第八十六話 戻るか進むか
大きな足跡は、道の先へ続いていた。
さっきまでとは違う。
最初に見つけた足跡は、道を横切って森の奥へ消えていた。
今、目の前にある足跡は、自分たちが向かう方向と重なっている。
その近くには、高い位置まで剥がれた樹皮。
何の魔物なのかは分からない。
目的地までは、もうそれほど遠くなかった。
「一回、整理しよう」
レオンが言った。
六人は道の端へ寄る。
ノアとセレナが痕跡を見る間も、エイルたちは周囲への警戒を続けた。
前回のように、全員で一か所に集まることはなかった。
「分かってることから」
レオンが言う。
セレナが資料を持ったまま答える。
「五日前の巡回では異常なし」
ノアが続けた。
「最初に見つけた大きな足跡は、道を横切っていた」
「今のは道と同じ方向」
エイルが言う。
「木の傷もある」
ミナが付け加える。
「かなり高い位置」
カイが森の先を見る。
「で、何の魔物かは分からない」
「数も分かりません」
セレナが言った。
「いつ通ったかも、正確には分かりません」
レオンが頷いた。
分かっていること。
分からないこと。
並べてみても、答えは出なかった。
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「俺は戻った方がいいと思う」
カイが言った。
エイルが少し驚く。
「カイが?」
「またそれ言うのかよ」
「だって」
「何か分からないんだぞ。しかも同じ方向に行ってる」
カイは足跡を指した。
「目的地まで近いからって、わざわざ追いかける必要ないだろ」
「追いかけてるわけじゃないよ」
ミナが言う。
「同じ方向なだけかもしれないし」
「それが嫌なんだよ」
「でも、これだけで戻る?」
ミナは地図を見る。
「今のところ魔物を見たわけでもないし、鳴き声もない」
どちらも間違っているようには聞こえなかった。
エイルも考える。
目的地は近い。
先生もいる。
「先生がいるから、普通よりは安全だよね」
セレナがエイルを見る。
「それはそうだと思います」
「じゃあ――」
「ですが」
セレナが続けた。
「先生がいるから、普段なら避ける危険を選んでいい、ということではないでしょう」
エイルは少し考えた。
「……確かに」
後ろにいるバルガを見る。
バルガは何も言わない。
ただ、周囲を見ている。
エイルたちの判断を待っているというより、危険がないか確認しているように見えた。
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「戻る条件を決めてなかったな」
レオンが言った。
前回は、誰が最後に決めるのかを決めていなかった。
今回はレオンを責任者にした。
役割も決めた。
でも。
**何が起きたら戻るのか。**
そこまでは決めていなかった。
「魔物が出たら?」
カイが言う。
「それでは遅いかもしれません」
セレナが答える。
「じゃあ鳴き声」
「何の?」
「分からん」
カイが自分で言って黙った。
「誰か怪我したら」
エイルが言う。
「怪我してからじゃ遅いよ」
ミナに言われた。
「そっか」
ノアが足跡を見ていた。
「結局、これが何か分からないから決められないんじゃない?」
全員がノアを見る。
「知ってる魔物なら、考えられるだろ。人を襲うのか、群れなのか、どれくらい動くのか」
「でも今は、それがない」
エイルが言った。
「うん」
情報が足りない。
だから判断できない。
けれど、情報が足りないからといって、いつまでもここに立っているわけにもいかない。
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レオンはしばらく地図を見ていた。
やがて顔を上げる。
「もう少しだけ進む」
カイが眉を寄せた。
「まだ行く?」
「次の開けた場所まで」
レオンは続けた。
「ただし、今より近くにいる可能性が上がるものを一つでも見つけたら戻る」
「例えば?」
「同じ足跡。新しい傷。糞。鳴き声。何でもいい」
セレナが確認する。
「何か一つでも?」
「ああ」
「分かった」
ミナも頷いた。
カイは少し迷ったあと、
「そこまでなら」
と答えた。
レオンがバルガを見る。
「次の開けた場所まで進みます。新しい痕跡が一つでもあれば撤退します」
バルガは周囲を確認した。
「分かった」
「いいんですか?」
エイルが聞いた。
「今のところ、俺が訓練を中止させるほどの危険は確認できていない」
バルガは答えた。
「だからといって、安全だと確認できたわけでもない」
そしてレオンを見る。
「自分たちで決めた条件は守れ」
「はい」
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六人は進んだ。
今までより遅い。
話す者はいない。
レオンが前。
