第七十四話 一気に
基礎魔力学の授業で、ヴァレンが黒板に術式を描いた。
教室のあちこちから、小さなどよめきが起こる。
「多くない?」
カイが顔をしかめた。
「多いね」
これまで扱ってきた発光の術式より、明らかに複雑だった。
中心となる部分からいくつもの線が伸び、その先に位置、範囲、強さ、持続などの条件がつながっている。
形だけなら、エイルにはそれほど難しく見えない。
問題は、中身だった。
「今日はこれを使います。ただし、まだ形成しないでください」
ヴァレンが言った。
「まず、何をする術式なのか読んでください」
生徒たちが紙へ術式を書き写し始めた。
エイルも鉛筆を持つ。
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最初のまとまりを見る。
発光。
そこへ強さがつながっている。
次は位置。
その先に――。
「……どっちだ?」
線が一本増えただけで、急に分かりにくくなる。
エイルは指で線を追った。
途中まで進み、戻る。
別の線を追う。
「あ、こっちか」
分かったと思ったところで、その先にまた条件がある。
隣のカイも同じように紙とにらめっこしていた。
「これ、光にかかってる?」
「俺も今そこ見てる」
「どっち?」
「まだ分からん」
「使えないな」
「カイも分かってないじゃん」
前の席ではセレナが紙に何かを書き込んでいる。
エイルは一瞬そちらを見たが、すぐ自分の紙へ戻った。
まず自分で読む。
分からなければ、そのあと聞けばいい。
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しばらくして、ヴァレンが答え合わせを始めた。
術式の目的そのものは単純だった。
一定の範囲を照らす。
ただし、これまでのものより細かく条件が決められている。
光の強さ。
術者からの位置。
照らす範囲。
持続。
そして、術者が移動しても、光が一定の位置関係を保つようになっていた。
「ここを、光そのものに対する条件だと読んだ人は?」
何人かが手を上げた。
エイルも上げる。
隣を見ると、カイも上げていた。
「ここは違います」
ヴァレンが接続部分を示す。
「この条件が指定しているのは、術者との位置関係です」
エイルは自分の紙を見る。
線をたどり直す。
「ああ……」
確かに、つながっている先が違う。
記号の意味は知っていた。
それでも、接続を読み違えれば術式全体の意味を間違える。
少し複雑になっただけで、読むのにずいぶん時間がかかった。
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全体の意味を確認し終えると、ヴァレンが言った。
「では、形成してください」
ここからは早かった。
エイルは黒板を見る。
今度は意味ではなく、完成した形として全体を確認する。
位置。
間隔。
線。
記号。
一度頭の中へ置く。
魔力を動かす。
術式全体が、ほぼ同時に形になった。
念のため黒板と見比べる。
「……ここ、ちょっと近いな」
一度消して、もう一度。
今度は合っている。
隣ではカイが中心から順番に作っていた。
一つ作る。
線を伸ばす。
次の記号を作る。
すでに作った部分を保ちながら、さらに先へ進む。
「まだ?」
「うるさい。今いいところなんだよ」
「何のいいところ?」
「集中してるところ」
「じゃあ話しかけない方がいい?」
「もう話しかけてるだろ」
エイルが笑うと、カイが睨んだ。
「崩れたらお前のせいだからな」
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全員の形成を教師たちが確認したあと、発動に移った。
淡い光が、教室のあちこちに現れる。
エイルの周囲にも光が広がった。
立ち上がって数歩歩く。
光も一緒に動く。
「おお」
カイも自分の光を見ながら歩いていた。
「本当についてくる」
「面白いな」
「走ったらどうなるかな」
「やってみる?」
「やめてください」
ヴァレンの声が飛んできた。
二人とも止まる。
「まだ何もしてません」
カイが言う。
「だから、する前に止めました」
「はい」
エイルが笑う。
「絶対走ろうとしてたじゃん」
「お前もだろ」
しばらく試したあと、発動を止める。
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「では、ここからが今日の課題です」
ヴァレンが黒板の術式の横へ書いた。
『今より明るくする』
「この術式を変更して、今より明るくしてください」
エイルは紙を見る。
光の強さを上げればいい。
そう思って鉛筆を動かしかけたところで、ヴァレンが続けた。
「ただし、使う魔力はできるだけ増やさないこと」
エイルの手が止まる。
カイも止まった。
「それ先に言ってくださいよ」
「今言いました」
教室から笑いが起きる。
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エイルは紙を見る。
明るくする。
でも、使う魔力はあまり増やさない。
単純に強くすればいいわけではない。
「何か減らす?」
カイが呟いた。
「俺もそれ考えてる」
範囲を狭くする。
持続を短くする。
照らす場所を変える。
いくつか書いてみる。
