第六十五話 意味のない形
次の基礎魔力学も、座学から始まった。
ヴァレンが教室へ入ると、前回提出した課題を一人ずつ返していく。
エイルの紙にも、いくつか印がついていた。
必要な記号は合っている。
ただ、配置が一つ、接続が一つ違う。
その横には、
『条件の作用先を確認すること』
と書かれていた。
「どうだった?」
後ろからカイが覗き込む。
「二つ違った」
「二つ?」
カイが自分の紙を見せた。
こちらはもっと多い。
「俺なんてこれだぞ」
「多いね」
「見れば分かる」
カイが紙を引っ込める。
少し離れた席では、セレナも返された課題を確認していた。
遠くからでは細かく見えないが、直されたところは少なそうだった。
やはり、術式については自分よりずっと先にいる。
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「前回は、術式を読むための基本を学びました」
ヴァレンが黒板に術式を一つ描く。
前回より記号も線も増えている。
「今日は、もう少し大きな術式を扱います。ただし、新しい記号をたくさん覚えるわけではありません」
術式の一部分を囲む。
「今日見てほしいのは、術式のまとまりです」
囲まれた中には、三つの記号があった。
発光。
強さ。
対象。
「この部分だけで、『どこに、どの程度の光を出すか』を表しています」
次に、その外側につながる記号を指す。
「そして、こちらの条件はこの一つの記号ではなく、今囲んだまとまり全体に作用しています」
エイルは黒板を見る。
一つの記号に一つの条件をつけるだけではない。
いくつかをまとめ、その全体に別の条件を加えることもある。
「文章でも同じです」
ヴァレンは術式の横に書いた。
『光る』
その前に、
『弱く』
さらに、
『前方で』
最後に、
『一定時間』
と足していく。
『一定時間、前方で弱く光る』
「一つずつ意味を足していますが、それぞれが何にかかっているか分からなければ、文章全体の意味も分かりません」
ヴァレンが最初の術式へ戻る。
「術式も同じです。大きな術式をいきなり一枚の図として眺めるのではなく、まず小さなまとまりを読む。それが何とつながっているかを見る。それを繰り返して、最後に全体を理解します」
エイルはノートに書きながら、少し変な感じがした。
自分が形を作るときとは逆だった。
形成するときは、完成した形を先に思い浮かべる。
けれど術式を読むときは、一つずつ意味を追っていく。
同じ形を扱っていても、やっていることが違う。
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練習問題が配られた。
一問目は、昨日より早く読めた。
二問目は少し時間がかかった。
三問目で手が止まった。
「……」
使われている記号は知っている。
発光。
強さ。
範囲。
方向。
持続。
一つずつなら全部分かる。
形そのものなら、もう覚えられそうだった。
けれど、全体として何をする術式なのかが分からない。
エイルは最初から読み直した。
発光。
そこに強さがつく。
そのまとまりに――
「違うな」
戻る。
今度は線を一本ずつ追う。
途中で、どの条件を見ていたのか分からなくなった。
「……難しい」
横を通りかかったヴァレンが足を止めた。
「どこですか?」
「ここまでは分かります」
エイルは最初のまとまりを指した。
「でも、これがどこにかかってるのか分からなくて」
ヴァレンは紙を見ると、その半分を手で隠した。
「では、全体を見るのをやめましょう。ここだけ読んでください」
見える部分が減る。
「発光」
「次は?」
「強さ」
「関係は?」
「光を弱くする」
「では、そこまでで一つのまとまりです」
次の部分が見える。
「これは?」
「前方」
「何を前方に?」
エイルは少し考えた。
「あ。弱い光を」
「そうです」
もう一度術式を見る。
さっきより分かりやすい。
「エイルは、形を先に見すぎています」
「形?」
「術式全体を、一つの図形として覚えようとしているでしょう」
図星だった。
「駄目ですか?」
「形成するときには役立つかもしれません。でも、今やっているのは形成ではありません」
ヴァレンが紙を指す。
「なぜその形になっているのかを読む時間です」
エイルは頷いた。
「分かりました」
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授業が終わり、エイルが教本を鞄へ入れていると、ヴァレンに呼び止められた。
「エイル。少しだけ残ってください」
「はい」
カイが振り返る。
「何した?」
「何もしてないよ」
「先帰ってるぞ」
「うん」
生徒たちが出ていき、教室が静かになる。
ヴァレンは教壇から降りてきた。
「先日の実習で作っていた形を、もう一度見せてもらえますか?」
