撫でる。
「もちろん。貴方は私の友達で、大切な家族よ」
その言葉を聞いた壱丸の尻尾は、さらにぱたぱたと力強く揺れた。
膝の上の子猫が「みゃあ」と小さく鳴く。
それに負けじと、壱丸も「わんっ」と返した。
「後で善に頼んで、この子を引き取ってくれそうな人を探してもらいましょ。うちはモノダマたちもいて大変だから」
「確かに、この子とモノダマさんたちがぶつかったら、危ないですもんね」
「ええ。だから貴方も、この子の里親が見つかるまでは見守ってあげてね」
「はあい」
壱丸はにおいを覚えるべく、子猫の顔へ鼻を寄せた。
その様子を、珠希は微笑みを浮かべて見守っていた。




