第七話 待つ
ハインが村を出て、二日目。
「遅くない?」
エイルが言うと、トーマは畑から顔も上げなかった。
「何が」
「ハイン」
「そうか?」
「往復なら二日くらいって言ってたじゃん」
「往復だけなら、だろ」
「でも昨日の朝に出たよ」
「なら、今日帰ってくるかもしれんな」
「いつ?」
「知らん」
エイルは鍬を土に入れた。
「誰か連れてくるかな」
「さあな」
「何人くらい必要なんだろ」
「ハインに聞け」
「いないじゃん」
「じゃあ帰ってくるまで待て」
「……そうだけど」
それで話は終わった。
最近、待つことが増えた気がする。
ハインが帰ってくるのを待つ。
ドルクが森から戻るのを待つ。
東の森に何頭いるのか分かるのを待つ。
エイルには、その間にできることがほとんどなかった。
だから今日も畑仕事をする。
鍬を振り、土を起こしていく。
しばらくすると、畑の脇をドルクが通った。背中には弓がある。
「ドルクさん、森行くの?」
「行かん」
「弓持ってるじゃん」
「畑の周りを見るだけだ」
ドルクは足を止め、トーマを見る。
「今日はどこまでやる?」
トーマが鍬を止め、東を指した。
「あの辺まで」
ドルクもそちらを見る。
「そこまでならいいか」
「何かあった?」
「何も」
「じゃあ何?」
「昨日の夜、北の方で犬がうるさかった」
トーマが鍬を地面に刺した。
「見に行ったのか?」
「ああ」
「何かいた?」
「見つからんかった」
「足跡は?」
「犬のばっかりだ」
トーマが笑った。
「じゃあ犬だろ」
「かもな」
ドルクも笑う。
「一応、今日は近くを見とく」
「分かった」
ドルクが歩き出す。
エイルも鍬を持ち直した。
「父さん」
「なんだ」
「本当に犬だったのかな」
「犬だったんじゃないか」
「でもドルクさん、まだ見に行くって」
「暇なんだろ」
少し離れたところから声が飛んできた。
「聞こえてるぞ!」
トーマが笑った。
エイルも笑って、また鍬を振った。
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昼食を食べていると、外から大きな声が聞こえた。
「ベルン!」
ミラが顔を上げる。
トーマも食べる手を止めた。
「何だ?」
立ち上がって外へ出る。
エイルもついていった。
村の中央を、一人の男が歩いてくる。
手に何かを抱えていた。
近くまで来て、それが鶏だと分かった。
死んでいる。
ベルンも家から出てきた。
「どうした?」
「朝、見つけた」
男が鶏を見せる。
「うちのだ」
首のあたりが血で汚れていた。
「何にやられた?」
「分からん」
「柵は?」
「開いてた」
「開いてた?」
男は嫌そうな顔をした。
「息子が閉め忘れたらしい」
後ろから別の男が口を挟む。
「じゃあ狐じゃないのか」
「かもしれん」
鶏を持った男がため息をついた。
「三羽いなくなってるんだ」
「三羽?」
「一羽だけ、少し離れたところに落ちてた」
ベルンが鶏を見る。
「ドルクに見てもらおう」
エイルももう少し近くで見ようとしたが、後ろから肩を叩かれた。
「ほら、中」
ミラだった。
「もうちょっとだけ」
「ご飯の途中でしょ」
「……はい」
家へ戻る。
席に座ると、リナがすぐに聞いてきた。
「魔物だった?」
「分かんない」
「灰牙?」
「鶏って食べるのかな」
後から入ってきたトーマが答える。
「食うだろ」
「じゃあ灰牙?」
「狐も食う」
「じゃあどっち?」
「知らん」
リナが少し考えてから言った。
「父さん、最近知らないこと多いね」
トーマの手が止まった。
ミラが吹き出す。
「俺は元からこんなもんだ」
「そうなの?」
「そうだ」
「じゃあしょうがないね」
「しょうがないな」
トーマは何事もなかったように食事を再開した。
エイルも笑いながらパンを取った。
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午後。
ドルクが鶏のいた場所を見たらしい。
その話をエイルが聞いたのは、井戸へ水を汲みに行ったときだった。
「結局、何だったの?」
近所の女が聞く。
「分からないって」
「また?」
「跡がぐちゃぐちゃなんだって。鶏も犬も人も歩いてるから」
「ちゃんと閉めてればよかったのよ」
「ほんとよ。前から言ってたのに」
エイルは話を聞きながら桶に水を入れた。
持ち上げようとして、ふと思う。
最近、腕へ魔力を寄せるのは前より楽になってきた。
少しだけ集める。
散らさないようにして、腕へ流す。
そのまま桶を持ち上げた。
重い。
けれど、普通に持つより少しだけ楽だった。
「あら、エイル」
話していた女の一人がこちらを見る。
「それ持てるの?」
「持てるよ」
「大きくなったねえ」
「前から持てる」
「そうだった?」
「そうだよ」
「じゃあ、もっと大きいのお願いしようかしら」
「嫌だよ」
二人が笑った。
