第六十七話 普通
翌週。
形成の実習は、少しずつ難しくなっていた。
最初は球。
次は輪。
今では二つの輪を重ねたり、決められた位置で線を曲げたりと、確認する場所が増えている。
まだ術式ではない。
魔術としての意味を持たない形を、見本どおりに作る練習だ。
「では、今日はこれです」
ヴァレンが手を前へ出した。
一本の魔力の線が伸び、途中で二つに分かれる。
それぞれが違う方向へ曲がり、片方の先には小さな輪、もう片方には少し大きな輪ができた。
簡単な枝のような形だった。
「形、大きさ、位置。すべて見本に合わせてください」
エイルは見本を見る。
これまでより覚えるところが多い。
「始めてください」
教室のあちこちで魔力が動き始めた。
---
カイはまず一本の線を作った。
見本を確認しながら伸ばし、途中で二つに分ける。
「ここから……こっちか」
片方を曲げ、その先に小さな輪を作る。
少し歪んだ。
「あ、違う」
輪だけを崩して作り直す。
近くの生徒は先に二つの輪を作り、あとから線でつなごうとしていた。
別の生徒は枝分かれの位置を間違え、途中まで戻している。
作り方は人によって違うらしい。
エイルはもう一度、見本を見た。
枝分かれした線。
左右の曲がり方。
二つの輪。
全体を頭の中へ置いてから、魔力を動かす。
形が現れた。
見本と比べる。
「……右が大きいな」
一度消す。
もう一度、見本を見る。
作り直す。
今度はかなり近い。
そのまま維持していると、隣から声がした。
「もう終わった?」
カイだった。
「一応」
「早いな」
「でも一回間違えた」
「俺まだ一回目だぞ」
「じゃあカイが遅いんじゃない?」
「たぶんお前が早い」
「そう?」
「たぶん」
そこまで言ったところで、カイの形が少し崩れた。
「あ」
「喋るから」
「誰のせいだよ」
「カイ」
「お前だよ」
---
ヴァレンが一人ずつ見て回る。
「枝分かれをもう少し下に」
「はい」
「左右の長さが違います。見本を確認してください」
「はい」
「輪だけではなく、全体の位置関係も見ましょう」
球や輪だけだった頃より、修正される生徒が増えていた。
形が複雑になれば、それだけ確認する場所も増える。
ヴァレンがカイの前で止まった。
「できましたね」
「はい」
「どこが難しかったですか?」
「最後の輪です」
「なぜ?」
カイは自分の形成を見る。
「こっちを作ってる間に、最初に作った方が崩れそうになるから」
「そうですね。部分ごとに作る場合は、すでに形成した部分を保ちながら次を作る必要があります」
エイルは横で聞いていた。
その感覚は、あまり分からない。
「先生」
「何ですか?」
「作ったところって、意識してないと崩れるんですか?」
「慣れないうちは特にそうです。習熟すれば、そこへ割く意識は減りますが」
ヴァレンがエイルの形成を見る。
「エイルはどうしていますか?」
「俺?」
「先に作った部分を保ちながら、次を作っている感覚はありますか?」
エイルは少し考えた。
「ないです」
「では?」
「最初から全部作ります」
「ああ、そうでしたね」
ヴァレンはそれだけ確認すると、次の生徒へ移った。
エイルも自分の形成へ視線を戻した。
自分にとっては、こちらの方がやりやすい。
カイにはカイの作り方がある。
今のところ、それだけだった。
---
次の課題は、さらに複雑だった。
大きな輪の内側に三本の線があり、その先端にそれぞれ違う小さな形がついている。
「多くない?」
カイが言う。
何人かが笑った。
ヴァレンも否定しなかった。
「先ほどより確認する部分は増えています。速さを競う必要はありません。見本をよく見て、正確に形成してください」
生徒たちが始める。
カイは外側の輪から。
セレナも同じだった。
ただ、セレナの方が一つ一つの形成が安定している。
レオンは中心の線を先に作り、そこから外へ広げていた。
エイルはしばらく見本を見る。
「……ここ、どっちだ?」
小さな形の向きを確認する。
もう一度全体を見る。
それから手を前へ出した。
魔力を動かす。
形が現れる。
すぐに見本と比べた。
