第六十八話 最初の魔術
その日の基礎魔力学は、教室に入ったときからいつもと雰囲気が違っていた。
机のない実習室。
生徒たちは間隔を空けて立ち、前にはヴァレンと、補助に入るらしい数人の教師がいる。
カイがエイルの横へ来た。
「今日、実習だよな」
「うん」
「また形成?」
「それなら前もやっただろ」
球。
輪。
少し複雑な形。
形成だけなら、すでに何度かやっている。
やがてヴァレンが全員を見渡した。
「今日は、初めて術式を発動してもらいます」
教室がざわついた。
エイルも顔を上げる。
発動。
設計、形成と習ってきて、まだ実際にやっていない最後の一つだ。
「今日使うのは、授業で何度も読んできた発光の術式です。自分で設計する必要はありません」
ヴァレンが黒板に術式を描いた。
見覚えがある。
発光。
対象。
強さ。
持続。
それぞれが単純な形でつながっている。
「まず、何をする術式なのか確認してください」
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エイルは最初の記号から順番に追った。
術者の手元。
弱い光。
短時間だけ維持する。
少し前なら、全体の形ばかり先に見ていただろう。
今は、何が何につながっているのかを先に確認する。
「読めましたか?」
ヴァレンが聞く。
何人かが頷いた。
「では、セレナ」
「術者の手元に弱い光を発生させ、短時間維持する術式です」
「その通りです」
ヴァレンが黒板の一部を指した。
「今日は全員、この完成した術式をそのまま使います。勝手に変更しないこと」
カイが小声で言った。
「変えられるほど分かってない」
「俺も」
「お前は気になって触りそうだから言ってるんじゃない?」
「触らないよ」
「本当に?」
「今日は」
「今日『は』って言ったぞ」
「静かに」
ヴァレンの声が飛んできた。
二人とも口を閉じた。
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「まず形成します」
ヴァレンが手を前へ出す。
黒板と同じ術式が、魔力によって形作られていく。
記号。
線。
それぞれの位置。
完成すると、その形が手元に浮かんだ。
しかし、何も起こらない。
「この状態は形成しただけです。まだ術式は働いていません」
次にヴァレンが、形成した術式へ魔力を通す。
直後。
小さな白い光が浮かんだ。
「おお……」
教室のあちこちから声が漏れる。
エイルも光を見る。
熱くはない。
眩しいほどでもない。
それでも確かに光っている。
少しすると、光は自然に消えた。
「今の術式には持続する時間も含まれています。私が途中で消したわけではありません」
ヴァレンがもう一度同じことを見せる。
形成。
発動。
光。
そして、消える。
「今日はこれを使えるところまでやります」
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最初は形成だけだった。
エイルは黒板を見る。
これまでなら、すぐ全体の形を覚えて作っていただろう。
今回はその前に、もう一度意味を確認した。
手元。
発光。
強さ。
持続。
それから全体の形を見る。
手を出し、魔力を動かした。
術式が現れる。
「待ってください」
ヴァレンが来た。
形成されたものと黒板を見比べる。
「ここです」
接続部分を指した。
よく見ると、線の位置が少しずれている。
「これくらいでも駄目ですか?」
「発動する場合もあります。しかし、最初から間違った形を覚える理由はありません」
「確かに」
エイルは一度消した。
もう一度黒板を確認する。
今度は線の位置まで見てから作る。
「はい。今度は問題ありません」
「よし」
「まだ発動しないでください」
「分かってます」
ヴァレンは次の生徒へ向かった。
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隣では、カイが一つずつ形成していた。
記号を作る。
線でつなぐ。
位置を見る。
「ここで合ってますか?」
近くの教師が確認する。
「その接続をもう一度」
「あ」
カイが一か所を直した。
少し離れたところでは、セレナがすでに形成を終えている。
家で基礎的な術式を習っていた彼女にとっては、初めての発動ではないのだろう。
レオンも時間をかけながら、形を完成させていた。
エイルは自分の術式を維持したまま待つ。
形を作るだけなら難しくない。
けれど今日は、その先がある。
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全員の準備が整うと、ヴァレンが説明した。
