第七十話 レオン
身体訓練の授業が本格的に始まった。
これまでも走り込みや受け身などはやっていたが、今日からは魔術を使った訓練も加わるらしい。
担当するのはヴァレンではなく、短く刈った髪に大柄な体をしたバルガという実技教師だった。
「身体強化を使ったことがある者」
その問いに、クラスの半分ほどが手を上げた。
レオンも迷わず上げる。
エイルは上げなかった。
隣のカイも同じだった。
「結構いるな」
「うん」
「俺、一回もない」
「俺も」
バルガは教室を見渡した。
「思ったより経験者が多いな。だが、経験者も今日は基礎からやる。家や仕事場で教わった者もいるだろうが、まず授業で使う基本の形を確認する」
黒板に一つの術式が描かれる。
「身体強化も魔術だ。今日は右腕だけを対象にした、ごく基本的な術式を使う。勝手に変えるな」
エイルは黒板を見る。
村にいた頃、重い物を運ぶときには腕へ魔力を寄せていた。走るときには脚へ流したこともある。
けれど、こんな術式を使ったことはない。
「対象は自分の身体だ。だから雑に扱うな。多く魔力を流せば強くなる、などと考えるなよ」
カイが小声で言った。
「それ、やる奴いるのかな」
「いそう」
「お前じゃない?」
「やらないよ」
「今ちょっと考えただろ」
「静かにしろ、そこ」
「はい」
二人とも前を向いた。
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最初に、術式を読むところから始まった。
対象は右腕。
強化の程度。
持続。
すでに完成している術式なので、自分で設計する必要はない。
「まず読め。形成はその後だ」
エイルも一つずつ意味を追った。
発光の術式とは違い、初めて見る部分もある。
隣ではカイが紙とにらめっこしていた。
「これ、ここにつながってるよな?」
「多分」
「多分で身体に使いたくないんだけど」
「先生に聞けば?」
「そうする」
カイは素直に手を上げた。
少しして全員の確認が終わると、次は形成に移る。
エイルは完成した術式を見て、全体の形を頭に置いた。
魔力を動かす。
術式が形になる。
バルガが順番に確認し、エイルの前で止まった。
「形成は問題ない」
「はい」
「まだ発動するな」
「はい」
周囲を見ると、レオンもすでに形成を終えていた。
セレナも安定している。
カイは途中で一度崩し、作り直していた。
やがてバルガが前へ戻る。
「よし。発動していい。指示した以上の魔力を流すな」
エイルは右腕の術式へ魔力を通した。
発動する。
右腕の感覚が変わった。
拳を握る。
開く。
もう一度握る。
「……なんか似てるな」
「何が?」
カイも自分の腕を見ながら聞いた。
「村で腕に魔力を集めてたときと。でも、同じじゃない」
「何が違うんだ?」
エイルはもう一度拳を握った。
「分からん」
「先生に聞けよ」
「そうする」
近くを通ったバルガを呼び止める。
「先生」
「なんだ」
「身体に魔力を集めるだけなのと、今の身体強化は違うんですか?」
「違う」
即答だった。
「走るときに脚へ魔力を流したり、重い物を持つときに腕へ集めたりしてたんですけど」
「術式は?」
「使ってません」
「なら単純な魔力操作だ。今使っているものとは別だ」
バルガはエイルの右腕を指した。
「こっちは完成した術式を形成し、発動させて身体の働きを補助している。似た感覚があっても、一緒にするな」
「なるほど」
「分かったら続けろ」
「はい」
村でずっとやっていたことに、ようやく名前がついた。
あれは身体強化ではなかった。
ただ、自分で魔力を動かしていただけだったらしい。
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基本を確認したあとは、二人一組になった。
向かい合って腕を合わせ、相手を決められた位置まで押す。
単純な力比べではなく、強化した腕を身体全体と一緒に使えるかを見る訓練だった。
エイルの相手はカイになった。
「なんか嫌だな」
「何が?」
「お前と押し合うの」
「なんで?」
「嫌な予感がする」
「始め!」
バルガの声が飛ぶ。
エイルが押した。
カイの身体が後ろへ動く。
だが同時に、エイルの上半身も大きく前へ傾いた。
慌てて右足を出す。
「止め!」
二人とも動きを止めた。
「エイル。足」
エイルは自分の足元を見る。
「出てます」
「見れば分かる」
周囲から笑いが起きた。
「腕だけで押そうとするな。腕を強化しても、身体全体がついてこなければ姿勢が崩れる」
「はい」
「カイ」
「はい」
「お前は最初から腰が引けている」
「……はい」
「もう一度」
向かい合う。
カイが小声で言った。
「お前だけじゃなかったな」
「ちょっと安心した」
「するなよ」
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何度やっても、思ったより難しい。