「あの変なやつですか?」
「そうです」
エイルは手を出した。
頭の中に、いつもの形を思い浮かべる。
輪。
曲がった線。
枝分かれ。
小さな輪。
昔から少しずつ複雑にしてきた、何の意味もない形だ。
魔力を動かす。
手の上に、その形が現れた。
ヴァレンが眺める。
「これは何かを参考に?」
「してません」
「この線には、何か意味がありますか?」
「ないです」
「では、この輪は?」
「それもないです」
「なぜ付けたんです?」
「その方が作るの難しいから」
ヴァレンが少し黙った。
「つまり、術式ではない」
「はい。ただの形です」
「なぜこんなものを作っていたんですか?」
エイルは考えた。
昔から理由は同じだ。
「面白かったからです」
「なるほど」
ヴァレンはそれ以上そこを掘り下げなかった。
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「少し変えてみましょう」
ヴァレンが形の中にある小さな輪を指す。
「これを二つにしてください」
「はい」
エイルは一度形を消した。
「消すんですね」
「作り直した方が楽なので」
頭の中で輪を一つ増やす。
その完成した形を作る。
「では、この線を一本増やす」
また消して、作り直す。
「外側の輪を少し大きく」
消す。
作る。
「左右を反対に」
今度は少し時間がかかった。
頭の中でひっくり返してから、もう一度作る。
「これでいいですか?」
「はい」
ヴァレンはしばらく見ていた。
「かなり慣れていますね」
「ずっとやってたので」
「形成については、今の授業内容より先まで練習してきた、と考えてよさそうです」
エイルは少し嬉しくなった。
「ただし」
ヴァレンが机の上に、さっきの課題を置いた。
赤い印が二つある。
「こちらは間違えています」
「はい」
「術式を読む方は、これからですね」
「……はい」
嬉しさが少しだけ引っ込んだ。
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ヴァレンは紙に、簡単な術式を一つ描いた。
「これを読んでみてください」
エイルは一つずつ見る。
発光。
強さ。
次は――。
「自分の周り?」
「線をもう一度見てください」
「あ……前です」
「そうです」
ヴァレンが頷く。
「では、今度はこの形を形成してください。発動はしません」
エイルは紙を見る。
今度は意味ではなく、全体の形を見る。
線の位置。
記号の位置。
間隔。
一度頭の中へ置いてから、魔力を動かした。
同じ形が手の上に現れる。
ヴァレンが紙と見比べた。
「ここが少し違います」
「あ、本当だ」
一度消す。
もう一度作る。
今度は合った。
「分かりました。消してください」
エイルは形成を解いた。
「先生」
「何ですか?」
「俺、変なんですか?」
「変?」
「みんなと作り方が違うから」
ヴァレンは少し考えた。
「得意なやり方が違う、という程度に考えてください」
「珍しい?」
「一年生としては、形成にかなり慣れています。ただ、それで魔術全部が得意になるわけではありません」
先ほどの課題を指す。
「間違った術式を覚えれば、どれだけ正確に形成しても、間違ったものができるだけです」
「……それは嫌ですね」
「嫌でしょう」
ヴァレンが少し笑った。
「だから、形を作れることと、術式を理解していることを一緒にしないように。特にエイルは、座学をきちんとやってください」
「やってます」
「今後も、です」
「はい」
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教室を出ると、廊下の先にカイがいた。
「先帰るって言ってなかった?」
「気になった」
「何が?」
「怒られたのか」
「怒られてない」
二人で寮へ向かう。
「何だった?」
「俺、形成は結構できるって」
「知ってる」
「でも術式読むのは普通だって」
「それも知ってる」
エイルがカイを見る。
「なんで?」
「俺と一緒に課題で悩んでたじゃん」
「そうだけど」
「じゃあ、形作るのだけ先にやってたってことだろ」
エイルは少し考えてから頷いた。
「多分そう」
「変な順番」
「勝手に遊んでただけだから」
「それなら納得」
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その夜。
エイルは寮の机で教本を開いた。
少し複雑な術式が載っている。
いつもなら、まず全体の形を覚えたくなる。
けれど今日は、最初の記号から見た。
意味を確認する。
次の記号。
二つを結ぶ線。
何が何に作用しているのか。
一つずつ追っていく。
形を覚えるより、ずっと遅い。
途中で何度も戻る。
それでも、その日は形を作る練習をせず、教本を読み続けた。




