第七十六話 最初の評価
入学してから、二か月ほどが過ぎた。
ある朝、七組の教室に入ったエイルは、いつもより少し静かなことに気づいた。
「なんかあった?」
席に鞄を置きながら聞くと、カイが呆れた顔をした。
「今日、評価が返ってくるだろ」
「……ああ」
「忘れてたのか?」
「ちょっと」
ここ数日は、いくつかの授業で課題や確認が続いていた。
計算、歴史、基礎魔力学、身体訓練。
普段の授業の延長だったので、エイルは終わったものから頭の外へ追い出していた。
「気にならないの?」
「返ってきたら分かるし」
「そういう問題じゃないんだよ」
カイは朝から落ち着かない。
エイルには、そちらの方が気になった。
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最初に返されたのは計算だった。
教師から紙を受け取り、自分の席へ戻る。
「ここか」
途中の数字を一つ写し間違えて、その後がまとめてずれている。
分からなかったというより、単純な間違いだった。
だから余計に悔しい。
「どうだった?」
すぐにカイが覗き込んできた。
「間違えた」
「何個?」
「自分の見せてから聞けば?」
「嫌だ」
「なんで?」
「怖い」
「何が?」
「お前だけ良かったら嫌だろ」
「知らないよ」
結局、二人同時に紙を見せた。
大きな差はない。
カイがほっと息を吐く。
「よし」
「何がよしなの?」
「負けてない」
「勝ってもないよ」
「それでいい」
少し離れた席では、計算の速い生徒が教師のところへ質問に行っていた。
返された紙には、ほとんど直しが入っていないように見える。
エイルは自分の紙へ戻った。
「次は写し間違えないようにしよ」
「そこから?」
「そこから」
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歴史では、カイの方が少し良かった。
紙を見た瞬間、カイが振り向く。
「勝った」
「何に?」
「お前に」
「勝負してたの?」
「今決めた」
「それ、ずるくない?」
「勝った方が決められる」
「そんな決まりないだろ」
「今作った」
エイルは自分の紙を見る。
街道についての問題は合っていた。
図書館で地図を眺めていたのが役に立ったらしい。
一方で、人の名前を答える問題を間違えている。
「名前覚えるの苦手かも」
「俺の名前は?」
「カイ」
「よし」
「それ忘れたら結構まずいよ」
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午後の基礎魔力学では、これまでの課題がまとめて返された。
術式の読解。
完成済みの基本術式の一部を変更する課題。
形成。
発動。
エイルは上から順に見ていく。
形成にはほとんど直しがない。
発動も問題なし。
一方、読解では条件のつながりを一か所読み違えていた。
術式を変更する課題には、必要のない条件を残したところへ印がついている。
「またこれか」
最初の頃より減ってはいる。
でも、形を作るときほど簡単にはいかない。
前の席にいるセレナも、自分の紙を見ていた。
「セレナ、どうだった?」
「まだ確認してる」
「変更するやつ、合ってた?」
「一つ直されてる」
セレナが紙を少し傾けた。
余分な条件を一つ残していたらしい。
「セレナも間違えるんだ」
「間違えるけど」
「もっと全部できるのかと思ってた」
「そんなわけないでしょう」
「そっか」
エイルは自分の紙と見比べる。
直された場所は違う。
「ここ、俺は二つ残してる」
「なら二つ確認した方がいいわね」
「うん」
「消す前に、なぜ要らないのかも」
「分かってるよ」
「この前、すぐ消してたでしょう」
「……覚えてた?」
「隣にいたから」
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全員へ返し終えると、ヴァレンが前に立った。
「今回の結果だけで、何かが決まるわけではありません」
ざわついていた教室が静かになる。
「今の段階で、どこまで理解できているかを見るための確認です。間違えたところは、答えだけ直して終わらせないように」
黒板に簡単な術式を描く。
「特に術式は、正しい形を丸ごと覚えるだけでは足りません。なぜその接続になるのか、自分で説明できるところまで確認してください」
エイルは返された紙を見る。
形成だけなら、見本を覚えて作ることができる。
でも、それでは読めるようにはならない。
そこは、もう何度も実感していた。
「正解していたところも同じです。理由を聞かれて説明できないなら、もう一度見直してください」
ヴァレンは誰が一番だったとも、誰が優秀だったとも言わなかった。
返されたものを確認させると、いつもの授業へ進んだ。
