第166話 黄色の機体に描かれたノーズアート 下
久城との話を終えた鳴鳥は自室に戻り、ベッドに身を預け、天井を仰ぎ見て物思いに耽る。
これから先どうするべきか、皆の話を聞いても自分で考えても答えは簡単に出ない。
命をやり取りする場に未だ慣れることは無く、セリアの指摘通り、無意識的に力をセーブしているようだが、もしまた戦場に立ったとしても、本気で相手を倒そうという気は起こせないと分かっている。
「(やっぱり……、私には……)」
誰かを、例えこの世界を蹂躙しようと目論んでいる者達でさえも、どんな相手でも引き金を引くことに躊躇う気持ちを捨てられない。
やはり無理である。そう結論を出そうとしていた所、サイドテーブルに置いていた小型通信機が着信を告げた。
相手はあの日、ジルベルトとのデートを終えて帰ってきた時に会って以来の人物で、じっくりと腰を据えて話したいと思いつつも、すれ違っていた者、アリーチェであった。
「ア、アリーチェさん……!」
「……相変わらず元気そう――――って程でもないのかしら?」
アリーチェからの連絡に驚いていた鳴鳥だが、一目見ただけで彼女に現状を見透かされてしまった。
その指摘通り、今の鳴鳥はジルベルトが居なくなってしまった事と、セリアからもう一度ARKHEDに搭乗して欲しいと願われて対応に困っている事と、こうして目の前にしたアリーチェとの事で、頭の中はいっぱいいっぱいである。
どう返せばよいか鳴鳥が戸惑っている所、アリーチェの方から話を切り出したが、彼女の問いには答え辛くあった。
「ジルと連絡がつかないのだけれど、アナタは何か知っているのかしら」
「……そ、それは――――」
ジルベルトが去った理由を鳴鳥は未だに分かっていない。
彼が愛想をつかしたとか、そういった理由で何も言わずに去った訳ではない事が分かるが、何の為に姿を消したのかは想像もつかずにいた。
口ごもってしまった鳴鳥を見兼ねてか、アリーチェは溜息を吐きつつ肩を下し、そして「やっぱり」と小さく呟いて悲しげな視線を向けた。
どうやらアリーチェにはこうなる事が分かっていたようで、彼女は取り乱す事無く淡々と事実を確認する。
「ジルはアナタの前から居なくなってしまったのね」
「は、はい……。で、でもどうしてアリーチェさんはジルベルトさんが居なくなることを知っていたんですか?」
「分かるわよ、ジルの事なら。何でも分かっちゃう……」
ジルベルトの事を本当に理解しているのだと言うアリーチェだが、誇らしくする事も無く、何も理解できない鳴鳥を馬鹿にするでもなく、ただ悲しげに目蓋を伏せさせていた。
現状が理解できたアリーチェはならば仕方がないと、半ば諦め気味に溜息を吐きつつ、何故ジルベルトが離れて行ったのかを述べる。
だがそれは鳴鳥にとって到底納得のできるものでは無かった。
「何にせよ、アタシだけでなく、ジルはアナタからも逃げたって事ね」
「そ、そんな……! ジルベルトさんは逃げたりなんか……っ」
「逃げたのよ。どちらか選べないから、どちらも選ばないように逃げたのよ」
「そんな事はありません……っ! ジルベルトさんが去ったのにはきっと理由があって――――」
現に他の部隊に所属して任務に就いていると、決して逃げたのではないと、ジルベルトの事を信じていると鳴鳥は言うが、アリーチェは聞く耳を持たず、頑なに自身の見解を曲げようとしない。
どうすれば彼女に信じて貰えるのか。
鳴鳥は考えを巡らせるが、ジルベルトの事に至っては鳴鳥も分からない事ばかりであって説得力のある擁護は出来なかった。
「……アナタはジルの事を何も分かっていないから騙されて捨てられるのよ」
「……捨て――――」
それだけは考えないようにしていた。
けれどもこうしてジルベルトの事を自分よりも理解しているように感じるアリーチェに言われてしまえば、鳴鳥は自身が無くなり、その事実に打ちのめされそうになる。
アリーチェとしては事実を述べたまでなのだが、鳴鳥が瞳を潤ませ始めたのに気付き、バツが悪そうにそれ以上は追い詰めるような言葉を言うのは止めた。
弱者に鞭を打つような真似はしたくない所であるが、この際だからとアリーチェは現実を突きつける様に言い放つ。
「こうなったらアナタに全部話してあげるわ。ジルの事。それからアタシとジルの関係もね」
それは鳴鳥も知らないジルベルトの過去の話。
十数年も前の、まだ彼がARKSのレーサーになる前の、今は失われた小さな星で暮らしていた頃にまで遡る。
何故彼がARKHEDの力を得たのか、そして同時に不死の力を得たのか。