「発動するときは、形成した術式へ必要な魔力を通します。力任せに大量の魔力を押し込まないこと」
エイルは自分の術式を見る。
「完成した術式に沿って、必要な分を流してください。分からなければ止めて教師を呼ぶこと」
形成とは違う。
これは、やったことがない。
少し緊張する。
「では、始めてください」
エイルは術式へ魔力を流した。
最初は何も起こらなかった。
「……ん?」
もう少し。
次の瞬間。
手元に、小さな光が生まれた。
「お」
思わず声が出た。
白い光。
弱い。
熱くもない。
ただ、それでも確かに光っている。
エイルはじっと見た。
これまで何年も、魔力でいろいろな形を作ってきた。
球。
輪。
文字。
複雑な模様。
どれだけ形を作っても、それは形のままだった。
でも、今は違う。
自分が形成したものが、光を生んでいる。
「……光った」
「俺も!」
横からカイの声がした。
見ると、カイの手元にも小さな光が浮いている。
「見ろ、エイル!」
「見えてるよ」
「俺の魔術!」
「俺も同じの出てる」
「もうちょっと感動しろよ!」
「感動してるって」
二人で笑っていると、ほぼ同時に光が消えた。
「あ」
カイが手を見る。
「失敗?」
「違います」
近くにいたヴァレンが答えた。
「術式どおりです」
エイルは黒板を見る。
持続。
そうだった。
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「もっと長く光らせたければ?」
ヴァレンが聞いた。
エイルは答える。
「持続の条件を変える」
「そうです。ただし、それは設計を変更するということです」
「明るくしたいなら強さ?」
「基本的な考え方はそうです」
カイが聞いた。
「じゃあ、今の術式に魔力をいっぱい入れたら明るくなる?」
「そういう使い方はしません」
ヴァレンはすぐに答えた。
「強さを変えたいなら、それに合わせた術式を使います。設計で弱い光を指定しているのに、無理に大量の魔力を流して調整しようとしないこと」
「なるほど……」
カイが自分の手を見る。
エイルも納得した。
術式に書かれていることと、実際に起こることがつながっている。
だから、変えたければ先に術式の側を変える。
ただ魔力を増やせばいいわけではない。
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その後、同じ術式を何度か使った。
一度目より二度目。
二度目より三度目。
エイルは発動するときに、どの程度魔力を流せば術式が働くのか、少しずつ分かってきた。
とはいえ、最初からうまくいく者ばかりではない。
カイは一度、発動前に形成の一部が崩れて作り直した。
レオンは形成を終えてから、発動まで少し時間がかかっていた。
セレナはすぐに光らせたが、教師から、
「少し魔力を流しすぎています」
と注意されている。
「はい」
経験があっても、直されるところはあるらしい。
同じ術式を使っていても、引っかかる場所は人によって違っていた。
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授業の最後。
ヴァレンが全員を集めた。
「今日、初めて魔術を使った人も多かったと思います」
エイルもその一人だ。
「今後は、照明だけではなく、さまざまな完成済みの術式を学んでいきます。日常生活で使うものもあれば、身体を補助するものもあります」
黒板には、また三つの言葉が書かれた。
『設計』
『形成』
『発動』
「ただし、今日一度発動できたからといって、自分で術式を設計できるようになったわけではありません」
エイルは黒板を見る。
それはよく分かる。
今日使った術式は、最初から完成していた。
自分で作ったのではない。
「まず完成した基本術式を正しく読み、正しく形成し、安全に使えるようになること。設計については、その土台ができてから少しずつ学びます」
そこで授業は終わった。
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寮へ戻る途中。
エイルは自分の手を何度か見ていた。
カイが気づく。
「そんなに嬉しかった?」
「うん」
「即答だな」
「だって初めて魔術使ったし」
「俺もだけど」
「光ったな」
「光った」
二人で少し笑う。
エイルはもう一度、自分の手を見る。
意味のない形を作るのも面白かった。
でも今日作った形には、一つ一つ意味があった。
何をするのかが決まっていて。
その通りに形成して。
魔力を通すと、本当に光った。
「魔術って面白いな」
カイが横を見る。
「今さら?」
「今までは使えなかったから」
「そうだったな」
エイルは頷いた。
まだ使えるのは、小さな光を短く灯す術式一つだけだった。




