第七十三話 図書館
村から届いた手紙には、特別なことは書かれていなかった。
父は元気にしている。
畑もいつも通り。
壊れていた柵を直した。
近所の家で子供が生まれた。
サナは相変わらず忙しくしている。
そんな話が続いていた。
最後には、
『ちゃんと食べているか。身体には気をつけろ』
と書かれている。
エイルはそこを二度読んだ。
「何て?」
向かいの机からカイが聞いた。
「ちゃんと食べろって」
「食ってるな」
「うん」
「じゃあ問題なし」
エイルは笑って、手紙を丁寧に畳んだ。
返事は夜に書くことにした。
⸻
その日の授業が終わると、エイルは図書館へ向かった。
入学してすぐに一度来たことはある。
ただ、そのときは中を少し見ただけだった。
今日は本を探すつもりだった。
大きな扉を開ける。
中へ入る。
改めて見ると。
やはり広い。
高い棚が何列も並び、その奥にもさらに棚が続いている。
一階だけではない。
吹き抜けの向こうには二階があり、そこにも本棚が並んでいた。
村でエイルが見たことのある本など、数えられる程度だった。
それがここでは。
どこを見ても本だった。
「……すごいな」
近くにいた上級生がこちらを見たので、エイルは少し声を小さくした。
⸻
まず基礎魔力学の棚へ向かった。
授業で分からなかったところを調べようと思ったからだ。
ところが。
棚の前で止まった。
本が多い。
『術式構造の基礎』
『初等魔力操作』
『形成における安定性』
『条件接続概論』
『術式記号集』
似たような題名が並んでいる。
エイルは一冊取った。
開く。
数行読む。
閉じる。
別の本を取る。
開く。
「……こっちかな」
また読む。
しばらくすると、後ろから声がした。
「何を探してるの?」
振り返る。
セレナだった。
腕に二冊の本を抱えている。
「術式の本」
「それは見れば分かるわ」
「授業で分からなかったところを調べようと思って」
「どこ?」
エイルは少し考える。
「条件がいっぱいあるとき、どれがどれにつながってるか分からなくなるところ」
「それなら、その棚じゃないわ」
「違うの?」
「そっちは少し進んでから読むものが多いから」
セレナが数歩移動する。
下の方の棚から一冊抜いた。
「最初ならこれ」
渡される。
『基礎術式の読み方』
さっきの本より薄い。
「ありがとう」
「どういたしまして」
エイルが中を見る。
図が多い。
一つの術式を小さなまとまりに分けて説明している。
「分かりやすい」
「でしょう?」
「セレナも読んだ?」
「昔ね」
「家で?」
「ええ」
セレナはそれだけ答えると、自分の本を探し始めた。
エイルも机へ向かった。
⸻
読み始めてみると。
授業でヴァレンが説明していたことが、少し違う形で書かれていた。
最初に見るのは、術式全体の形ではない。
何を起こすための術式なのか。
そのために何が必要なのか。
条件はどこに属しているのか。
エイルは紙を出して、自分でも簡単な図を書いた。
途中で止まる。
本へ戻る。
また書く。
「なるほど」
今までなら。
形を見ると、まず全部を覚えようとしていた。
それなら形成するときはやりやすい。
だが。
意味を読むときには、それだけでは足りない。
一つずつ追う。
何のためにあるのかを見る。
授業で何度も言われたことだった。
本で読むと、また少し違って見えた。
⸻
一時間ほど経った頃。
エイルは顔を上げた。
少し疲れた。
周囲を見る。
そこで初めて気づいた。
当然だが。
図書館にあるのは、魔術の本だけではない。
むしろ。
それ以外の本の方がずっと多い。
エイルは席を立った。
特に目的もなく歩いてみる。
歴史。
地理。
法律。
農業。
商業。
建築。
薬草。
金属加工。
動物。
魔物。
軍事。
各地の文化。
知らない分野が次々に現れる。
一つの棚の前で止まった。
『北部地方の農作物』
少し気になって開く。
自分の村で育てているものも載っていた。
その隣には、見たことのない作物がある。
「こんなのあるんだ」
次の棚へ行く。
今度は地図だった。
大きな地図帳を開く。
学校のある街を探す。
見つける。
そこから指を動かす。
街道をたどる。
川を越える。
さらに進む。
自分の村がある辺りまで来る。
もちろん。
小さな村の名前までは載っていない。
「この辺か」
指先で示す。
学校から見ると、本当に遠い。
⸻
さらに歩く。
今度は魔物についての棚があった。
エイルの足が止まった。
何冊か背表紙を見る。
『平原部に生息する魔物』
『森林における危険生物』
『魔物の痕跡と判別』
『地域別魔物分布』
一冊を取る。
開く。
絵が載っていた。
見たことのある魔物もいる。
知らないものもいる。
生息地。
行動。
残す痕跡。
危険性。
群れを作るか。
活動する時間。
エイルはページをめくる。
村では。
魔物について知りたければ、知っている大人に聞いた。
サナに聞くこともあった。
狩りをする者から教えてもらうこともあった。
ここには。
それが本になっている。
次のページを開く。
また知らない魔物が出てくる。
その次も。
「こんなにいるのか」
思わず声が出た。
⸻
「何が?」
横から声がした。
「うわ」
エイルが振り向く。
カイだった。
「びっくりした」
「何回呼んでも気づかないから」
「いつ来たの?」
「今。部屋にいないから探した」
「なんで?」
「飯」
窓を見る。
外が少し暗くなり始めていた。
「もうそんな時間?」
「だから来たんだよ」
エイルは本を見る。
「これ見てた」
「魔物?」
「うん。知らないのがいっぱい載ってる」
カイが横から覗く。
「そりゃいるだろ」
「これとか見たことない」
「俺もない」
ページをめくる。
「これは?」
「知らん」
「これ」
「知らん」
「これも」
「知らんって」
エイルは笑った。
「カイも知らないの多いな」
「俺を何だと思ってるんだ」
⸻
本を戻そうとして。
エイルはもう一度表紙を見た。
『地域別魔物分布』
借りていくことにした。
最初に読んでいた『基礎術式の読み方』も一緒に借りる。
受付を済ませる。
図書館を出ると、カイが二冊を見る。
「全然違う本だな」
「うん」
「どっち読むんだ?」
「両方」
「また机に積むなよ」
「読むよ」
「前の二冊もあるだろ」
エイルが止まる。
「……あった」
「忘れてたのか」
「ちょっと」
「先にそっち読め」
「でもこれも読みたい」
「じゃあ寝る時間なくなるぞ」
「それは困る」
「そこは即答なんだな」
二人は食堂へ向かった。
⸻
その夜。
村への返事を書いたあと。
エイルは借りてきた本を机に置いた。
術式の本。
魔物の本。
そして。
今日見た、何列もの本棚を思い出す。
農業もあった。
法律もあった。
商業も。
建築も。
地図も。
知らない土地のことも。
知らない魔物のことも。
知らない仕事のことも。
あそこには、まだ読んだことのない本が何冊あるのだろう。
数えようとして。
すぐにやめた。
多すぎる。
「明日も行こうかな」
ベッドの上からカイが答える。
「好きだな」
「うん」
「俺はいいや」
「なんで?」
「本よりカードの方が面白い」
「昨日負けてたじゃん」
「今日は勝つ」
エイルは笑って、本を開いた。
学校には。
知らない人がたくさんいる。
そして図書館には。
知らないことが、それ以上にあった。




