第七十九話 身体強化
戦闘基礎の授業が始まってから、身体強化を使う機会が増えた。
走るとき。
踏み込むとき。
木剣を振るとき。
最初に習った頃は、術式を発動したまま動くだけでもぎこちなかったが、今ではクラスの多くが少しずつ慣れてきている。
その日の授業で、バルガは訓練場に三つの目印を置いた。
正面に一つ。
そこから右に一つ。
さらに左に一つ。
「今日は身体強化を使った状態で、この順番に走る」
カイが隣で小声を出した。
「それだけ?」
「多分」
「簡単だと思ったか?」
バルガがこちらを見た。
カイが口を閉じる。
「……まだ何も言ってません」
「顔に出ている」
エイルが笑った。
「笑っているお前も同じだからな」
「はい」
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最初の生徒が身体強化を発動した。
合図と同時に走り出す。
一つ目の目印までは速い。
そこで右へ曲がろうとして――大きく外へ膨らんだ。
「あっ」
なんとか立て直して二つ目へ向かう。
次の生徒も似たようなところで崩れた。
何人か続いたところで、バルガが止める。
「身体強化を使えば、普段より速く走れる。踏み込みも強くなる」
三つの目印を指した。
「だが、速くなったからといって、曲がるのが上手くなるわけじゃない。止まるのが上手くなるわけでもない」
エイルは一つ目の目印を見る。
以前、停止線を越えたときと同じだ。
身体の動きが大きくなった分、それを扱う方が追いつかなくなる。
「最初から速さばかり求めるな。自分が扱える動きでやれ」
「はい!」
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エイルの番が来た。
覚えた身体強化の術式を形成し、発動する。
脚に力が入りやすくなる。
「始め!」
地面を蹴った。
一つ目まで走る。
右へ。
「うわっ」
勢いが残った。
身体が外へ流れ、思っていたより大きく回り込む。
二つ目では今度こそと慎重になりすぎた。
速度を落とす。
左へ曲がる。
遅い。
三つ目まで行って、ようやく止まった。
「難しいな」
戻ると、カイが笑っている。
「一個目、すごかったぞ」
「カイもやれば分かるよ」
「見とけ」
カイの番になる。
勢いよく走り出す。
一つ目。
「うおっ!」
エイルより大きく外へ膨らんだ。
「俺よりすごい」
「うるさい!」
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レオンの番になった。
同じ基本術式を発動する。
走り出した。
一つ目の目印が近づく。
その少し前で歩幅が変わった。
速度を落とし、身体を沈める。
右へ切り返す。
二つ目でも同じだった。
速い。
けれど、それ以上に動きが崩れない。
レオンが戻ってくると、エイルはすぐに近寄った。
「今、一個目の前で何したの?」
「歩幅を合わせた」
「曲がるために?」
「ああ。全速力のまま曲がったら流れるだろ」
「身体強化はずっと同じ?」
「同じだ」
「途中で何か変えてるわけじゃないんだ」
レオンが首を振る。
「走り方を変えてるだけだ」
エイルはさっきの動きを思い返す。
速く走る。
曲がる直前になって慌てるのではなく、その前から準備する。
「もう一回やりたい」
「順番待てよ」
後ろからカイに言われた。
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二回目。
エイルは最初から速く走ることだけを考えるのをやめた。
一つ目が近づく。
少し手前から歩幅を短くする。
身体を低くする。
右へ。
「お」
今度は大きく膨らまなかった。
二つ目。
同じようにやろうとして、足の位置が気になった。
下を見る。
「前を見ろ!」
バルガの声が飛ぶ。
「はい!」
慌てて顔を上げる。
なんとか三つ目まで走った。
戻ると、バルガが言った。
「足元を確認しながら動く癖をつけるな」
「はい」
「最初は遅くていい。前を見たまま動けるように繰り返せ」
「はい」
列の後ろへ戻る。
カイが聞いた。
「さっきより良かった?」
「一個目は」
「二個目は?」
「前見ろって言われた」
「聞こえてた」
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次は、バルガの合図に合わせて方向を変える練習になった。
右手なら右。
左手なら左。
拳を握れば停止。
どの合図が出るかは分からない。
「始め!」
エイルが前へ走る。
右。
身体を右へ向ける。
次は左。
切り返す。
拳。
止まる。
最初の練習よりは動けた。
二回目。
走りながらバルガを見る。
そろそろ右が来る気がした。
少しだけ身体を右へ寄せる。
上がったのは左手だった。
「あ」
反応が遅れた。
「止まれ」
エイルが戻る。
「今、右だと思ったな?」
「はい」
「相手が毎回、お前の予想どおりに動くと思うか?」
「思わないです」
「なら、先に片方へ身体を預けるな」
エイルは少し考えた。
「予想しない方がいいんですか?」
「予想はしていい」
「どっちですか?」
「右かもしれない。左かもしれない。止まるかもしれない。それぞれに備えるのは予想だ」
バルガが言う。
「右に来ると決めて、先に右へ動くのは決めつけだ」
「ああ」
今度は分かった。
「もう一回やります」
「なら並べ」
「はい」
