第九十五話 変わったもの
村へ戻って数日。
エイルの生活は、学校へ行く前とよく似た形に戻っていた。
朝起きて、家の仕事を手伝う。
畑へ行く。
荷物を運ぶ。
昼になれば家へ戻り、また午後の仕事をする。
違うのは、エイルが以前より少し大きくなったことと、できることが増えたことだった。
「それ、こっちに運んでくれ」
父のトーマに言われ、エイルは袋を持ち上げた。
「これ?」
「ああ」
思ったより重い。
エイルは一度置き直した。
身体強化を使えば簡単に運べる。
そう思って術式を形成しかけたところで、トーマが言った。
「無理なら半分持つぞ」
「大丈夫」
「本当か?」
「うん」
エイルは身体強化を発動した。
袋を持ち上げる。
さっきよりずっと軽く感じる。
そのまま納屋まで運んだ。
「おお」
後ろからトーマの声がした。
袋を下ろして振り返る。
「学校で習ったやつか?」
「うん。身体強化」
「便利だな」
「父さんも使えたら楽なのに」
「今から覚える気はないなあ」
トーマは笑った。
「この歳までこれでやってきた」
エイルは父の脚を見る。
灰牙の群れが村を襲ったときに負った傷。
普段の仕事はできるようになっている。
それでも、長く歩いた日には少し庇うことがある。
「何だ?」
「いや」
「また脚見てただろ」
「見てた」
「隠す気もないのか」
「もう痛くない?」
「普段はな。疲れると少し」
「そっか」
トーマは袋を一つ持ち上げた。
「そんな顔するほどじゃない」
「どんな顔?」
「知らん。鏡見ろ」
「家に大きい鏡ないよ」
「じゃあ分からんな」
二人で納屋を出た。
---
午後はドルクのところへ行った。
学校で戦闘基礎を習ったことを話すと、木剣を持たされた。
「振ってみろ」
「なんで?」
「見たいからだ」
エイルは構えた。
学校で何度もやった形を思い出す。
踏み込む。
振る。
止める。
ドルクが腕を組む。
「もう一回」
もう一度。
「前よりはましだな」
「前って、俺ほとんど剣振ったことなかっただろ」
「だからましなんだ」
「褒めてる?」
「褒めてる」
エイルは木剣を見る。
「レオンにはまだ全然勝てない」
「誰だ、それ」
「学校の友達。剣が得意」
「なら、そのレオンってやつの方が上手いんだろ」
「うん」
「終わりじゃないか」
「もうちょっと何かないの?」
ドルクが笑った。
「じゃあ俺とやるか?」
「やる」
「身体強化はなしだ」
「なんで?」
「俺が使えん」
「分かった」
二人が少し距離を取る。
「いくぞ」
ドルクが動いた。
速い。
エイルは盾代わりの木板を上げた。
木剣が当たる。
次が来る。
受ける。
三度目。
来ると思っていた方向と違った。
肩を軽く叩かれる。
「終わり」
「早い」
「お前、剣ばっかり見てるぞ」
「学校でも言われた」
「じゃあ直せ」
「練習してるよ」
「なら続けろ」
エイルは木剣を構え直した。
「もう一回」
「畑仕事は?」
「終わった」
「トーマに聞くぞ」
「終わったって」
「じゃあもう一回だ」
---
何度やっても、ほとんど勝負にならなかった。
ドルクは学校の教師のように綺麗な動きをするわけではない。
レオンとも違う。
けれど、エイルが何をしようとしているか、妙に早く気づく。
「なんで分かるの?」
「何が?」
「俺が打つところ」
「見てるからだ」
「どこ?」
「いろいろ」
レオンと同じような答えだった。
「それ、ずるくない?」
「何がずるいんだ」
「俺も見てる」
「見てても分かってないなら同じじゃない」
言い返せなかった。
ドルクが木剣を地面へ置く。
「学校で一年習ったくらいで、急に何でもできると思うなよ」
「思ってないよ」
「ならいい」
エイルも木剣を置いた。
「でも前よりはできる」
「それはそうだな」
今度は、はっきり褒められた。
---
帰り道。
村の中を歩いていると、見慣れた家々が並んでいる。
学校の街とは違う。
大きな建物はない。
食堂もない。
図書館もない。
鐘に合わせて大勢の生徒が移動することもない。
一年離れていたのに、道はほとんど変わっていなかった。
「あ、エイル!」
声がして振り返る。
