第七十七話 帰れない休暇
入学してから、さらにしばらく経った。
授業が終わった夕方。
寮へ戻る途中で、カイが言った。
「エイル、休みどうする?」
「休み?」
「来週からだろ」
エイルは立ち止まった。
「ああ」
数日間の休暇がある。
学校へ来てから初めての、まとまった休みだった。
「カイは帰るの?」
「帰るよ。三日くらいかかるけど、休みは家で過ごせる」
「いいな」
「エイルも帰るんじゃないの?」
エイルは首を振った。
「無理だよ」
「やっぱり?」
「村まで馬車で二週間くらいかかるから」
往復するだけで、休暇が終わるどころではない。
カイは少し考えてから言った。
「遠いな」
「遠いよ」
「今さらだけど」
「俺も学校来てから思った」
村にいた頃は、街までの距離を特別に考えたことはなかった。
遠いものは遠い。
それだけだった。
けれど、ここに来てからは違う。
カイの家は三日。
もっと近いところから来た生徒なら、一日もかからない。
「じゃあ寮に残るの?」
「うん」
「一人?」
「他にもいるんじゃない?」
「寂しくない?」
「図書館あるし」
「お前、それで何日過ごす気だよ」
「結構いけると思う」
カイは呆れたように笑った。
⸻
休暇前日。
寮はいつもより騒がしかった。
廊下を荷物を持った生徒が行き来している。
「忘れ物した!」
「馬車が出るぞ!」
「分かってる!」
階段を駆け下りる音がする。
普段は服を放り出しているカイも、今日は朝から荷物をまとめていた。
「これで全部かな」
「服は?」
「入れた」
「机の下にあるのは?」
カイが覗く。
「あ」
「それ昨日からあったよ」
「言ってくれよ」
「今言った」
カイが服を鞄へ押し込む。
「よし」
「ぐちゃぐちゃだよ」
「家で洗うからいい」
「それでいいの?」
「いいんだよ」
エイルは自分の机を見る。
荷物をまとめる必要はない。
少し変な感じがした。
「じゃあ行ってくる」
カイが鞄を背負う。
「うん」
扉まで行ったところで、カイが振り返った。
「本当に大丈夫?」
「何が?」
「休み」
「大丈夫だよ」
「ずっと本読んで終わるなよ」
「街も見る」
「ならいいけど」
エイルが笑う。
「カイこそ帰ってくるの忘れないでよ」
「忘れるか」
扉が閉まった。
しばらくして。
エイルは部屋を見回した。
「……静かだな」
二人部屋は、一人になると意外と広かった。
⸻
翌朝。
エイルは目を覚ました。
窓から入る光を見る。
少し眩しい。
それから、もう一度目を閉じた。
しばらくして、また開く。
「……何時だ?」
いつもならカイが起こしてくれる。
慌てて起き上がり、時計を見る。
かなり遅い。
だが。
「休みか」
急ぐ必要はなかった。
そのまま少し横になる。
「……楽だな」
さらにしばらくしてから、ようやく起きた。
⸻
食堂へ行くと、人は普段の半分もいなかった。
寮に残っている生徒はいる。
遠方から来た者。
家に帰らない者。
休暇中も何かの練習をする者。
理由はそれぞれだった。
エイルは朝食を食べたあと、そのまま図書館へ向かった。
扉を開ける。
こちらも普段より静かだった。
「おお」
空いている。
好きな席を選べる。
エイルは前に借りた魔物の本を持って、窓際の席へ座った。
⸻
昼を過ぎた頃。
エイルは本から顔を上げた。
「腹減った」
図書館を出る。
食堂へ向かう途中で、中庭を通った。
人が少ない。
いつもなら誰かが走ったり、話したりしている場所だった。
エイルは足を止めた。
学校へ来てから、ずっと人がいた。
教室にも。
食堂にも。
寮にも。
三百人以上の新入生がいて、上級生もいる。
村とは比べものにならないほど、人が多かった。
それが少なくなると。
急に、村のことを思い出した。
父は今頃、畑にいるだろうか。
サナはまた誰かのところへ呼ばれているかもしれない。
壊れたと手紙に書いてあった柵は、もう直ったらしい。
「帰りたいな」