それは一人の少女の存在によって引き起こされた悲劇であった。
星々が煌めく宙域。
アストリアから遠く離れた場所では地道な作業が、監視衛星のデータを書き換えるという作業が行われている。
この任務に就いた特務部第13部隊はジルベルトのARKHEDを中心として作業中の機体を守るようにARKSを配し、作業が終わるのを待っていた。
「(それにしても……)」
作業をしつつ周囲に居る者達の姿を見ていたジルベルトは少々呆れ返っていた。
警戒態勢に着いたのはカリナとマグヌス、そして船長であるドナートで、船長自らARKSに搭乗するなど思ってもみなかったが、ジルベルトも船長の身であるにもかかわらず前線に出ていた事から文句は言えない。
それについては理解もあるのだが、彼らの搭乗するARKSに問題があった。
一際大きく真っ赤な機体はマグヌスの物で、火力に関しては戦艦級のビームレザー砲を有しているなど問題ないが、積み過ぎていて機敏性に欠けており、大きな機体は格好の的である。
カリナの搭乗する機体は逆に小さく、小回りが利き、機敏さには文句のつけようが無いが、火力は低く、その上青色のボディコーティングにはラメ入りの塗装がなされていて、更にはデコレーションと言うのだろうか、キラキラと輝く装飾が付けられていてけばけばしい印象を受ける。
そして何よりジルベルトが気に食わないのはドナートの操縦する機体に対してで、彼の機体の黄色のボディにはノーズアートが、水着を着た女性が描かれているのだが、それはジルベルトにとって一番大切な者のイラストであるのだった。
扇情的なポージングで面積の少ない水着を身に着けるツーサイドアップの少女。
ドナート曰く、ロリコンではないが、テレンティアの戦を勝利に導いた女神だから御利益があるとの事で描かせたらしい。
「(……敵の襲撃があったらアイツだけは放っておくか、それか誤射でアイツの機体を沈めてやりたい……)」
苛立ちを滲ませつつ作業を終え、ジルベルト達は距離を置いて待機していたエアヴェルメンに帰還した。
決して疲れる作業ではなかったのだが自然と溜息はこぼれ、そして機体から降りてきたドナートに捕まり、更に疲労を滲ませた表情になる。
「おーし! 今日の仕事は終わりだ終わり。次の地点までは丸一日かかるから、今夜は飲むぞー!!」
「……移動距離が無くとも飲む気でしょうが」
「おう? 何か言ったか、新入り」
「……別に何も」
毎晩のどんちゃん騒ぎ。それはこの船のルールのようであって、船長であるドナートには逆らえない。
皆は酒を浴びるほど飲んで楽しげにしているが、ジルベルトは彼らのテンションに付いて行く事は出来ず、というよりも端から付き合う気など無く、それでも強制的に参加させられて、せめてもの抵抗で、端の方でちびちびと酒を飲んでいた。
ジルベルトは酒自体が嫌いな訳ではない。
アルヴァルディに居た頃は進んでボトルを開けたり、苛立った時に酒に走る事もあった。
けれども酒というものは一緒に飲む相手により味が変わるようで、極上の酒も今では不味く感じられた。
「もー。相変わらず一匹狼を気取っちゃって」
「俺の事は放っておいてくれ」
ワインのボトルを片手にジルベルトの傍へ近寄ってきたのはカリナで、赤ら顔の彼女は大胆に身を摺り寄せてきた。
ふと視線を落とせば吸い込まれるような谷間に、スラっと伸びた足が。
男なら誰もが目を奪われてしまうんだとジルベルトは内心言い訳をして、視線を外して酒を煽る。
「ねぇねぇ、もしかして、ジルの置いてきた彼女ってのは、船長の機体に描いてあるノーズアートの子?」
「ぶは……っ!!」
「ちょ、ちょっと、大丈夫?」
図星を指されたジルベルトはむせ返り、無様な姿を晒してしまった。
あからさまな反応を見せてしまったからには誤魔化しようが無く、口元を拭っていたジルベルトはただただ無視を決め込むしか出来ず、ニヤつくカリナの視線も徹底的に無視を決め込んだ。
「へぇ~そっか~。あの子がね~」
「……」
「可愛くて、一躍時の人で、そんなあの子にこんなオジサンがねぇ……」
「……」
「しかも何を考えてか、こんな部隊に配属になっちゃって。ちゃんと話をして残してきたんでしょうね?」
「……」
鳴鳥と自分とが釣り合いが取れていない事をジルベルトは十二分に自覚している。
アルヴァルディの皆は二人の事をよく知っているから祝福してくれたようだが、世間一般の人から見る目はやはり違うようだ。
有象無象に何を思われようが、気持ちは変わらない筈だが、残してきた鳴鳥の事を言われて眉間の皺は深くなる。