「違う」
一本の線の角度がずれている。
先端の形も少し小さい。
一度消して、作り直す。
二度目。
今度はかなり近い。
そこへヴァレンが来た。
「見せてください」
エイルの形成と見本を見比べる。
「ここですね」
外側の輪の一部を指した。
「少し内側へ歪んでいます」
「ほんとだ」
言われて初めて気づいた。
「複雑になるほど、一度に全体を作る方法では見落としも出やすくなります」
「じゃあ、一個ずつ作った方がいいですか?」
「必ずしもそうではありません」
ヴァレンは首を振った。
「自分が正確に作れる方法を使えばいい。ただし、速くできるからといって、確認まで急ぐ必要はありません」
エイルは自分の形成を見る。
確かに、早く作れても間違っていれば意味がない。
「もう一回やります」
形成を消す。
今度は作る前に、見本をゆっくり確認した。
外側。
三本の線。
先端の形。
位置。
大きさ。
それから形成する。
今度は、すぐに作り直す必要はなかった。
---
授業が終わると、カイが床に座り込んだ。
「疲れた」
「そんなに?」
「最後のやつ、いろんなところ気にしないといけないんだよ」
カイは手を動かしながら説明する。
「ここ作って、次作って、そっち直してたら最初のところが歪んで……」
エイルは聞きながら、自分の手を見る。
やはりその感覚はよく分からない。
「俺は一回で作るからなあ」
「それがちょっと変なんだよ」
「やっぱり?」
「少なくとも俺とは違う」
「じゃあカイが変かも」
「なんでそうなる」
---
午後は魔術史だった。
形成も術式も使わない。
教師の話を聞き、教本を読み、最後に短い問題へ答える。
エイルは普通に間違えた。
カイも間違えた。
セレナはかなり正解していた。
次の日の計算では、エイルよりずっと速く問題を解く生徒が何人もいた。
身体訓練では、レオンの動きが目立った。
姿勢。
足の運び。
受け身。
教師から指示された動きを、ほとんど迷わず再現していく。
エイルも村ではよく身体を動かしていた。
畑仕事もしたし、重いものも運んだ。
けれど、それと訓練された動きは別だった。
休憩になると、エイルはレオンの方を見た。
「レオン、上手いな」
カイも頷く。
「あいつ、騎士を目指してるって言ってなかった?」
「うん」
「じゃあ、前からやってたんじゃない?」
「そうか」
それなら納得できる。
セレナが術式を早く読めるのも、家で習ってきたからだ。
レオンが身体をうまく使えるのも、それまで練習してきたから。
自分が形成に慣れているのも、村で何年も意味のない形を作っていたからだ。
学校へ来たから突然そうなったわけではない。
---
クラスで過ごす時間が増えるにつれ、少しずつ違いが見えてきた。
セレナは術式を読むのが速い。
レオンは身体の使い方が上手い。
計算が得意な生徒もいる。
歴史の授業で、教師より先に地名を答える生徒もいた。
形成ではエイルが早く終わることが多い。
でも、術式の課題ではセレナに聞くこともある。
身体訓練ではレオンの動きを見て真似する。
そして計算では、普通に負ける。
「学校って変だな」
寮へ戻る途中、エイルが言った。
「何が?」
カイが聞く。
「同じ授業受けてるのに、みんな違う」
「当たり前じゃない?」
「そうなんだけど」
村にいた頃は、同じ年頃の子供自体が少なかった。
三十一人が一つの教室にいて、それぞれ違うことを知っている。
そのことが、まだ少し新鮮だった。
---
その夜。
カイは珍しく机に向かっていた。
「何してる?」
「見れば分かるだろ。復習」
「珍しい」
「お前な」
カイは振り返らない。
「次の筆記ではお前に勝つ」
「前も似たような点だったじゃん」
「だから勝てる」
「じゃあ俺もやる」
「やめろ」
「なんで?」
「俺が勝ちにくくなる」
「知らないよ」
エイルも自分の机に座った。
教本を開く。
今日習った術式を、一つずつ意味から読み直す。
形成なら、自分は少し得意らしい。
それは分かった。
でも、それだけだった。
学校には、まだ知らないことが山ほどある。
エイルは次のページを開いた。