「でも、短くしたらすぐ消えるよな」
「明るくはなるんじゃない?」
「何に使うか分からないけど」
「確かに」
しばらくすると、ヴァレンが生徒たちから案を集め始めた。
「範囲を狭くして、その分だけ必要な場所を明るくする」
セレナが答える。
「一つの方法ですね」
黒板に書かれる。
別の生徒が手を上げた。
「持続を短くする」
「それも考えられます」
さらに別の生徒。
「周囲全部じゃなくて、前だけ照らす」
「できます」
黒板に案が増えていく。
エイルはその中の一つを見た。
「前だけって考えてなかった」
「俺も」
カイが言う。
同じ「明るくする」でも、やり方は一つではないらしい。
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ヴァレンが黒板の横に、さらに条件を書き加えた。
『夜道を歩くために使う』
「では、用途を決めます。ある程度の時間は使いたい。使える魔力にも限りがある。その場合はどうしますか」
エイルは先ほどの案を見直した。
持続を短くする案は使いにくい。
夜道なら、長く使えた方がいい。
では、範囲は。
周囲すべてが明るい必要はあるだろうか。
歩くなら、足元と進む先が見えればいい。
エイルは紙に書き込んだ。
前方。
足元。
持続は残す。
光の強さを少し上げる。
しばらくして、いくつかの案が発表される。
エイルと似たものもあれば、違うものもあった。
「どれが一番いいんですか?」
誰かが聞いた。
ヴァレンは首を振った。
「場所によります」
黒板の案を指す。
「整備された街道を一人で歩くのか。足場の悪い場所なのか。複数人で使うのか。それだけでも必要な範囲は変わります」
「じゃあ、森なら?」
エイルが聞いた。
「森なら何が必要だと思いますか?」
聞き返された。
「……前だけだと、横が見えない」
「そうですね」
「じゃあ、もう少し広くする?」
「それも一つの考え方です」
エイルは紙へ書き足しかけて、止めた。
広くすれば、その分ほかのどこかで負担が増える。
何でも足せばいいわけではない。
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最後に、ヴァレンが一つの案を選んだ。
前方と足元を中心に照らし、ある程度の持続を残したものだった。
「今回はこれを使います」
完成した術式が黒板に描かれる。
最初のものと似ている。
けれど、いくつかの条件と接続が変わっていた。
エイルは最初から意味を追う。
何を照らす。
どこを照らす。
どの程度の明るさ。
どれだけ続ける。
確認してから、全体を見る。
そして形成する。
術式が一気に形になった。
今度は間違いもない。
「できた」
少し遅れて、カイも形成を終える。
「発動してください」
光が現れた。
最初とは違い、エイルの前方と足元が明るくなる。
身体の向きを変える。
光も一緒に向きを変えた。
「これ、夜に便利そう」
「後ろは暗いけどな」
カイが言う。
エイルが振り返る。
本当に後ろは暗い。
「森ならちょっと怖いな」
「さっき言ってたやつだろ」
「うん」
同じ光の魔術でも、使う場所によって欲しいものが変わる。
それが少しずつ実感できてきた。
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授業の最後。
黒板には、生徒たちが考えたいくつもの案が残っていた。
範囲を狭める。
方向を限定する。
持続を変える。
明るさを変える。
「今日やったことを覚えておいてください」
ヴァレンが言った。
「完成した術式を正確に形成することと、目的に合わせて術式を組み直すことは別です」
エイルは黒板を見る。
形成するだけなら、完成形さえ分かれば速い。
今日もそうだった。
でも、その完成形を決めるまでには時間がかかった。
何を残すのか。
何を変えるのか。
どの条件をどこにつなぐのか。
そちらは、一気にはできない。
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教室を出ると、カイが大きく伸びをした。
「疲れた」
「俺も」
「お前、形成するときだけ急に速いよな」
「その前はカイと同じところ間違えたけど」
「そうだった」
少し前をセレナが歩いている。
エイルは追いついた。
「セレナ」
「何?」
「最初に範囲を狭くするって言ったよね」
「ええ」
「どうして?」
セレナは少し考えた。
「明るさを上げたい。でも、使う魔力は増やしたくない。それなら、全部をそのままにはできないでしょう?」
「うん」
「だから、減らしても困りにくいところを探しただけ」
「ああ」
エイルは自分の紙を見た。
自分は最初、強さを上げることばかり考えていた。
「なるほど」
「次は自分で考えて」
「考えたよ」
「ならいいけど」
後ろからカイが追いつく。
「また聞いてる」
「分からなかったから」
「すぐ聞くよな」
「聞いた方が早いじゃん」
「自分で考えたあとならな」
セレナが言う。
エイルは少し考えてから頷いた。
「それはそうか」
三人で廊下を歩いていく。
エイルはもう一度、授業で使った術式を思い出した。
完成した形なら、一気に作れる。
けれど、その形をどう決めるのかは別だった。
そちらはまだ、紙の上で何度も書いて、消して、考えるしかなかった。