術式の形成には困らない。
発動もできる。
それでも実際に押そうとすると、腕へ意識が向きすぎる。
足が遅れる。
肩に力が入る。
「魔術ばかり気にするな!」
またバルガの声が飛んだ。
「身体を動かしているのはお前だ!」
「はい!」
エイルは姿勢を直した。
身体強化が使えれば、身体の使い方まで勝手に上手くなる。
そういうものではないらしい。
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休憩に入ると、エイルは水を飲みながら他の組を眺めた。
そこでレオンが目に入った。
相手と腕を合わせている。
「始め!」
レオンが一歩踏み込む。
足。
腰。
肩。
腕。
動きが途切れずにつながり、相手が二歩ほど下がった。
それでもレオン自身の姿勢はほとんど崩れていない。
「もう一度」
二回目も同じだった。
エイルはじっと見る。
「上手いな」
隣に来たカイも見ていた。
「俺らと同じ術式だよな?」
「うん」
「何であんな違うんだ」
「聞いてみよう」
「行くの?」
「うん」
エイルはそのままレオンのところへ向かった。
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「レオン」
「何だ?」
「さっきの、どうやった?」
「さっきの?」
「押すやつ」
レオンは少し考えた。
「足から動いただけだ」
「見せて」
「構えてみろ」
エイルが腕を出す。
レオンも合わせた。
「押してみろ」
エイルが押す。
レオンはほとんど動かない。
「腕から動いてる」
「駄目?」
「力が伝わりにくい」
レオンはいったん離れ、ゆっくり動いて見せた。
「足で地面を押す。腰が動く。そのまま腕までつなげる」
エイルは足元から順番に見る。
「こう?」
真似してみる。
「肩が先に出てる」
「難しいな」
「慣れだ」
もう一度。
今度は少しだけ動きがつながった。
「さっきよりいい」
「お」
エイルが笑った。
「レオン、いつからやってるの?」
「七歳くらいから」
「そんな前から?」
「最初は姿勢と足運びだけだ。剣を持ったのは後」
横からカイが入ってくる。
「七歳からずっと?」
「ほぼ毎日」
「俺、七歳の頃何してたかな」
「遊んでたんじゃない?」
エイルが言う。
「お前もだろ」
「うん」
「即答かよ」
レオンが少し笑った。
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後半は、脚を対象にした基本的な身体強化を使った。
決められた距離を走り、指定された線の手前で止まる。
説明を聞いたとき、エイルは簡単そうだと思った。
実際に走るまでは。
「始め!」
地面を蹴る。
普段より速い。
停止線があっという間に近づいた。
「あ」
止まろうとする。
間に合わない。
そのまま線を越えた。
「エイル!」
「はい!」
「止まるところまでが課題だ!」
「はい!」
後ろでカイが笑っている。
「次、カイ!」
「はい!」
カイが走り出す。
そして、ほとんど同じように線を越えた。
「カイ!」
「はい!」
今度はエイルが笑った。
「笑うな!」
「さっき笑ったじゃん」
「俺の方が近かった!」
「でも越えた」
「うるさい」
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レオンの番になった。
走り出す。
速い。
停止線が近づくと歩幅が変わり、重心が落ちる。
そのまま線の手前で止まった。
エイルはレオンの足を見る。
使っている術式は同じだ。
それでも、動きは全然違う。
授業が終わる頃には、エイルも最初よりは止まれるようになった。
ただ、レオンほどきれいにはいかなかった。
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帰り道。
エイルはレオン、カイと三人で歩いていた。
「身体強化って、もっと簡単だと思ってた」
エイルが言う。
「どういう意味だ?」
「強くなったら、その分うまく動けるのかと思ってた」
レオンは首を振った。
「身体を強化しても、動かし方まで上手くなるわけじゃない」
「剣も?」
「同じだ。身体強化だけで剣が上手くなるなら、毎日練習する必要がない」
「確かに」
カイがため息をついた。
「結局、練習か」
「そうなるな」
エイルは今日のレオンの動きを思い出した。
同じ術式を使っても、足の置き方や身体の動かし方で結果は変わる。
レオンはそれを何年も練習してきた。
「明日、また教えて」
エイルが言うと、レオンが横を見る。
「授業でか?」
「休憩のとき」
「別にいい」
「俺も」
カイが言う。
「お前はまず腰引くのやめろよ」
「お前は線で止まれ」
「カイも越えただろ」
「俺の方が近かった」
「まだ言ってる」
三人は言い合いながら寮へ戻った。