エイルは桶を持って家へ戻った。
魔力を使っていることには、誰も気づかなかった。
自分にしか分からないくらいの違いなのだろう。
それでも、前よりは自然にできるようになっていた。
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夕方になっても、ハインは戻らなかった。
ベルンが一度、村の入口まで見に行ったが、しばらくして一人で帰ってきた。
「今日じゃなかったね」
近くにいたエイルが言う。
「そうだな」
「大丈夫かな」
「何が?」
「ハイン」
「街に行っただけだぞ」
「でも遅いじゃん」
「人を探してるんだろ」
「見つからなかったら?」
「探すんじゃないか」
「ずっと?」
ベルンが笑った。
「なんで俺に聞くんだ」
「村長だから」
「村長は何でも知ってるわけじゃないぞ」
「みんなそれ言うね」
「そうか?」
「うん」
ベルンは少し考えた。
「まあ、知らないものは仕方ない」
「村長でも?」
「村長でもだ」
そう言って歩いていった。
エイルは少しだけ納得できないまま、その背中を見送った。
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その夜。
エイルは家の裏に座り、自分の中の魔力を動かしていた。
最近は、集めること自体にはそれほど時間がかからない。
少し集める。
散らさない。
右腕へ流す。
今度は左腕。
右脚。
左脚。
「……あれ?」
左脚だけ、途中で少し散った。
もう一度。
今度はできた。
だったら左右の違いではないらしい。
「何が違うんだろ」
魔力の量か。
流す速さか。
身体の動かし方か。
それとも――
「何してるの?」
顔を上げる。
リナがいた。
「また来たの?」
「うん」
「もう寝る時間じゃない?」
「兄ちゃんも」
「俺は練習してる」
「私も見る」
「見ても分かんないよ」
「いいよ」
リナは隣に座った。
エイルはもう一度、右腕へ魔力を流してみる。
今度はうまくいった。
「今のどう?」
「何が?」
「……だよね」
見えるわけではない。
リナが膝を抱える。
「兄ちゃん」
「なに?」
「それ、何になるの?」
「何って?」
「ずっとやってるやつ」
エイルは少し考えた。
「上手くなる」
「何が?」
「魔力の使い方」
「上手くなった?」
「前よりは」
「じゃあ終わり?」
「まだ」
「いつ終わるの?」
「ちゃんとできたら」
「ちゃんとって?」
エイルは黙った。
それが分かれば苦労しない。
「……もっとちゃんと」
「ふーん」
リナはすぐに興味をなくし、地面に指で何かを描き始めた。
エイルはまた自分の魔力へ意識を戻した。
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次の日は、朝から雨だった。
畑仕事はできない。
トーマは家の中で道具を直し、ミラは服を繕っている。
リナは床に寝転がっていた。
エイルも暇だった。
魔力を動かそうとしていると、ミラがこちらを見た。
「家の中で変なことしないでよ」
「変なことじゃないよ」
「この前、椅子倒したでしょ」
「あれは脚でやったから」
「もっと駄目じゃない」
「……外でやる」
「雨よ」
「分かってる」
仕方なく窓の外を見る。
雨。
道には誰もいない。
「今日も帰ってこないかな」
トーマが道具から顔を上げる。
「ハインか?」
「うん」
「この雨なら遅れるかもな」
「街も降ってる?」
「知らん」
「また知らない」
「天気まで俺に聞くな」
エイルは窓枠に顎を乗せた。
しばらく雨を眺める。
「暇」
「手伝う?」
ミラが言った。
「何を?」
「いくらでもあるよ」
「……やっぱり暇じゃない」
「そう」
トーマが笑った。
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昼を過ぎても、雨は止まなかった。
ハインも帰ってこない。
夕方になって雨が少し弱くなった頃、村の入口から声が聞こえた。
エイルは窓を見る。
「帰ってきた?」
立ち上がり、そのまま外へ出ようとする。
「上着」
ミラに止められた。
「あ」
慌てて羽織り、外へ出る。
雨の中を走った。
村の入口に、一人の男が立っている。
「ハイン!」
近づいて、違うと分かった。
知らない男だった。
服も髪も濡れ、肩で息をしている。
ベルンが家から出てきた。
「どうした?」
男は膝に手をついて、何度か息を整えた。
「ハインっていう、魔物の仕事をする男……ここにいるか?」
ベルンの眉が寄る。
「今は街へ行ってる」
「いつ戻る?」
「分からん。何があった?」
男が顔を上げた。
「うちの村にも、魔物が出た」
ベルンの表情が変わった。
「どこの村だ?」
男が答える。
その方角には覚えがあった。
少し前に行商人のセドがやって来た道。
エイルは雨の中で、その男を見つめた。