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後半は木剣と盾を使った。
二人一組。
攻撃側と防御側に分かれる。
狙っていいのは肩、胴、脚。
力は抑える。
攻撃する場所は事前には教えない。
「身体強化は使え。だが、速く振ることばかり考えるな。相手を見ろ」
エイルはカイと向かい合った。
最初はカイが攻撃側だ。
「いくぞ」
「うん」
木剣が動く。
肩。
エイルが盾を上げる。
受けた。
次は胴。
これも間に合う。
三回目。
カイの肩がわずかに動いた。
エイルは反射的に盾を上げる。
だが、木剣は下へ来た。
軽く脚に当たる。
「痛っ」
カイが笑う。
「引っかかった」
「今、肩動かしただろ」
「動かした」
「わざと?」
「ちょっと」
「もう一回」
「次は交代だよ」
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今度はエイルが木剣を持つ。
身体強化を使えば、普段より強く、速く振れる。
だからこそ力を抑える。
肩を狙う。
受けられた。
胴。
これも止められる。
次は脚。
踏み込んだ瞬間、カイの盾が先に下がった。
木剣を受け止める。
「分かった?」
エイルが聞いた。
「なんとなく」
「どこ見た?」
「腰」
「腰?」
「お前、脚を狙うとき少し沈む」
「本当?」
エイルは同じ動きをゆっくりやってみた。
確かに、踏み込む前に姿勢が少し変わる。
「ほんとだ」
「戦ってる途中で自分を見るなよ」
「今はいいだろ」
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少し離れたところでは、レオンが同じ練習をしていた。
相手の攻撃を盾で受ける。
一度は肩に木剣が触れた。
それでも、エイルたちより動きが安定している。
休憩になると、エイルは水を飲んでいるレオンのところへ行った。
「やっぱり身体強化に慣れてるから?」
「それもあると思う」
レオンは答えた。
「でも、今のは多分それだけじゃない」
「じゃあ何?」
「似た練習を前からやってるからだ」
「剣の?」
「剣も。足運びも。相手を見るのも」
レオンは木剣を持ち上げた。
「身体強化がなくても、やることはそんなに変わらない」
「そうなの?」
「速さや力は変わる。でも、剣の振り方まで術式が決めてくれるわけじゃない」
エイルは少し考えた。
「じゃあ身体強化を覚えただけじゃ、レオンみたいにはならない?」
「ならないな」
「そっか」
横で聞いていたカイが言う。
「残念だったな」
「何が?」
「簡単に強くなれなくて」
エイルは首を傾げた。
「練習すればいいんじゃない?」
レオンが笑った。
「そうだな」
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授業の最後。
バルガが生徒たちを集めた。
「身体強化そのものは、珍しい魔術じゃない」
騎士や兵士。
荷運びなど身体を使う仕事。
魔物を相手にする者。
必要に応じて使う者はいるという。
「学校に来てなくても使えるんですか?」
一人の生徒が聞いた。
「使える」
バルガは頷いた。
「家族や仕事仲間、師匠から、完成した基本術式を教わることもある。それを覚えて形成し、発動できれば使うことはできる」
エイルはレオンを見る。
以前、レオンが子供の頃から習っていたと言っていたのを思い出す。
「じゃあ、設計までできなくても?」
エイルが聞く。
「この身体強化を使うだけなら必要ない」
バルガが答えた。
「お前たちも今、一から設計したわけじゃないだろう」
「確かに」
教わった完成済みの術式を読んで、覚えて、使っている。
村にいた頃のエイルは、その術式自体を知らなかった。
だから、腕や脚へ魔力を動かすことはできても、身体強化を使っていたわけではない。
「ただし」
バルガが木剣を持ち上げた。
「術式を知っていることと、これを扱えることは別だ」
訓練場の三つの目印を見る。
「走るなら走り方がいる。剣を使うなら剣の練習がいる。相手がいるなら、相手を見る必要がある」
カイが自分の木剣を見る。
「結局、そこは練習なんですね」
「当たり前だ」
「ですよね」
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授業が終わり、三人で寮の方へ歩いた。
「俺、最初は身体強化ってもっと特別なのかと思ってた」
エイルが言う。
「俺も」
カイが頷く。
レオンは少し考えてから言った。
「使うだけなら、そこまで珍しくない。でも、使い方は人による」
「レオンはいつも使って練習してたの?」
「最初からじゃない。姿勢や足運びだけの日も多かった」
「身体強化なしで?」
「ああ」
エイルは今日の練習を思い返す。
一つ目の目印で大きく膨らんだ自分。
同じ術式を使いながら、きれいに切り返したレオン。
「明日も少し練習しようかな」
カイが嫌そうな顔をする。
「俺も?」
「一人じゃ盾の練習できない」
「レオンに頼めよ」
「俺もやるなら付き合う」
レオンが言った。
カイが二人を見る。
「……じゃあ俺だけ行かないみたいになるだろ」
「来ないの?」
「行くよ」
「じゃあ決まり」
「なんか納得いかない」
エイルは笑った。
身体強化を覚えた。
それで、できることは増えた。
けれど、今日うまくできなかったことまで、術式が代わりに覚えてくれるわけではなかった。




