第六十九話 条件を増やす
初めて魔術を発動してからも、基礎魔力学でいきなり新しい魔術を次々と覚えることはなかった。
しばらく使うのは、同じ発光の術式だ。
「今日は、この術式を少し変更します」
ヴァレンが黒板に、すっかり見慣れた術式を描いた。
術者の手元に弱い光を出し、短い時間だけ維持する。
前回、全員が使ったものだ。
その隣に、新しい記号が書かれる。
『方向』
「今日は、これを加えます」
エイルはノートを開いた。
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ヴァレンが元の術式を形成し、発動する。
手元に小さな光が生まれた。
「これまでの術式では、光が生まれる位置を術者の手元に指定していました」
光が消える。
ヴァレンは黒板の術式へ手を加えた。
位置を指定している部分へ、方向を示す条件をつなぐ。
「今回は、術者から見て前方。さらに、手元から少し離れた位置を指定します」
変更した術式を形成する。
発動すると、今度は手元ではなく、その少し前の空中に光が現れた。
「おお」
カイが小さく声を漏らした。
エイルも二つの術式を見比べる。
変わった部分はわずかだ。
それでも、実際に光が出る場所ははっきり違う。
「では、なぜ方向の条件をここへつなぐのでしょう」
ヴァレンが尋ねた。
何人かが手を上げる。
指された生徒が答えた。
「光を前に出すためです」
「もう少し詳しく」
「発光に……前という条件をつける?」
「それでは少し違います」
ヴァレンが黒板を指す。
「光るという現象そのものに、前や後ろがあるわけではありません。指定しているのは、光が発生する位置です」
エイルはノートを見る。
発光。
位置。
方向。
一つ一つは簡単な言葉だ。
だが、どれをどこにつなぐかで意味が変わる。
「術式を読むときも組むときも、その条件が何に作用しているのかを確認してください」
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課題が配られた。
まずは紙の上で、元の術式を変更する。
いきなり魔力で形成するわけではない。
エイルも鉛筆を持った。
発光はそのまま。
強さも変えない。
持続も同じ。
変更するのは、光が生まれる位置だ。
そこへ方向の条件を加える。
「……ここか」
線を一本引く。
少し眺めて、止まった。
この線は、本当に位置の部分へつながっているか。
確認する。
「違うな」
一度消して、引き直した。
しばらくして、ヴァレンが黒板へ解答例を書く。
エイルは自分の紙と見比べた。
「合ってる」
今回は接続も間違えていない。
後ろからカイの声がした。
「俺、逆につないだ」
振り返ると、カイが紙を消している。
「それだと、こっちにかからない?」
「だから今消してるんだよ」
「なるほど」
「分かってるなら言うな」
少し前では、セレナがすでに確認を終えていた。
やはり彼女の方が速い。
ただ、今回はエイルも自分で正しく組めた。
それだけで少し嬉しかった。
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全員の紙を確認したあと、実際の形成へ移った。
「完成した術式をよく確認してから形成してください。前回より一つ条件が増えていますが、急ぐ必要はありません」
教室のあちこちで魔力が動き始める。
カイは一つずつ作っていく。
セレナも、確認しながら順番に形成している。
エイルは自分の紙を見た。
まず意味を確認する。
発光。
強さ。
位置。
方向。
持続。
間違っていない。
それから全体の形を見る。
頭の中に置き、魔力を動かす。
術式が現れた。
条件が一つ増えても、形成するときの感覚はそれほど変わらない。
ヴァレンが確認に来る。
「形は問題ありません」
「発動していいですか?」
「その前に確認します」
ヴァレンが一部分を指した。
「これは?」
「発光」
「こちらは?」
「強さ。弱い光にする」
「これは?」
「位置」
「では、これ」
「方向。前方です」
ヴァレンが頷いた。
「いいでしょう。発動してください」
エイルは術式へ魔力を通した。
小さな光が生まれる。
今度は手元ではない。
少し離れた前方の空中に浮かんでいた。
「できた」
同じ光なのに、出る場所が違う。
自分たちが紙の上で変えたところが、そのまま結果に出ている。
