第七十一話 三百人の才能
学校へ来てから、一か月ほどが過ぎた。
最初は広すぎると思っていた校舎にも、少しずつ慣れてきた。
食堂までの近い道。
授業の間に混みやすい階段。
朝なら空いている水場。
そういうことは、カイの方が覚えるのが早かった。
「こっち」
「次の教室、反対じゃない?」
「こっちの方が空いてる」
「でも遠いよ」
「人が少ないから早い」
「昨日それで遅れそうになったよね」
「今日は大丈夫」
「本当に?」
「多分」
最近は、こんな会話をしながら校舎を歩くことにも慣れてきた。
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この学校には、いろいろな生徒がいる。
騎士を目指している者。
役人になりたい者。
商家を継ぐために学んでいる者。
職人の家から来た者。
魔術をもっと深く学びたい者。
まだ将来を決めていない者も珍しくない。
エイルも、その一人だった。
だから授業も魔術だけではない。
歴史。
計算。
読み書き。
身体訓練。
社会や地理について学ぶ授業もある。
もちろん基礎魔力学もあるが、それは学校で学ぶものの一つにすぎなかった。
得意なことも、人によって違った。
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その日の午前は計算だった。
教師が黒板に問題を書く。
エイルも問題を写し、順番に解いていった。
最初の二問はできた。
三問目で止まる。
「……あれ?」
計算し直す。
やっぱり合わない。
一つ前へ戻る。
隣ではカイも止まっていた。
「エイル」
「何?」
「三問目できた?」
「今やってる」
「じゃあいいや」
「なんで?」
「聞こうと思った」
「俺も分からないよ」
「じゃあ聞いて損した」
「まだ何も教えてないけど」
二人で問題へ戻る。
その間に、少し離れた席の男子生徒が立ち上がった。
教師のところへ紙を持っていく。
教師が確認する。
「全部合っています」
「ありがとうございます」
男子生徒は席へ戻った。
エイルとカイが同時に見る。
「早いな」
「うん」
まだ授業は半分も終わっていない。
普段はそれほど目立つ生徒ではない。
身体訓練でも、基礎魔力学でも特別目立っているわけではなかった。
だが計算になると、エイルたちよりずっと速い。
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歴史の授業でも似たことがあった。
教師が教本を閉じる。
「では、先ほど説明した街道整備が急速に進められた理由を三つ挙げてください」
エイルはノートを見る。
一つは交易。
もう一つは軍や役人の移動。
あと一つ。
何だった?
前の方で手が上がった。
普段あまり話さない女子生徒だった。
「交易の拡大、軍や役人の移動、それと地方間の情報伝達です」
「そうです」
教師が頷く。
「特に三つ目は重要です。街道の整備によって運ばれたのは、人や物だけではありません」
説明が続く。
エイルはノートに書き足した。
「情報か」
横からカイが覗く。
「忘れてた?」
「うん」
「俺も」
授業が終わったあとも、その女子生徒は友人と昔の街道について話していた。
好きなのだろう。
エイルには、そこまで昔の年代や出来事を覚えられる気がしなかった。
⸻
身体訓練になれば、また違う。
この日は、身体強化を使わずに足運びを練習した。
走る。
止まる。
方向を変える。
二人一組で相手の動きに合わせる。
レオンはやはり上手かった。
派手に速いわけではない。
だが、姿勢が崩れない。
バルガの指示にもすぐ反応する。
エイルは途中で一度、足を交差させて体勢を崩した。
「エイル! 足元!」
「はい!」
足を戻す。
もう一度。
今度は少し上手くいった。
休憩になると、エイルはレオンのところへ行った。
「さっきの曲がるやつ、どうしてる?」
「どれだ?」
「右から左に変えるところ」
レオンがその場でやって見せる。
「身体を先に倒すな。足を置いてから重心を移す」
エイルもやってみる。
「こう?」
「足が近い」
少し広げる。
「これくらい?」
「その方がいい」
もう一度動く。
さっきより安定した。
「お、できた」
「まだ一回だ」
「厳しいな」
「転んでから言うよりいいだろ」
「それはそう」
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別の日には、班ごとの課題があった。