僅かな変化しか見せなかった筈だが、カリナは勘が鋭いようで、ジルベルトの些細な変化に気づき、そして呆れ返ったように溜息を吐いてダメ出しをする。
「その様子だと、ちゃんと説明してこなかったんでしょう」
「……お前には関係ないだろう」
「確かに関係は無いけど、女としては情けない男は見過ごせないわ」
「……チッ」
ボトルを空にしつつ、カリナはジルベルトに対して説教を始める。
今でも好きなのならキチンと訳を話してから離れるようにだとか、いっその事別れる方が互いの為になるだとか、当たり前の事をつらつらと並べ立てられ、ジルベルトは苛立ちを募らせる。
けれども彼女の言う事は正論であって、言い返す事は出来ず、ただただ聞き流す事しか出来なかった。
くどくどと小言を言い続けていたカリナだが、ボトルが完全に空になり、最後の一滴が注がれた瞬間、彼女は急に押し黙り、そしてポツリと呟いた。
「……せっかく想いが通じ合っているのに、離ればなれだなんて悲しいじゃない」
しおらしいカリナは珍しい。
急に勢いをなくしてどうしたのかと横目で探りを入れるが、彼女は直ぐに新しいボトルを開け、グラスに並々とワインを注ぎ、満面の笑みで口にする。
男には不自由していなさそうなカリナ。
現に見かける度に誰かしらの傍に寄り沿っていて、人目もはばからずにイチャイチャと……それ以上の事も致している場面がある。
そんな彼女からジルベルトと鳴鳥の仲を羨むような言葉が出て意外に思う所であるが、男に不自由していない彼女だからこそ、深く想いあえる仲は羨ましいようだ。
「ねぇ。ジルはあたしの事、何処まで知っているの?」
「……一応、ここに来るにあたって、皆の経歴は見させてもらった」
「そっか……」
特務部に属するものは他の部で問題を起こした者や、前科者がほとんどである。
それはこの船、エアヴェルメンに乗船する者達も例には漏れず、カリナもまた罪を犯して罰として軍属となり、刑期短縮の為に日夜その身体を使って金を稼いでいる。
カリナは元々非合法組織の暗殺者集団に属していて、身体を餌としてターゲットに近づき、寝床で昇天させた所で命までも狩り取り、多くの者達を手にかけていた。
以前より男女の交わりは任務を遂行する為の手順として認識していた彼女にとって、行為そのもので満たされる思いは感じないのだろう。
性に関して奔放になってしまったのは頷ける過去であった。
「誰かと想いが通じ合って、一つになれるって素敵な事よね。この広い宇宙で巡り合えたなんて奇跡に近いでしょう? そんな事はそうそう何度も起きないんだから、大切な人が居るならちゃんと相手の気持ちも考えてあげなくちゃ」
「……言われずとも分かっている」
「そう? だったら早速連絡入れてあげなよ」
「それは……、すべてが片付いてからでないと駄目だ」
声を聴いてしまえば迷いが、顔を見てしまえば躊躇いが生まれてしまう。
ジルベルトが為そうとすることは下手をすれば今の立場より更に危うくなるかもしれない事で、大切に思っているからこそ巻き込まないようにしなくてはならなかった。
そのような実態をカリナに明かす訳にはいかず、ジルベルトは誤魔化すように、自分の事よりもお前はどうなのだと聞き返す。
「お前にはいないのか? 本気で想う奴が」
「え!? あたし?! そんな……、あたしみたいなビッチが誰かを本気に好きになるなんて――――」
あからさまな動揺を見せたカリナ。
自らを貶めるような発言をして否定していたが、目は泳いでいる。
元暗殺者という肩書に、更には誰彼かまわず金さえ貰えれば寝てしまうカリナらしからぬうぶな反応。
その意外性に驚いていたジルベルトだが、彼らの元に酒臭い匂いを漂わせたタチの悪い酔っ払いが絡んできた。
「おうおうお前ら。随分と仲が良さそうじゃねぇか」
「船長……! また飲みすぎちゃって……」
「はぁ? こんなのまだ序の口だぞ。まだまだ飲めるっての」
「はいはい。何事も程々が良いってのが分からないみたいね」
駄々をこねる子どもをあやすかのようにカリナはドナートを扱う。
その表情は優しげであって、それでいてどこか他の男と接する時と違うようであり、ジルベルトは成程と納得して口端を緩ませた。
手持ちの一升瓶を空にしたドナートはまたフラフラと歩き、他の者たちへと絡みに行った。
その後姿を見つめていたカリナだが、隣でクツクツと笑うジルベルトに気づき、怪訝な顔をする。
「……良い趣味だな」
「……え!? な、何を言って――――」
届かない想いに悩む者も居れば、離れていても互いに想いあう者もいる。
想いが交差する宇宙にじわりじわりと危機が迫っているとはだれもまだ知らずにいた。