ミナが後ろ。
エイルは左。
カイは右。
ノアは地面。
セレナは地図と周囲。
エイルは木々の間を見る。
何もない。
数歩進む。
また見る。
風で葉が揺れた。
それだけだった。
さらに進む。
何もない。
もしかしたら、もう遠くへ行っているのかもしれない。
そう思い始めたときだった。
低い枝に何かが引っかかっている。
「待って」
全員が止まった。
エイルが指を差す。
「左」
レオンとノアが確認する。
茶色い毛だった。
数本。
枝に絡んでいる。
ノアは触らずに近くから見る。
「古そうには見えない」
「さっきの魔物?」
カイが聞く。
「それは分からない」
エイルが答えた。
カイがこちらを見る。
「先に言われた」
でも。
何の毛なのかは関係なかった。
さっき決めたばかりだ。
**今より近くにいる可能性が上がるものを一つでも見つけたら戻る。**
全員がレオンを見る。
レオンはほとんど迷わなかった。
「戻る」
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帰りは来た道を使った。
足跡を見つけた場所まで戻る。
そこでレオンがバルガへ改めて報告した。
「撤退します」
「ああ」
バルガは止めなかった。
六人は森の外へ向かう。
しばらく歩いてから、カイが息を吐いた。
「結局、目的地まで行けなかったな」
エイルが聞く。
「失敗?」
「俺に聞くなよ」
「先生に聞く?」
「森出てからにしろ」
「そうする」
ミナが後ろから言った。
「でも、戻るって決めて、本当に戻れたんだからいいんじゃない?」
エイルもそう思った。
前回より一つ増えた。
誰が決めるのか。
何が起きたら戻るのか。
最初から全部決められたわけではない。
それでも、途中で必要だと気づいて決めた。
そして守った。
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森を出る少し前。
別の班と出会った。
向こうも教師一人と生徒六人だった。
「そっち、何かあった?」
相手の生徒が聞く。
レオンが答える。
「資料にない大きな足跡があった」
「大きな?」
「木の傷と毛も。何の魔物かは分からない」
相手の班の表情が変わる。
「どの辺?」
地図を見せる。
すると、向こうの教師も近づいてきた。
バルガと二人で地図を確認する。
「こちらの予定経路に近いな」
その教師が言った。
「聞いていませんでした」
「今、見つけたところだ」
バルガが答える。
「こちらは撤退する」
向こうの教師はすぐに決めた。
生徒たちも進路を変えることになった。
エイルはその様子を見ていた。
「先生」
「なんだ」
「俺たちが見つけたことって、ほかの班にも伝えるの?」
「ああ」
「どうやって?」
バルガが森の外を指した。
「一度、決められた連絡場所へ報告を集める。必要なら、そこから教師が各班へ伝える」
「今の班には?」
「たまたま直接会ったから、今伝わった」
エイルは少し考える。
「会わなかったら?」
「連絡役が探す」
「すぐ届く?」
バルガは首を振った。
「森の中だからな」
班も動いている。
連絡する側も歩く。
遠ければ、それだけ時間がかかる。
「だから、緊急性が高いと判断すれば訓練そのものを止めることもある」
「なるほど」
エイルは頷いた。
それ以上は深く考えなかった。
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学校へ戻ってからの振り返りで、バルガは六人の判断を確認した。
「目的地には着かなかった」
黒板に書く。
「だが、それだけで失敗にはならん」
カイが少し嬉しそうな顔をする。
「未知の痕跡を見つけた。情報を整理した。進む範囲を限定した。撤退条件を決めた。そして条件に当てはまるものを見つけて戻った」
バルガは六人を見る。
「説明のできる判断だ」
エイルは少し嬉しくなった。
第一回は、先生について歩いただけだった。
第二回は、先生に役割を決めてもらった。
第三回は、自分たちで動いてみた。
第四回。
目的地には着かなかった。
それでも。
自分たちで危険を見つけて。
考えて。
全員で帰ってきた。
「次が最後だ」
バルガが言った。
教室が少しざわめく。
五回目。
総合実習。
「これまでの四回でやったことを、最初から最後まで班でやってもらう」
ルート。
役割。
観察。
報告。
判断。
必要なら撤退。
そして帰還。
「ただし」
バルガが続けた。
「今日見つかった痕跡について学校側で調べる。それが終わるまでは、この区域は使わない」
エイルは大きな足跡を思い出した。
何だったのかは、結局分からなかった。
けれど。
分からなかったから戻った。
それでよかったのだと、今は思えた。
四回目の実地訓練は、六人全員が怪我なく帰って終わった。