用意されたのは、木片と薄い板、それに何本かの紐。
「この材料だけを使って、できるだけ高い塔を作ってください」
教師が説明する。
「制限時間内であれば、作り直しても構いません。魔術の使用は禁止です」
カイが材料を見る。
「これ、何の授業?」
「俺に聞かれても」
班にはエイルとカイのほかに四人いた。
すぐに話し合いが始まる。
「下を広くしよう」
「それだと上まで材料が足りないよ」
「先に高さを決めない?」
「紐で固定すれば細くてもいけるんじゃないか?」
意見が次々に出る。
しかし、なかなか決まらない。
そのとき、一人の男子生徒が床に木片を並べた。
「一回、材料を分けない?」
みんながそちらを見る。
「下に使う分。上に使う分。補強する分。最初に決めておけば、途中で足りなくなりにくいと思う」
「じゃあ下は?」
「これくらいかな。足りなかったら後で変えよう」
「それならやってみよう」
さっきまでばらばらだった話が、自然にまとまった。
「エイル、そこ押さえて」
「うん」
「カイ、紐取って」
「これ?」
「それ」
作ってみる。
一度倒れた。
「下が細いな」
「じゃあ一本こっちに回そう」
作り直す。
今度は立った。
完成した塔は、教室で一番高くはなかった。
それでも制限時間が終わるまで倒れなかった。
「できたな」
カイが言う。
「うん」
エイルは塔より、最初に話をまとめた生徒を見た。
その生徒は計算で一番だったわけではない。
身体訓練で目立っているわけでもない。
けれど。
みんなが好き勝手に話していたとき、最初にやることを決めたのは彼だった。
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課題の最後に、教師が各班の塔を見て回った。
高いもの。
低いが頑丈なもの。
途中で傾いてしまったもの。
完成しなかったものもある。
「今日の課題に、一つの正解はありません」
教師が言った。
「一人で問題を解くのと、複数人で一つのことをするのは違います」
エイルは自分たちの塔を見る。
「自分に何ができるのかだけではなく、他の人間に何ができるのかを見ることも覚えてください」
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昼休み。
大きな食堂には、今日も大勢の生徒がいた。
同じ一年生だけではない。
上級生もいる。
持っている本も違う。
服装も少し違う。
訓練着のまま食事をしている者もいる。
地図を広げて話している者もいる。
商家の子供らしい生徒たちは、商品の値段について話していた。
少し離れた席では、何人かが授業で使う道具を囲んで何か相談している。
エイルは周囲を見渡した。
「何見てる?」
カイが聞いた。
「人」
「怖いな」
「なんで?」
「飯食いながら人見てるから」
「いっぱいいるなと思って」
「またそれか」
カイが笑う。
「入学した日にも言ってたぞ」
「あのときは、多いと思っただけ」
「今は?」
エイルは少し考えた。
「いろんなやつがいるなって」
「そりゃいるだろ」
「そうなんだけど」
一年生だけで三百十二人。
それぞれ育った場所も違う。
ここへ来た理由も違う。
得意なことも違う。
計算が速い者。
昔のことをよく知っている者。
身体を動かすのが上手い者。
術式を読むのが速い者。
人の話をまとめるのが上手い者。
まだエイルが知らないことが得意な者も、きっといる。
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「カイは何が得意?」
エイルが聞いた。
「急に何だよ」
「気になった」
カイはパンを食べながら考える。
「……寝ること?」
「俺もできる」
「じゃあ違うな」
「他は?」
「知らん」
「ないの?」
「まだ決めるなよ!」
エイルが笑った。
カイも少し考えてから言う。
「お前だって、まだ分からないだろ」
「何が?」
「自分が何できるか」
「形成は得意みたいだけど」
「それ以外にもあるかもしれないだろ」
エイルは少し考えた。
「そうかな」
「知らん。まだ一か月だぞ」
「それもそうか」
エイルはもう一度、食堂を見渡した。
三百十二人の同級生。
さらに、その何倍もの上級生。
自分が知っているのは、まだほんの一部だった。
学校へ来て。
まだ一か月しか経っていない。
それなのに。
村にいた頃より、知らない人間の方がずっと増えていた。
そして最近は。
それが少し、面白かった。