口に出してみる。
帰ろうと思えば帰れる。
ただし、着く頃には休暇は終わっている。
エイルは少しだけ中庭に立ってから、食堂へ向かった。
⸻
午後。
街へ出た。
カイに「本だけで休みを終わらせるな」と言われたからではない。
少し前に、ノアから工房の話を聞いていたのを思い出したのだ。
大通りを歩く。
食べ物を売る店。
服屋。
金物屋。
馬車の修理をしているところもある。
学校へ来た最初の頃は、人の多さばかり気になっていた。
今見ると、別のものが目に入る。
店の軒先に魔術具の灯りがある。
水を汲み上げる道具を売っている店もあった。
「あ」
足を止める。
前の授業で見たものより、ずっと大きい。
値札を見る。
「高いな……」
村に一つあれば便利そうだ。
だが、簡単に買える値段ではない。
ノアが言っていたことを思い出す。
強くすれば、必要な魔力が増える。
大きくすれば、値段も上がる。
便利だからといって、どこにでも置けるわけではないらしい。
エイルはしばらく眺めてから、また歩き始めた。
⸻
寮へ戻る途中。
門の近くで、見覚えのある姿を見つけた。
「セレナ?」
声をかけると、セレナが振り返った。
「エイル」
「帰ってなかったの?」
「明日帰るわ」
迎えの馬車が来るらしい。
「エイルは?」
「帰らない」
「そう」
「村まで二週間かかるから」
セレナが少し驚いた。
「そんなに?」
「うん」
「それでは、この休暇では無理ね」
「だから残る」
「何をするの?」
「図書館行ったり、街見たり」
「それだけ?」
「あと、寝る」
セレナが少し笑った。
「悪くない休暇ね」
「セレナは帰ったら何するの?」
「いろいろよ」
「いろいろ?」
「家の人に会ったり、先生に会ったり」
「休みなのに先生に会うの?」
「昔から教わっている方よ」
「ああ」
エイルには、あまり休みらしく聞こえなかった。
「大変だな」
「そうでもないわ」
セレナはそう答えた。
けれど、少しだけ困ったようにも見えた。
⸻
その夜。
一人の部屋で、エイルは父から届いた手紙をもう一度開いた。
内容はもう覚えている。
父は元気。
畑もいつも通り。
柵も直った。
近所では子供が生まれた。
サナは忙しい。
最後には、
『ちゃんと食べているか。身体には気をつけろ』
と書いてある。
エイルは机に紙を出した。
前にも返事は書いた。
それでも、もう一度書くことにした。
学校で最初の評価が返ってきたこと。
身体訓練が思ったより難しいこと。
魔術を使った道具を初めて詳しく見たこと。
休暇は村へ帰れないので、学校に残っていること。
少し考えて。
最後に一行足した。
『帰れないのは残念だけど、こっちは面白いことがいっぱいある』
書き終える。
読み返す。
「これでいいか」
紙を畳んだ。
⸻
翌日。
セレナも学校を出ていった。
さらに人が減った。
エイルは図書館へ行き。
街を歩き。
身体訓練で教わった足運びを少し練習し。
また図書館へ行った。
夜になると、一人で食事をした。
楽しいことはある。
退屈でもない。
それでも時々、村へ帰りたいと思った。
その二つは、別におかしくないらしい。
数日後。
休暇の終わりが近づくにつれて、学校に人が戻り始めた。
そして夕方。
部屋の扉が勢いよく開いた。
「帰ったぞ!」
大きな鞄を抱えたカイが立っていた。
エイルがベッドから起き上がる。
「おかえり」
「暇だった?」
「結構楽しかった」
「本何冊読んだ?」
エイルは少し考える。
「四冊」
「やっぱり本読んでたじゃん」
「街にも行ったよ」
「ならよし」
カイが鞄を床へ置いた。
「土産あるぞ」
「何?」
「食べ物」
「食べよう」
「早いな」
「腹減ってる」
二人で鞄を開ける。
いつもの部屋が、また少し騒がしくなった。
エイルはそれを聞きながら思った。
村は遠い。
すぐには帰れない。
けれど。
ここにも少しずつ、自分が戻ってくる場所ができ始めていた。




