第六十四話 術式を読む
翌日の基礎魔力学は、再び座学だった。
教室に入ったエイルは、黒板を見て足を止めた。
中央に、大きな図が描かれている。
いくつかの記号。
それを結ぶ線。
さらに、その一部を囲む形。
昨日まで作っていた球や輪とは違う。
形だけなら、それほど複雑には見えない。
けれど、何を表しているのかはまったく分からなかった。
「今日はあれか」
後ろから来たカイも黒板を見る。
「何の魔術だと思う?」
「分からない」
「形は作れそう?」
「多分」
「意味は?」
「全然」
カイが笑った。
「そこは分かんないんだな」
「習ってないし」
「俺もだけど」
二人はそれぞれの席についた。
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授業が始まると、ヴァレンは黒板の端に三つの言葉を書いた。
『設計』
『形成』
『発動』
「昨日は形成を実際にやってもらいました。今日は設計の側へ戻ります」
エイルはノートを開く。
「といっても、皆さんに一から術式を作ってもらうわけではありません。まずは、すでに完成している簡単な術式を読むところから始めます」
ヴァレンは黒板の図へ向き直った。
一つの記号を指す。
「これは、光を発生させるために使われる基本的な記号です」
エイルはノートへ写す。
次の記号。
「こちらは対象を指定するもの」
さらに別の記号。
「これは持続に関係します」
一つずつなら、それほど難しくない。
記号の形も単純だった。
だが、ヴァレンは同じ三つの記号を、黒板の隣にもう一度描いた。
今度は配置と線のつながり方が違う。
「では、この二つは同じ術式でしょうか」
教室が静かになる。
使われている記号は同じ。
数も同じ。
違うのは、どこに置かれて、何とつながっているかだけだ。
セレナが手を上げた。
「違います」
「理由は?」
「持続の条件が作用する先が違います」
「そうですね」
ヴァレンが一本の線を指す。
「術式は、必要な記号を並べれば完成するものではありません。この線にも意味があります」
別の線を指す。
「何と何を結ぶのか。どの条件が、どの部分へ作用するのか。どこまでを一つのまとまりとして扱うのか」
最後に図全体を指した。
「それらの関係まで含めて、一つの術式になります」
エイルは黒板を見直した。
昨日、自分が作った意味のない模様にも、線はあった。
輪もあった。
枝分かれもあった。
でも、そこに理由はなかった。
難しい形を作ってみたかったから、そうしただけだ。
見た目が似ていても、術式とはまるで違う。
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「言葉で考えてみましょう」
ヴァレンは黒板の一部を消した。
『小さな光を出す』
と書く。
「意味は分かりますね」
次に、
『小さな光を前方に出す』
さらに、
『小さな光を前方に出し、しばらく維持する』
と続ける。
「使っている言葉を知っていても、その関係を間違えれば意味は変わります」
ヴァレンは再び術式の図を指した。
「記号も同じです。記号一つの意味を覚えることと、術式を読めることは別です」
エイルはノートへ、
『記号を知る=術式を読める、ではない』
と書いた。
「そして、術式を読めることと、自分で新しく設計できることも別です」
その下にも書き足す。
『読む=作れる、でもない』
カイが横からエイルのノートを見た。
「分けすぎじゃない?」
「だって違うって言ってるし」
「覚えること増えるな……」
「俺に言うなよ」
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その後、簡単な問題が配られた。
紙には三つの術式が描かれている。
どれもよく似ていた。
使われているのは、今日教わった記号だけ。
問題は、
『術者の前方に光を発生させ、しばらく維持する術式を選びなさい』
だった。
エイルは一つ目を見る。
光。
ある。
対象。
ある。
持続。
ある。
二つ目も同じ。
三つ目にも全部ある。
「……全部あるじゃん」
小さく呟く。
違うのは、つながり方だ。
一つ目の線を追う。
光から対象へ。
その次が――
「これ、どっちにかかってるんだ……?」
形だけなら、三つともすぐ覚えられる。
今ここで紙を伏せても、おそらく似た形にはできる。
でも、それでは答えにならない。
なぜ、その線がそこへつながっているのか。
それを読まなければならない。
エイルはもう一度、最初から追った。
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しばらくして、二つ目に印をつけた。
自信はあまりない。
ヴァレンが答え合わせを始める。
「正解は二つ目です」
エイルは小さく息を吐いた。
「では、一つ目は何が違いますか」
セレナが手を上げる。
「持続の条件が、光ではなく対象指定の側へつながっています」
「その通りです」
説明されながら線を追うと、エイルにも分かった。
確かに違う。
ただ、セレナは説明される前から読めていた。
そこには明らかに差がある。
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次の問題は、少し難しかった。
黒板に、
『術者の手元に、弱い光を短時間発生させる』
と書かれる。
その下には、今日習った記号が並んでいた。
「必要な記号を選び、紙の上に並べてみてください」
エイルの手が止まる。
光。
必要。
対象は手元。
強さは弱く。
持続は短く。
必要なものを選ぶところまではできた。
問題は、その先だった。
「……どこにつなぐんだ?」
一度書く。
見る。
何かおかしい。
消す。
もう一度。
今度は途中で分からなくなる。
また消す。
紙が少し黒くなった。
後ろからカイの声がする。
「分からん……」
エイルは少しだけ安心した。
自分だけではないらしい。
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しばらくして、ヴァレンが黒板へ解答例を描いた。
エイルは自分のものと見比べる。
必要な記号は合っていた。
ただ、二つの位置が逆だった。
線も一か所違う。
「惜しい」
授業が終わると、カイが横から覗いた。
「俺、持続入れるの忘れた」
「じゃあ、すぐ消えるんじゃない?」
「光っただけ偉いだろ」
「紙の上だから光ってないよ」
「うるさい」
そこへセレナが通りかかった。
エイルは声をかける。
「セレナ」
「何ですか?」
「さっきの問題、なんでそんなに早く分かったの?」
「以前から、簡単な術式は習っていますから」
「形を覚えてる?」
「覚えているものもあります。でも、それだけではないです」
セレナはエイルの紙を指した。
「私は最初に、何をしたい術式なのか見ます」
光。
「そのために必要な条件を確認します」
対象。
強さ。
持続。
「それから、それぞれが正しくつながっているかを追います」
エイルは自分の紙を見る。
「最初から全体を覚えないの?」
「覚えている術式ならそういうこともあります。でも、知らない術式なら一つずつ見ます」
「なるほど……」
形成するときの自分とは逆だった。
形を作るときは、最初に完成した姿を思い浮かべる。
けれど、術式を読むなら、見た目だけ覚えても意味がない。
一つずつ意味を追って、最後に全体を理解する。
「ありがとう」
「どういたしまして」
セレナはそのまま教室を出ていった。
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寮へ戻る途中、カイが聞いた。
「今日のやつ、難しかったな」
「うん」
「昨日は簡単そうだったのに」
「昨日は形作るだけだったから」
「エイルはそっち得意だもんな」
「多分」
エイルは自分のノートを見る。
記号を知っている。
術式を読める。
術式を設計できる。
似ているようで、全部違う。
そして今の自分は、形を作ることには慣れている。
けれど、術式についてはまだ最初のところにいる。
「明日もこれかな」
「嫌なの?」
「いや」
エイルは首を振った。
「分かんないから面白い」
カイが少し嫌そうな顔をした。
「俺は分かる方が面白い」
「じゃあ分かるようになればいいじゃん」
「簡単に言うなよ」
二人はそんな話をしながら、寮へ戻った。