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身体訓練の評価は、紙より分かりやすかった。
走る。
止まる。
方向を変える。
身体強化を使いながら、これまで練習した動きを順番に行う。
「エイル!」
バルガの声が飛ぶ。
「はい!」
「腰が高い!」
エイルは慌てて姿勢を落とす。
方向を変える。
そこはうまくいった。
次は停止。
線が近づき、歩幅を変える。
止まった。
つま先を見る。
ほんの少しだけ線を越えている。
「……ちょっとだけ」
「越えたな」
「はい」
「次は手前で止まれ」
「はい」
後ろでカイが笑っていた。
エイルが振り返る。
「何?」
「いや、ちょっとだけだったなと思って」
「次カイだよ」
「分かってる」
そのカイは、もっと大きく線を越えた。
「カイ!」
「はい!」
今度はエイルが笑う。
「笑うな!」
「カイの方が出てる」
「見れば分かる!」
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レオンの番になる。
走り出す。
方向転換。
停止。
身体強化そのものは、全員が同じ基本術式を使っている。
それでも動きは違う。
レオンは足の置き方に迷いがなく、切り返してから次の動作へ入るのも速い。
終わって戻ってきたところで、エイルが聞いた。
「やっぱ上手いな」
「切り返しが遅かった」
「どこが?」
「二回目」
「俺より全然速かったけど」
レオンが少し変な顔をする。
「お前と比べても仕方ないだろ」
「確かに」
「おい」
カイが横から入ってくる。
「なんで即納得するんだよ」
「だってレオン、ずっと練習してるし」
「俺もいるぞ」
「カイとは同じくらいじゃない?」
「それはそれで腹立つな」
レオンが笑った。
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その日の夕方。
寮の部屋に戻ると、エイルは返された紙を机に広げた。
計算。
歴史。
基礎魔力学。
ほかの授業でも、短い評価や教師からの指摘がいくつか返ってきている。
向かいの机では、カイも同じことをしていた。
「結局、俺って何が得意なんだろ」
「歴史」
「お前より少し良かっただけだろ」
「勝ったって言ってたじゃん」
「それとこれとは別」
「難しいな」
「何が?」
「カイが」
「俺じゃなくて話だよ」
エイルは笑いながら、自分の紙を並べ直した。
形成は、やはり得意だった。
術式を読むのは、最初よりかなり分かるようになった。それでも、接続が増えると間違える。
術式を変更するときは、必要なものを全部入れようとして、余計な条件を残すことがある。
計算や歴史は、特別できるわけでも、まったくできないわけでもない。
身体訓練では、身体強化を使えるようになっても、レオンの方がずっと上手く動く。
「なんか面白いな」
エイルが言った。
「何が?」
「こうやって並べると、できるのとできないのが分かる」
カイが自分の紙を見る。
「俺、できないの多いんだけど」
「できてるのもあるじゃん」
「例えば?」
「歴史」
「だから、それお前より少し――」
「勝ったんだろ?」
カイが黙った。
「……そうだった」
「じゃあいいじゃん」
「よくない」
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村にいた頃は、自分が何かを得意なのか考える機会がほとんどなかった。
畑仕事なら大人の方ができる。
狩りならドルクの方が知っている。
文字も計算も、最初は父やセドに教わった。
同じ年頃の三十人と、同じことを習って比べることなどなかった。
学校では違う。
同じ授業を受けても、できるところが違う。
セレナは術式を読むのが速い。
レオンは身体の動かし方が上手い。
ノアは――。
エイルはそこで少し考えた。
「ノアって何が得意なんだろ」
「知らない」
「今度聞いてみようかな」
「本人に?」
「うん」
「急に『何が得意?』って聞くの?」
「駄目?」
「いや……お前なら聞きそうだけど」
エイルは紙をまとめ、机の引き出しへ入れた。
「カイ」
「何?」
「カードしに行かない?」
カイが自分の紙を見る。
「復習は?」
「帰ってから」
「昨日も言ってたよな」
「昨日はちゃんとやった」
「少しだけだろ」
「やったのは本当」
カイは少し迷ってから立ち上がった。
「今日は俺が勝つ」
「それも昨日言ってた」
「今日は違う」
「何が?」
「今日は評価が返ってきた日だ」
「カードと関係ある?」
「ない」
「ないんだ」
二人は部屋を出た。
返された紙は、机の引き出しに残った。
明日になれば、またいつもの授業が始まる。
間違えたところは、そのときまた覚えればいい。
学校へ来て二か月。
まだ、自分が何をできるようになるのかまでは分からなかった。