しばらくすると、設定された通り光は消えた。
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「先生」
エイルが手を上げた。
「もっと遠くに出すこともできますか?」
「できます」
「どこまで?」
「使う術式や術者によります」
エイルは実習室の反対側を見る。
「あそこくらい――」
「今の術式で勝手に試さないでください」
「まだ何もしてません」
「その顔は試そうとしていました」
「ちょっとだけ」
カイが笑った。
ヴァレンは黒板へ戻る。
「ちょうどいいので、距離についても説明しましょう」
新しい条件を書き加えた。
「前方というだけでは、どれだけ離れた位置なのかを細かく指定できません。必要なら、距離を指定する条件も使います」
カイが小さく呟く。
「また増えた」
「増えたね」
「嬉しそうに言うなよ」
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ただし、とヴァレンは続けた。
「条件は、多ければ多いほど優れた術式になるわけではありません」
黒板には、最初の術式と変更後の術式が並んでいる。
後者の方が複雑だ。
「手元を照らしたいだけなら、最初の術式で十分です。方向も距離も必要ありません」
以前にも聞いた話だった。
目的に必要なものを入れる。
必要のないものまで増やさない。
「今の皆さんは、すでにある基本術式の一部を変更する練習をしています。新しい条件を一つ覚えたからといって、何にでも付け足す必要はありません」
エイルは頷いた。
使えるものが増えることと、全部使うことは別らしい。
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後半は三つの状況を考える課題だった。
『手元の本を読む』
『夜道で少し先を照らす』
『暗い倉庫で落とした物を探す』
使うのは、どれも発光の術式だ。
一つ目は、これまで使ってきたもので足りる。
二つ目は、今日習った方向と距離が使えそうだった。
三つ目でエイルの手が止まった。
「倉庫……」
広く照らせば探しやすそうだ。
でも、どのくらい広くするのか。
明るさは。
どこから照らすのか。
長く光らせる必要はあるのか。
とりあえず条件を全部足せばいいわけではない。
エイルはしばらく考え、広い範囲を弱めに照らす案を書いた。
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授業の最後に、いくつかの回答が紹介された。
同じ「倉庫で落とした物を探す」でも、答えはばらばらだった。
広い範囲を一度に照らす者。
狭い範囲を順番に確認する者。
光を強くする者。
弱い光を長く使う者。
「どれが正解なんですか?」
誰かが聞いた。
「条件が足りず目的を果たせないものや、組み方を間違えているものはあります」
ヴァレンは答えた。
「ただ、正しく働く術式が一つしかないわけではありません」
黒板に残ったいくつかの案を見る。
「大切なのは、何をしたいのか。そのために、なぜその条件を選んだのかです」
エイルは自分の紙を見る。
自分で一から術式を作れるようになったわけではない。
今日は、教わった基本の術式に、教わった条件を一つ加えただけだ。
それでも、入学したばかりの頃とは違う。
あの頃は、術式を見ても複雑な模様にしか見えなかった。
今は少しだけ、
「ここを変えたら、こうなる」
が分かるようになってきた。
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寮へ戻る途中、カイが言った。
「俺、魔術ってもっと簡単だと思ってた」
「どんな感じ?」
「光なら光の術式を覚えて、火なら火の術式を覚えて。それで終わり」
「俺もそんな感じだと思ってた」
「違ったな」
「うん」
ただ、村で使われていた魔術を思い返せば、覚えた術式をそのまま使うだけでも困らない場面は多いのだろう。
毎日の火起こしで、毎回違う術式を考える必要はない。
エイルたちが今やっているのは、その先だ。
覚えたものを使うだけではなく、なぜそうなっているのかを読む。
必要なら、教わった範囲で変えてみる。
「明日も条件増えるかな」
エイルが言うと、カイは嫌そうな顔をした。
「増えなくていい」
「でも面白いよ」
「お前はな」
二人はそのまま寮へ戻った。