村の子供が二人、走ってくる。
学校へ行く前には、よく一緒に遊んでいた子たちだ。
「魔術見せて!」
「いきなり?」
「学校で習ったんだろ?」
「習ったけど」
「火出せる?」
「出せるよ」
「見せて!」
エイルは少し考えた。
家の近く。
乾いた草もある。
「ここではやらない」
「なんで?」
「燃えたら困るから」
「じゃあ水!」
「水を出す魔術はまだ習ってない」
「何ならできるの?」
エイルは少し考える。
「光」
「地味」
「じゃあ見せない」
「見る!」
「どっちだよ」
エイルは笑った。
安全な場所へ移動してから、習った灯りの術式を形成する。
発動。
小さな光が手元に浮かんだ。
「おお!」
「すげえ!」
二人が顔を近づける。
「触れる?」
「触れない」
「熱い?」
「熱くない」
「飛ばせる?」
「これは飛ばす術式じゃない」
「じゃあ何に使うの?」
「暗いところ照らす」
「やっぱり地味」
「消すぞ」
「待って!」
学校では基礎中の基礎だった。
けれど、村の子供たちは光が消えるまでずっと見ていた。
---
家へ戻ると、リナが待っていた。
「お兄ちゃん」
「何?」
「私にも見せて」
「何を?」
「魔術」
「さっき見てた?」
「見てない」
「じゃああとでね」
「今」
「荷物置いてから」
「今」
「リナ、前よりしつこくなってない?」
「なってない」
「なってるよ」
結局、庭の安全な場所でまた光を出した。
リナは何も言わずに見ている。
「どう?」
「小さい」
「さっきの子たちと同じこと言うなよ」
「もっと大きくできないの?」
「できるけど、今はこれでいい」
「なんで?」
「必要ないから」
リナが不満そうな顔をする。
エイルは少し考え、光を二つに増やした。
「これは?」
「二個!」
急に喜んだ。
「それでいいの?」
「うん」
エイルにはよく分からなかった。
---
夕食のとき、母のミラが聞いた。
「学校は楽しい?」
「楽しいよ」
「何が一番?」
エイルは匙を止めた。
「一番?」
魔術。
身体訓練。
魔物学。
図書館。
友達。
実地訓練。
いろいろ浮かぶ。
事故のことも浮かんだ。
「分からない」
「そんなにあるの?」
「うん」
「じゃあ、行ってよかった?」
今度はすぐに答えた。
「うん」
ミラが笑う。
「ならよかった」
トーマが横から聞く。
「二年目は何をやるんだ?」
「選ぶ授業が増える」
エイルは鞄から紙を持ってきた。
食卓に広げる。
トーマとミラが覗き込む。
「商業って何するんだ?」
「俺もまだ全部は知らない」
「魔物もあるな」
「うん」
「戦闘も?」
「ある」
ミラが少しだけ顔を曇らせた。
エイルはそれに気づいた。
「学校の中でやるやつだよ」
「校外実習は?」
「今は止まってる」
事故については、帰ってきた日に話している。
ミナが怪我をしたこと。
ほかにも怪我人が出たこと。
自分もその場にいたこと。
全部。
「二年目に再開するかは、まだ分からない」
「そう」
ミラはそれ以上言わなかった。
---
夜。
エイルは自分の部屋で、選択授業の紙を広げた。
一年目の終わりにも何度か見た。
商業。
行政。
工芸。
魔道具。
戦闘。
魔物。
ほかにもある。
村へ帰れば決められると思っていた。
でも、まだ迷う。
学校へ行く前なら、魔術と書いてあるものを最初に選んでいたかもしれない。
今も魔術は好きだ。
形成するのも面白い。
術式を読めるようになるのも楽しい。
けれど、それだけではなくなっていた。
森で見た足跡。
地図に並べられた複数の報告。
カイが得意だった商売の計算。
ノアが夢中になっていた魔道具。
レオンやドルクとの訓練。
知らなかったものが、一年でずいぶん増えた。
エイルは紙を見ながら悩んだ。
「……多いな」
全部は選べない。
そこが一番困る。
机の端には、学校から持ち帰った教本が一冊置いてある。
結局、まだほとんど開いていない。
エイルはそちらを見た。
少し迷う。
それから選択授業の紙を置き、教本を開いた。
二ページほど読んだところで、欠伸が出た。
「明日にしよう」
本を閉じる。
選択授業も、明日また考えることにした。




